「赤福」が非常な勢いでたたかれている。テレビも新聞もニュースサイトも、同じような見出しを立てていて、さながら掲示板やブログの“祭り”にも似て見える。どうも、玄人が素人と一緒になって大騒ぎしているようで、観ていて小恥ずかしい――と、ここに書くのだから、私もたちの悪い野次馬の一人なのには違いない。
もとより「赤福」を擁護しようとする気持ちも知識もないのだが、かねて「面白そう」「あざとく映る」というプラスとマイナスがないまぜになった複雑な気持ちで見ていた。
「面白そう」というのは、わくわくするような近代的な製造、保存、管理の仕組みを感じさせたからだ。伊勢はもとより、彼の聖地からは遠く離れた各地のみやげもの店の店頭に毎日並んで、それでも飽きたらずに新幹線にまで積み込まれ、連日東海道を行ったり来たりしているというのは、伝統的な生菓子の流通としては、どうも私の想像を絶する。「無添加」と表現し得るような特別な原材料や製法があるのか? 足の早い商品を膨大な数の棚に一気に流通させる管理手法は? などなど、想像力をかきたてられた。
ちなみに赤福は、広告、ブランドコミュニケーション、経営などのコンサルタントの間では、かなり人気のあるお手本企業の一つだった。それというのも、あの商品と流通に、やはりそうした魔術的なものを感じ取る向きが多かったからだったのだろう。
そして、それは実際にすごい会社だった。松永和紀さんが昨日の記事で「たいしたもの」と書いていることに共感する。また、大騒ぎのテレビ、新聞、ニュースサイトの記事も、いずれも糾弾の論調でありながら、はからずも赤福の製造、保存、管理の高い技術力を伝えているところが面白い。
一方、「あざとく映る」というのは、そうした高い技術力を持ちながら、それを“科学の勝利”として売らずに“トラディショナル”としてアピールしていた点だ。添加物も使いながら表示していなかったというのは、ウソをついていたという点で悪いのはもちろんだが、恩人の手柄を隠して自分だけいい格好をするようで、私はむしろそこに重大な倫理上の問題を感じる。
この同じ倫理観の低さを持つ食品関係者は、彼らだけではないはずだ。だから、赤福と同じようにたたかれ、暴かれ、つるし上げられる企業はこれからもたくさん出て来るだろう。その節は、恩知らずに罰が当たったのだと観念するほかはない。もっとも、食品添加物メーカーサイドからのアピール、消費者教育が足りないことも、この問題の背景だと言えるはずだ。
ところで、テレビや新聞では「むきあん」「むきもち」という再生品を活用する行為自体を犯罪視する論調が目立つが、善し悪しは別として、この種の売れ残り商品の再生行為は昔は市井の和菓子店がよくやっていたことで、彼らが発明した“悪事”とは言えない(9月13日の「棚持ちがよければ、たくさん作っていいわけではない」参照)。
問題は、零細な菓子店と同じことを、工場生産と大規模化を果たした後も、続けていたことだろう。
レストランや居酒屋のランチについて、わけ知り顔の消費者が語る“常識”がある。「前日の残り物を、ランチでさばく」というものだ。いや、確かにそういう店はないとは言わない。ただ、そういうことをする店のほとんどは繁盛していない。なぜかと言えば、経営感覚がないからだ。
前日残った食材を、翌日のランチで使えば、その食材を売り切ることはできるだろうが、数が揃わない。そもそも、売れ残りが出ることを前提に別な商品を企画しているところが稚拙だ。ディナー帯の営業についても、ランチの営業についても、高い精度で来店予測を立てて適正な仕入れ・仕込みをすることができないから、そんなおかしなランチを提供することになる。
赤福も、それと同じことをしていたと言える。恐らくこの会社の最大の弱点はここにあったのに違いない。販売予測が甘いことで、回収、再生、再流通などに余計な手間を要していた。また、販売店に品物を押しつけて販売数を伸ばすようにプレッシャーをかける、これまた実に古いメーカー体質もあったようだ。再出発のためには、コンプライアンスや食品衛生のことよりも、現代の流通の常識を勉強することが必要だろう。
ランチの話と似たような、しったかぶりの世間話には、ほかにクリスマスケーキの台の話がある。「売れ残ったクリスマスケーキを回収したら、デコレーションをはずし、クリームを掻き取って冷凍して(むきもちならぬ、むきスポンジ)、バースデーケーキやひな祭りの商品に再生するのさ……」――昔アルバイトをしていた喫茶店のマスターが言っていた。ミミズのハンバーガーと同じ類のふざけた話か、販売予測が稚拙だった大昔の失敗談であったことを信じたい。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。