マクドナルドの報道規制に、メディアは乗ったのか? しらけたのか?

肝腎なところが見えないと意味がない(記事とは直接関係ありません)
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肝腎なところが見えないと意味がない(記事とは直接関係ありません)
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8月29日、日本マクドナルドは首都圏に「マックカフェ」15店舗を一斉にオープンした。新業態のオープン日と店舗の概要は、日本経済新聞などがすでに7月12日に伝えているが、具体的な商品のラインナップなどが記事になって一般の目に触れるようになったのは、私が知る限り29日が初めてだ。しかし、遅くとも7月17日にはその全貌の相当な部分を知り、商品写真も見て、試食さえしていた記者、編集者は少なくない。その話題が1カ月半も寝かされていたのは、なぜか。

 日本マクドナルドが「2007年8月29日(水)、首都圏中心に15箇所でMcCafe同時オープン」とのニュースリリースを発表したのは7月12日。その後、同17日に報道関係者を集めて試食会を行っている。その際、商品名は正式決定前としながら、主な商品を説明した資料と、開発の趣旨を記した資料等を配付し、商品写真の貸し出しも行った。ただし、いずれにも「マックカフェに関する情報解禁日はオープンの8月29日となっています」といった注意が書かれていて、「資料および画像データ、フィルムなどのお取り扱いには、十分ご注意いただきますよう」との警告も付いている。

 本来は、いったん記者が知ったことは、その時点で全人類が知り得ることに等しい。にもかかわらず、実際に以後29日まで記事が見当たらない――状況証拠からすると、この報道規制にメディア各社が乗ってしまったようにも見える。「フライングすれば、今後この大企業から情報が出なくなる」――?疑いの域を出ないが、仮にそうした暗黙の恫喝を感じ取って屈服したのであれば、破廉恥きわまりない話だ。

 ただし、本当にそうなのかどうか、私は各メディアに直接問い質していないので、何とも言えない。新聞は「ニュースバリューがない」と考えて報道しなかったのかもしれない。雑誌は発行日と締め切りの関係で29日発売以前の号に記事を書かなかったのかもしれない。テレビは、「お客がいる店の絵がないと、話にならない」と考えて、オープン当日を待っていただろう。インターネットのニュースサイトの多くは、これら古いメディアにソースを依存しているから、先に出しようがなかっただろう。

 私なら、ビジネスの情報として「マックカフェ」に「ニュースバリューがない」とは、全く考えない。「セブン-イレブン」が扱うものが外食でないと考えるなら、「マクドナルド」は世界最大の外食チェーンだ。その巨大チェーンの、将来の生き残りの一つの道かもしれない新業態の話題は、成功するにしても失敗するにしても注目されてしかるべきだ。その動向が外食産業に与える影響は小さくないし、他のあらゆる分野のビジネスパーソンの参考になる事柄も多い。しかも、取り組んでいるのは、米国の本体ではなく、一フランチャイジーである日本企業だ。重要度も話題性も十分だ。

 有力なメディアが、こうした視点を持っていなかったとすれば残念なことだが、29日より前に情報が出なかった理由としてもう一つ考えられることは、「記者がしらけてしまった」ということだ。

 最近の若い記者、編集者の心のありようは私などとは随分違うだろうし、ニュースサイトなど新しいメディアのポリシーがどのようか、私はすべては分からない。ただ、私が尊敬する先輩たちはじめ、新聞、雑誌の心ある記者、編集者は、見聞したことで価値のある事柄はすぐに伝えることを身上としていて、それが読者に対する使命であり、自分たちの存在意義だと考えている。

 それだけに、自分たちの判断と表現をコントロールしようとする企業や人物を嫌う。コントロールしようとすることとは、例えば、記事の内容を発行前に知ろうとする、意に添わない内容の削除・書き換えを直接申し込んでくる、不合理な用字・用語の強要、取材内容と関係のないお土産など金品を渡そうとするなどなど。こういうことがあると、たとえその場で愛想笑いをしていても、帰り道にはらわたが煮えくりかえっているものだ。

 どう質問しても同じことしか言わないなどというのも、これは記者の腕の悪さもあるにせよ、場合によっては記事内容への形を変えた介入と見られることがある。

 合理的な理由なく「これは○月○日までは掲載しないでください」と宣言することも、記者を怒らせる、あるいはしらけさせるには十分なせりふだ。なぜか? ゴールが同時になる約束で、走ることに生き甲斐を感じるアスリートがいないのと同じだ。

「解禁日設定」(本来メディアは誰にも「禁」じられることはない)のような企ては、短い期間にホットな話題を集中させるにはよい方法だと、広報担当者は考えるだろう。だが、他の記者と同じ時期に同じ内容の原稿しか書けないような記者(社内では「発表記者」とさげすまれている)に存在価値はないし、どれを読んでも観ても内容が同じなら、読者は新聞にも雑誌にもテレビにも価値を感じなくなり、やがてメディア全体の地盤沈下につながっていく。

 今、人々がインターネット上にさまざまな情報を求めているのも、古いメディアには「ニュースリリースを超える独自の情報がない」と思われているためというのが、大きな理由の一つのはずだ。特に、日常たくさんのメディアに触れてきた高感度な消費者ほど、こう感じるはずだということに注意が必要だ。

 従って、この種の報道規制は、短期的に効果を上げることはできても、メディア全体の力を減じていくという意味で、サスティナブル(持続可能な)では全くない。

 また、ここまでインターネットの利用が普及した世の中で、未だに「情報はコントロールできる」と考えている天真爛漫さにはうらやましささえ感じる。大本営で完成した情報が、意図した通りに末端まで行き渡る――こうしたタイプのコミュニケーションは、丁寧に管理すれば、インターネット商用化以前までは実はかなり通用した。しかし、掲示板の登場で相当すたれ、ブログとSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及でどんどん破壊されている。

 この辺りの説明は長くなるので必要に応じて回を改めて述べるが、これからの社会では発信者ではなく、(膨大な数の)受信者が情報の主導権を握る。発信者がコントロールするなどできないし、効果的でもないのだ。そんな想像を絶する世の中で、この先どのような役割を担っていくべきか――古いメディアに属する記者、編集者たちは、今真剣に頭を悩ませているのだ。

 そんなときに、チェーンストアという中央集権型ビジネスを代表する企業が、大本営式の古い宣伝手段で行っちゃおうと迫ってきたのだから、記者、編集者たちは「何をいまさらそんな夢を見ているの?」と、どっちらけてしまったのかもしれない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →