トップダウンが招く成長の限界

苗箱を並べる稲葉氏、「育苗の技術は農家一人ひとりが大切にすべき」と言う
苗箱を並べる稲葉氏、「育苗の技術は農家一人ひとりが大切にすべき」と言う

苗箱を並べる稲葉氏、「育苗の技術は農家一人ひとりが大切にすべき」と言う
苗箱を並べる稲葉氏、「育苗の技術は農家一人ひとりが大切にすべき」と言う

案の定と言うべきか、2月23日掲載の「有機農法の普及とGM作物推進に共通する想い」に対して、民間稲作研究所の稲葉光國氏より、ご自身の考えと違うとのお話をいただいた。稲葉氏とGM推進派の「両者が心に抱く思いは同じものに見える」という見方は、全く不本意とのことだった。

 稲葉氏の考えでは、GM(遺伝子組換え)作物を供給する種苗メーカーの狙いは種子の独占であり、そのような方面と思いが同じと言われるのは耐え難いこととのことだった。

 稲葉氏は、自家採種を推奨している。また、近年は水稲育苗を農協や他の農家にアウトソーシングする農家が増えているが、これにも反対の立場だ。自分で採種し、育苗することは、農家が自立した経営を守ることであり、そのための技術を失わないことが重要だと考えているのだ。

 そもそも、農業に関する大学や研究機関が栽培技術を軽視しているという不満もある。栽培には変数が多く、条件と結果の因果関係にどうしてもあいまいさが残る。そのため、栽培技術はとかく“学問”として低く見られがちだと言う。それに比べて育種、さらにはバイテクは“高級”と見られ、人気がある。名前に「農」の付く大学や学部に籍を置きながら、実際に経営されている圃場を見たことがないという研究者が年々増えていることを、稲葉氏は国家的損失につながることと嘆く。

「古来、日本の農家は地域ごとに多様で高度な栽培技術を持っていて、古くから土地土地で文書化されてきた。それが、明治以降は“上から”の農業技術に切り替えられ、土地ごとに育まれた技術の多様さが失われてきた」(稲葉氏)。その“上”に当たる部分が育種偏重、栽培軽視に進んでいることを、稲葉氏は危険なことと考えている。

 話は変わるが、外食チェーンの創業物語に、共通する挿話がある。曰く、職人(料理人)は給料ばかり高く、経営者の言うことを聞かない。そこで、米国で盛んなチェーン理論にならって、店舗段階で調理技術を必要としない仕組みを作った。店舗から技術を取り除いて本部にノウハウを一元化し、商品を画一化したことで、管理は飛躍的に容易になった。これにより、かつては不可能とされた1社で10店以上の店舗展開が可能になった。

 その外食産業、特にチェーンは、いつも人材不足に頭を痛めている。応募者は接客志向であれば店舗勤務を望むが、商品志向であれば必ず商品開発、つまり本部勤務を望む。これは枠に限りがあるため、店舗数の割りにはそうたくさんは採用できない。だから彼らは食品メーカーや、他のクリエイティブ系の仕事へと、方向を変える。

 あるいは、何も知らずに念願の調理担当者として店舗に入った新入社員は、封を切れば下処理の済んだ食材が出てくることに驚き、生の素材の扱い方や下ごしらえは勉強できないと気付き、早々に退職する。

 かくして、外食チェーンのトップは、「最近の社員は創意工夫がない。サラリーマン化している」とため息をつく。……笑い話のようだが、これが私が十数年見てきた外食産業の一面だ。

 日本の戦後稲作史は、これと同様、農家のサラリーマン化推進の歴史だと言える。行政や農協が画一的な技術を“普及”し、種苗も奨励品種として都道府県単位で管理した。これにより、誰でも、かつてより飛躍的に簡単に、水稲作を続けることができるようになり、生産量は伸びた。そして同時に、働き盛りの男手がなくとも営農が可能になり(三チャン農業:ジイチャン、バアチャン、カアチャン)、農村は高度経済成長期の製造業に大量の労働力を供給した。

 しかしその結果として、今、農家は後継者不足にあえいでいるのだ。

 農業や外食に限らず、どんな業種でも、考えることや、一人ひとりが独自の技術を伸ばすことを否定された職種に人は集まらない。一方で、私が出会う農家で「子供が農業を継ぐと言ってくれた」という人の多くは、農協、農業改良普及センター、地方自治体と距離を置いている。独自の栽培技術と経営観を持ち、“指導”など必要ないと考えているからだ。

 いかに優れた技術であろうと、“上から”という形でいく場合には、一定の成長の先に、ある限界に突き当たる。何の研究をするにせよ、誰しもがそのことは意識していなければならない。

 ところで、稲葉氏が自家採種、自家育苗を勧めるのには、もう一つ理由がある。「その仕事の中で作物に生命を感じることは、農業をすることの喜びのはず」と言うのだ。

 外食のトップにインタビューした際、より生産性を上げ、利益率を良くするために、商品の標準化、工程の機械化をもっと進めることができるのではと聞いてみることがある。何人かのトップの回答は、とてもあいまいな言葉だが、印象深く、心を揺さぶられる。「でもね、うちが扱っているのは食べ物ですよ」。――どこまでもクールでドライに食品を扱えば、店の魅力はなくなると言うのだ。

 やって楽しいこと、食べてうれしいもの――それを忘れれば、誰も働かないし、誰も口に入れない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →