強い思いが生んだ強い名前
だが、ディープインパクトのマーケティングのドラマは、この時点から始まっている。馬主となった金子真人氏は、競売時に「この馬の目の輝きに衝撃」を受けた。そして、「多くの人に衝撃を与えるような馬になってほしい」と願う強い気持ちを込めて、ディープインパクトと名付けたのだと言う。
“思いのこもった買い付け”だった。
ビジネスとして第一に学ぶべきは、この“ネーミングのうまさ”と、そこに“込められた思い”である。
マーケティングでは、商品・サービスに対する関係者の“思い”がしっかりと込められていることが大切である。しかも、その“思い”を表すネーミングが行われることで、“思い”は組織の内外に広く伝わり、共有されやすくなり、また実際の商品・サービスとして可視化されることになる。
ここは、商品開発やブランド管理のスタートとして、非常に重要なポイントである。
勝つための人材に恵まれた幸運
金子氏は競馬界でも有名な馬主である。その眼力は間違っていなかったわけだが、ディープインパクトにとってさらに幸運だったことは、金子氏が馬主となった縁から、名伯楽と言われる池江泰郎調教師が運営する厩舎に入厩することができたことである。ここで調教助手として世話をすることになった市川明彦厩務員は、その後ずっと彼の面倒を見続けることになる。
どちらかと言うと気難しい性格のディープインパクトが、賢くうまい競馬をするようになれたのは、まずこの人々との出会いがあったからである。
彼にとってはあと二人、かけがえのない関係者がいる。一人はディープインパクトの現役時代を一貫して騎乗し続けた、当代随一の騎手武豊である。今一人は、蹄に蹄鉄を打ち込む装蹄師、西内荘である。
武豊は競馬好きならずとも知らない人はいないほどの名騎手であるが、この人については一通りではない“勝利に対するこだわり”を銘記すべきだろう。
武豊の勝利へのこだわりを、筆者がはっきりと感じたのは、まさかのハルウララ騎乗の折だった。
ハルウララというのは、生涯成績113戦0勝という“驚異の駑馬(のろい馬)”である。高知競馬で、出るレース出るレース負け続け、一着になったことがないのに、それでも関係者が走らせ続けた。
ところが、その負け続けても一生懸命に走る姿が話題となり、「ハルウララブーム」という社会現象をひき起こした。この馬の姿と自身の人生経験を重ね合わせる人がたくさん現れ、馬券やグッズが、クビにならないことから「リストラ除け」、当たらないことから「交通安全のお守り」などと売れ出し、この馬の出るレースを見るために首都圏など遠方から高知競馬へ出かけるツアーまでもが組まれもした。
さて、理由はどうあれ人気は人気である。人気が出たこの馬に、人気の武豊に騎乗させたいと言う話が浮上するに至った。武は当初嫌だったようだが、結局は引き受けることとなった。
武の勝ちへのこだわりが前面に出たのは、このときのインタビュー時のコメントだった。「こんなおかしなことが競馬界にあること自体がおかしい」「競馬とは勝つために走ることであり、負けたことが競馬で有名になり人気が出ることは異常としか思えない」と答えていたのが深く印象に残っている。
ちなみにこのハルウララは、その後残念なことに馬主と厩舎・調教師の間で方針の食い違いが起こり、“弱い者に夢を与えていた話”が、後味の悪い形で消えてしまった。
もちろん、それはハルウララには責任のない話だ。競走馬の人気にとって、やはり関係者との巡り合いは重要なファクターである。
ディープインパクトに戻ろう。彼の場合、まず、落札価格の安さに比べれば信じられないような一流の関係者を得た。そして、彼自身と彼らによる、“勝つためのコミュニティ”が出来上がったのである。これが、ディープインパクトの第一の幸運である。