桜の開花のニュースが続々と届く季節になった。貴族や武家の習慣であった花見が大衆化したのは、8代将軍徳川吉宗が町人にこれを奨励したことに始まるという。財政再建を進める中、人々に娯楽を与えてストレスを解消させ、消費も刺激する狙いがあったとか。当時世界最大だったという説もあるほどの大都市ならではの、都市経営の秘策の一つと言える。
江戸が東京になってからもこの大都市の人口は増え続け、エリアも広げていった。明治後半以降、電車というシステムが導入されて以降、通勤圏の拡大で東京エリアはさらに拡大し、人口を増やした。この巨帯都市が日本の消費を牽引し、経済大国の核となってきたことは言うまでもない。
この過程で、首都圏の住民は昼食を家で摂ることをやめ、職場か職場の近くで食事をするようになった。そのため、団らんの時間は昼から夜へとシフトし、時間をかけてたっぷり摂る正餐は昼食ではなく、夕食となった。一方、戦後は大都市の野菜不足が深刻化し、国は南から北まで全国各地に野菜団地を作る、いわゆる産地化を進めた。
こういうものを、都市化による弊害と考える人もいる。なるほど、生活習慣病の増加と就寝に近い時間にたくさん食べる習慣との間には関係があるだろう。また、大面積の同じ場所で同じ作物を作り続ける産地化が、化学肥料と農薬の使用を加速させた側面も否定できない。
ただ、重要なのは、「夜たくさん食べることはいけない」「遠隔地で大規模に野菜を作ることがいけない」と言い続けたところで、問題は解決しないということだ。今日の我々はまだ、このような都市構造と生活パターンを持つ社会の恩恵を受け続けているのだから。このことで行政や企業、あるいは国家や経済活動を悪とみなして攻撃するのは笑止と言わざるを得ない。民主主義と消費を前提とした経済社会の中で、この“犯人”は我々一人ひとりなのだから。
いくつかの国では、今も昼食を正餐としている国がある。それが良いことと考えるとして、では我々一人ひとりは日本でそれを実現するために何をしようとしているか。脱大都市の大きな国家戦略を持った人物を発見し、支持し、共に動こうとしているだろうか。それよりは、自分や子供を大都市東京の一員にしよう、あるいは昼間から家族とのんびり食事ができる特別な立場(いわゆる“勝ち組”)に立とう、立たせようと、今日も汲々としている人が大半ではないか。
産地化政策を否定して「地産地消」「身土不二」などと唱える人がいるが、現状この言葉の恩恵を受けられる人は、首都圏住民と、千葉、神奈川、埼玉、広く見て茨城、群馬、栃木の農家ぐらいのもの。「いや、『地産地消』は産と消とがもっと近くなければいけない」と言うならば、恩恵にあずかる人はさらに減り、高級住宅地と生産緑地が混在する世田谷区の消費者と農家ぐらいのものになってしまうだろう。北海道、東北、中四国、九州などにある大都市から離れた産地は倒れるしかない。そのことを考慮せず、正義を語っている気分で「地産地消」を声高に言うだけの無神経さには開いた口がふさがらない。
いや、食生活の改善、生産と消費の構造を組み立て直そうというアイデアは、高い理想として私も反対はしない。問題は、具体的な戦略を棚上げにして理想だけ言うこと、しかもそれだけでなく、その理想に反する現在の状況を誰か他人(ひと)のせいにして、その悪口を言う、攻撃する、そのことに明け暮れているケースが多いことだ。悪者がいて、それに挑む弱者がいるという図式は分かりやすく、人気も得やすいことから、マスコミもこれに荷担しがちなところも、さらに問題だ。
食品添加物をひとくくりにして、その全部を悪いものと考え、これを使うことを悪く言い募ることも、同じ種類の過ちだ。なぜそう考えるか、仮に百歩譲って、理由の説明は将来まで待つことにする。では、それを言う人々の何割が、食品添加物を使わない商品を一般に流通させるために、どんな具体的なアイデアを持っているのか、努力をしているのか。
農薬、化学肥料、食品添加物を使用していないことを、価格維持の口実にしているケースが多いことは嘆かわしいことだ。化学物質を使っていないと言えば、モデレート・プライス(チェーンストアがほとんど扱わない高い価格帯)、ベスト・プライス(さらにその上の高級品の価格帯)でも、ものが売れると考え、それをよしとしている企業が目に付く。最近は農家もこれに気付いて、私から見れば不当に高額な価格で農産物を販売し、鬼の首を取ったような顔をしている生産者が増えている。セミナーの演壇で「金持ちだけ相手にすればいいんですよ」と、直截に言う農家の多いこと。悲しいことだ。
日本にチェーン理論を紹介し、根付かせた日本リテイリングセンターの渥美俊一氏から、かつてこう教わった。「品質を上げること、価格を下げること、それぞれは難しいことではない。品質を上げることと価格を下げることとを同時に実現する方法を見出すことが重要だ。これをイノベーションと言う」。
ポピュラー・プライス(大多数のお客が気軽に買うことができる価格。チェーンストアが主力とする価格帯)で、保存料と合成着色料の不使用を実現した会社のことは、誰もが知っている。この会社のイノベーションについて、食にかかわる人はもっと真剣に考えるべきだ。
「セブン-イレブン」が実現した。セブン-イレブン・ジャパンは、バックヤードに在庫を置かない店舗というものを発明した。これにより、店舗コストを圧縮しながら、商品は1日平均9回という多頻度配送で、高鮮度のものをジャストインタイムで陳列する。
これを突き詰めていったら、弁当・そうざい商品に保存料と合成着色料を使用しないことも特別なコストを顧客に負担させることなく可能になった。「保存料・合成着色料不使用」の広告を打ったとき、競合他社は悲鳴を上げたが、各社不承不承追随している。お客から見れば、業界全体が良くなったことになる。
一方で、トラックの排気ガス、二酸化炭素、騒音など、これから解決すべき課題はあるだろうが、これにはまた別なイノベーションを企画するに違いない。
農薬、化学肥料、食品添加物を攻撃することに熱心な人たちの多くが、コンビニの悪口を言う人とダブっているように見受けられる。請け合ってもいいが、イノベーションに興味のない人たちは、金持ちになることはできても、社会は変えられない。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。