“先生”のビジネス

展示会でのプレゼン風景。研究から技術が生まれ、商品が作られ、販売される。販売までかかわる研究者もいれば、研究室から出ようとしない研究者もいる
展示会でのプレゼン風景。研究から技術が生まれ、商品が作られ、販売される。販売までかかわる研究者もいれば、研究室から出ようとしない研究者もいる

「病気にならない生き方/ミラクル・エンザイムが寿命を決める」(新谷弘実著、サンマーク出版)の続編が出て、これもなかなか好調に売れているようだ。感心して、著者新谷弘実氏のホームページを見て、また感心した。トップページの上部の目立つ位置に、Dr.シンヤ推奨商品販売サイトのバナーが付いている。リンク先は、健康食品などを売るeEコマース・サイトで、「エンザイムX BIO(シンヤ酵素)」という健康食品が主力商品らしい。「すべての健康と美容のベースとなる酵素サプリメント」というキャッチフレーズが付いている。だから私は、同氏が「病気にならない生き方」の中で触れた「さまざまなエンザイムの『原型』となるもの」を遂に発見したのかという錯覚を起こしてしまったが、そういうことは書いていない。

 これを見て、別なある医師のことを思い出した。以下は新谷弘実氏とは関係のない話だ。

 この医師は大学に勤務し、疫学の研究をしていた。健康と食事など生活習慣の関係について独自のアイデアを持っていると聞いて、私は、外食とコンビニエンス・ストアの関係者と一緒に話を聞きに行ったことがある。私がフリーで活動を始める前のことだ。

 しかし実際には、医師の話の大半はnature誌やScience誌にこんな話が載っていた、あるいは他の学者の論文でこんな報告があるといったことで、独自の研究はこれから本格的に行うべく準備中ということだった。ある集落の住民を多年に渡ってモニターし、生活習慣と疾病との関係を統計的に調べたい。それには相当な研究費が必要となる。そこで、外食など食品に関係する企業に協力を求めている――そういう話だ。

 大学の研究への協力と言えば、研究費の寄付、受託研究の依頼や共同研究などの方法があるが、この医師の場合、そうした方法とは別に、ビジネスを立ち上げたいという話を熱心にしていた。医師としての自分の名前をブランドとした食品のシリーズを企業に売ってもらい、そのロイヤルティーを得たい。米国では、そのような事業に関わる研究者が多いのだという。例えばアトキンス式ダイエットのRobert C. Atkins(1930年-2003年)については、ATKINS/ADVANTAGE/THE NEW LOOK OF NUTRITIONという文言で構成する食品のブランドがある。この医師も、まず自分の名前を売り、そしてその名を冠した食品の販売で研究費を稼ぎたい、そういう希望を持っているということだった。

 医師が考えている食品のシリーズは、ある種の機能性食品を含んだ“トクホ”のようなものではなく、生活習慣病を避けるべく、近年の栄養学や疫学の成果に基づいて栄養バランスを考慮した、成分としては普通の食品ということらしかった。商品としてのインパクトには欠けるかも知れないが、発想自体は健全に思える。

 その後、私は医師に面会のお礼を書いてメールで送ったが、返事はなかった。とても忙しいのだろうと推測し、それからしばらくは、そのことを忘れていた。ところがその後、同行した一人と食事をした際、私はあきれてしまった。あの後、この人のもとには医師から立て続けにメールなど連絡があり、あまりに熱烈なアプローチに困惑しているという。

 我々は、恐らく医師はこの人が勤務しているチェーンの販路に期待しているのだろうと推測した。その気持ちは理解できる。だが、“金づる”と見た方には熱心に連絡し、付き合うメリットがなさそうに考えた方にはメールに返事も書かないという、単純であからさまな損得勘定を丸出しにすることはどうか。私はすっかりしらけてしまった。

 医師からは、協力企業を募るための講演会を行いたいので、会場の手配と受講者を集めることに協力して欲しいという依頼があったという。とは言え、依頼されたこの人も相当に忙しい。それで、私にも手伝って欲しいと誘われた。仕事柄、確かにそうしたことも私の得意分野ではある。けれども、この先この医師が誰にどんな不快な思いをさせるかを想像すると、どうしても乗り気になれず、ついに何も協力しないまま時間が過ぎてしまった。この医師はさておき、この年来の友人の力になれなかったことは、今も心残りだ。

 その後、この医師のビジネスのアイデアがどうなったか、独自の研究はスタートできたのかは分からない。

 ここで思うのは、研究者が金の心配をしなければならない、昨今の世の中のせちがらさと、ある種の危うさだ。

 この医師が、自分の研究費を自分で稼ごうとする姿勢に、私たちは当初感心した。しかし、研究者の誰もが商業に携われるだけの社会性を備えているわけではない。ビジネスの中での数字に、誰もが明るいわけでもない。また、コンプライアンスということについて、考えが甘い人もいる。そう考えると、これからはビジネスの上手下手で、研究の進捗ないし継続の可否に差を生じ得るということだ。

 研究者を目指す人が、どの程度そこを自覚し、準備しているかどうか。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →