ビジネスファーマー向けの雑誌「農業経営者」(農業技術通信社)8月号で、「民間育種米で商機をつかめ」とする特集を組んだ。執筆に参加して感心したのは、民間が育成したコメの新品種がコメ流通を変えつつあることと、それによって“コシヒカリ神話”がいずれ“昔話”になっていく予感だ。
昨今新幹線新駅凍結に揺れるJR栗東駅に近い、滋賀県草津市にある中島美雄商店は、もともと地域に根ざした肥料問屋として事業を展開してきた会社だが、今はコメの新品種「夢ごこち」の種もみ供給と収穫したコメの流通で、コメ業界では全国的にその名を知られている。2005年産の流通量は13万tで、米穀店では「コシヒカリを超えるコメ」「幻のコメ」として高値で販売されている。
「夢ごこち」は、三菱化学のグループ企業、植物工学研究所で育成され、95年に品種登録された。当時の品種名は「あみろ17」。品種登録間もない頃、同研究所に取材したときの担当者の熱っぽい話ぶりを覚えている。同研究所ではほかにも多くの品種を開発していたが、特に「あみろ17」は、コシヒカリよりもアミロース値が低い良食味米として、非常な期待がかけられていた。
しかし、“うまい”というだけで新品種の普及が進むわけではない。ほとんどのコメ生産者は、都道府県ごとに決める奨励品種、産地品種銘柄から作付けるコメを選ぶ。それ以外の品種は、種もみが物理的に手に入りにくく、栽培のための情報も十分ではない不安がある。何より、ロットをまとめることに熱心な米卸などの流通業者が興味を持たなければ、そもそも売れない。しかも、「コシヒカリよりも一般に若干収量が落ちる」となれば、農家としては取り組む理由がない。
結局、植物工学研究所では、この品種をうまく普及させることができなかった。
この「幻のコメ」を本当の幻に終わらせる危機から救ったのが、中島美雄商店だった。同社は93年から米穀流通に参入。その後三菱商事の誘いで「あみろ17」改め「夢ごこち」を少量扱い始めた。親しい農家に作付けを依頼し、収穫したものをやはり親しい米問屋に配ったところ、「このコメを手放すな」と言われた。強い商品になると言うのだった。
やがて同社はこの品種に社運をかけるまでに注力するが、従来のコメ流通の常識とは異なる戦略を採った。「夢ごこち」を、例えばコシヒカリのように、全国的に大量に生産されるコメにしようとは考えなかったのだ。
収穫した「夢ごこち」に対して、米問屋や米穀小売店などから高い評価を得られた生産者、産地にさらなる作付けを勧め、それ以外の産地には、別な品種を勧めた。適地適作の基本を守り、最高の品質のものだけが流通するように考えた。
ミルキークイーンなど官製の優良な新品種には、これの逆をやったために、流通の中で評判を落としてしまった品種がある。無理に作付面積を拡大すれば、品種に適さない場所でも作られるし、上手な農家にも下手な農家にも作られることになる。その結果、「良い品種だけれども、品質の悪いものも流通している」ということになり、品種全体のブランド力が落ち、流通サイドから嫌われ、売れなくなる。
2003年、植物工学研究所は、コメの育種事業を中島美雄商店に譲渡した。中島美雄商店は、同研究所がこれまで育種したコメ新品種だけでなく育成技術も継承。これからも、優良な品種を最適な生産者と産地に勧めていくという。生産の現場を知り、消費の現場にも熱心に耳を傾けた結果、新品種のブランドのリーダーシップをとることになったのだ。
「夢ごこち」の場合、収穫したコメは、「自分で売りたい」という農家の約3万tを除き、ほとんどを自社で買い取って流通させている。これはという農家に、不安なく生産に専念してもらう仕組みだ。同時にそれは、製品を企画・設計したメーカーが、信頼できる専門家の工場に製造を委託し、自社の管理の元で販売する、製造業の仕組みにも似ている。
コメなどの農産物の品種は、これまでは生産者サイドが選ぶ時代だった。その結果、コシヒカリなどの少数の品種に人気が集まり、価格競争的な展開となった。しかしこれからは、品種が生産者を選ぶ形が力を持つ時代になっていくはずだ。農業関係者にとっては意外なことかも知れないが、これは他産業では当たり前の仕組みだ。誰もが「レクサス」の部品を供給できるわけではない。誰もが「アルマーニ」の縫製を引き受けられるわけではない。
「選ばれたくない」生産者は、引き続きコシヒカリなどの品種に携わることができる。ただし、これを優位に販売するには、自分で独自のブランドを付けてやる必要がある。以前「コシヒカリ新潟BLの登場が教えたもの」(2005年11月17日)で触れたように、「コシヒカリ」という名称にブランド管理者は不在だった。つまり「コシヒカリ」とは「自動車」「紳士服」と同程度の一般名詞と考えるべきだからだ。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。