これまで農産物の安全性について書いてきたが、次に農産物の品質について考えてみよう。農産物の宣伝文句でよくあるのは、「おいしい」「本物」「栄養価が高い」などだ。まずは、「おいしい」ということについて考えみよう。
おいしいかどうかは食べる人が決めるもの
農産物は食べ物であるから、「おいしい」という惹句はある意味必須かもしれない。しかし、筆者が気になるのは、「おいしい」を主張することが、他は「おいしくない」ことを意味している場合が目につくことだ。農業分野では、これまで書いてきたように間違った情報を根拠とした“ネガティブキャンペーン”が非常に多いと感じている。つまり、化学肥料を使用すると、まずい、本物ではない、等々といった話だ。
味覚というのは、個人の嗜好に依存する部分が大きいので、人によって何がおいしいかは違うということは誰でも知っている。これまで安全について書くなかで、筆者の考え方は示しながら、最終的に何かが安全か危険かを決めるのは読者一人ひとりが決めることだと書いてきた。味についてもこれと同じで、おいしいかおいしくないかを決めるのは食べる人であって、食品を供給する側でない、ということをまず念頭に置きたいと思う。
本質的な議論を言えば、生産側で「おいしい」と宣伝するのはナンセンスで、おいしいかどうかを判断するのは、食べた人ということだ。
わざわざこのような指摘をするのは、「おいしい」には落とし穴があるからだ。
あたり前のことだが、農産物を生産している人で自ら作ったものがまずいと考えている人は少数だ。市場や農協に出荷している人の場合は“一方通行”であるから、自分が作ったものをうまいと信じて疑うことはないだろうとは想像がつく。しかし、消費者とのつながりがあって農産物を販売している人、つまり“双方向”の形で消費者と向かい合っていて、消費者から直接意見を聞ける人の場合でも、自分が作ったものをうまいと思っている人は、多い。
理由は、生産者に面と向かって「これはおいしくない」と言える消費者が少ないためだ(農産物の味に最も厳しいのは、外食やスーパーなどのバイヤーかもしれない)。
味の決め手には面白みがない
農産物についてさまざまなキャンペーンが繰り広げられるのは、おいしさという点で農産物の品質差がつくことは少ないという理由が大きいだろう。筆者はさまざまな現場で農産物を食べる機会があるが、飛び抜けておいしいと感じるものというのは、非常に少ない。
多くの農産物は、新鮮であれば単純においしい。
スイートコーンなどはその代表的なものだ。収穫してすぐ食べると本当においしいのだが、時間が経つに従って味が落ちていく。
味覚を数値化する試みはさまざまあるが、さまざまな要素が総合して生み出される“おいしさ”というのは、数値で表すことは難しい。だからさまざまなキャンペーンが行われたり、生産者それぞれが「うちの野菜はうまい」と信じていたりするわけだが、提供者側の宣伝を鵜呑みにしないための、何らかの指標が必要だろう。
ざっくりとした話ではあるが、どんな農産物がうまいものになるものか、筆者の経験から列挙してみる。
(1)栽培に適した地域・条件で作られていること
(2)旬のもの
(3)新鮮なもの
(4)品種の特徴としてうまい
(5)栽培方法がよい
といった順番になるだろうか。当たり前すぎてつまらないと感じられるかもしれないが、やはりこうなる。
(4)品種というのはかなり決定的に「おいしさ」を決める要因になり得るが、(1)~(3)を無視すれば、本来の品種特性を出せない。
一方、最近は何らかの特徴的な(5)栽培方法をセールスポイントとしている農産物が非常に目につく。しかし、栽培方法によって(1)~(4)による違いを上回る差をつけるのは至難の業だ。
さて、生産側の事情としては上記のとおりとなるが、販売のことを考えると事情が違ってくる。(1)~(4)については、当たり前すぎてあえて語られることは少ない。そこで、現在消費者・需用者に対するアピールで最も力が入れられているのが、(5)の栽培方法ということになる。「一般とは異なる独自の栽培方法であるからうまい」という形の紹介や宣伝は非常に多い。
しかしながら、これが最重要な点であるが、間違いなく、おいしさを語る上で(1)~(4)は本来外せないものだ。たとえどのような栽培方法を用いても、栽培に適さない条件で生産された、旬ではない、新鮮でない、もともとの品種がおいしくない、いずれか一つにでも該当すれば、おいしいものは提供できない。
しかし、消費者・需用者に伝わる情報が専ら(5)の栽培方法ばかりということになれば、彼らはそれを基準にものを選ぼうとするだろう。ここに本来必要な情報と接しやすい情報とのギャップを生じることになる。
※筆者がここで「栽培方法」と書いているのは、「○○農法」のように世にあるさまざまな栽培方法を指す。これは一般論としてのさまざまな栽培方法であり、有機農法をはじめ個々の農法を特定しているわけではない。