時代への対応すなわち変化とは、企業の過去を捨てることだと考えられていることが多いが、それは誤った変化対応だ。強いブランドは、変化への対応そのものをもってブランドの強化を続けてきたのである。
変わることで演出されるべきブランドの価値
前回述べたような時代的、社会的、経済的な変化は、当然に消費者のライフスタイルの変化を招来する。その中で、それに合った新しい商品やサービスが提供できなければ淘汰される一方、新しい商品やサービスを提供するために従来築いてきたブランドを傷つけたり手放したりすれば、凡百のニューカマーたちといちいち同じスタートラインに立つこととなり、コスト高となるだけでなく歴史があることがむしろ“新しさ”を訴える上で不利にさえなる。しかも、それは長年の支持者の価値観を傷つけ、向けられてきたロイヤリティをゴミ箱に捨てることでさえあり、当然に反感を買う。
正しくは、新しい変化に対して、新しい商品やサービスを提供するという変化を自ら起こしながら、そのことがブランドを強化する活動となるように考えなければならない。
そこで必要なことは、商品やサービスが変わることで演出されるべき、そのブランドの“不変の価値”が何であるかを確認することだ。
たとえば屈強な若者がうるわしい女性を守りながら旅を続けるとしよう。そのとき、彼の暴風に対する構え、豪雨に対する構え、雪に対する構え、雷に対する構えはそれぞれに異なる。山を登る装備、海を進む装備もそれぞれ異なる。そこでこの女性が、それぞれの困難に合わせて、山のプロ、次は海のプロと、次々にパートナーを変えるのを若者は黙って見ていてはいけない。構えや装備を選びながら、常にこの同じ若者が共に歩くことに、幸福や愛情を感じてもらわなければならないのである。その感情の源泉は、それぞれの装備でも若者の肉体でもなく、共に歩いたという経験であるはずだ。
ブランドがカスタマーに提供し続け、不変のものと感じてもらうべきものは、そのような経験である。社会にこれだけ大きな変化がありながら、このブランドは変わらず我々と共にあった、と感じてもらうことが、そのブランドを持つ企業と、ブランドのカスタマーと、双方にとっての価値となるのである。したがって、変化に強いブランドは、必ずカスタマーの経験、すなわちモノではなくコトに主眼を置いたものである。
ハードとしてのモノではもろく、これにソフトなコトが相乗的に統合されることで、ブランドは変化に耐え、変化そのものがブランドの価値を強化するのである。
変化への対応のために過去を捨てるパターン
今日、多くの企業が財務上の存続のためになりふり構わぬ事業展開を行っている。存在意義とほとんど同義であった得意分野すなわちドメインを捨ててでも新しい事業に手を出す。成長を期待できるビジネスを求め、新しい技術を開発し、新しい製品をリリースする競争が、加速度を増しながら、しかもグローバルに展開されるようになっている。これは過酷であり、投資は大きく、リスクも大きい。
その一方では、てっとり早く消費者に訴え得る価格競争に重点を置いた商品開発やビジネスモデルの開発が行われ、こちらも止まるところを知らず繰り広げられ、低価格化は過激化している。だが、新価格を設定できる新しいしくみは意外と早くに模倣され、多くの場合市場規模の拡大につながることもない。結局、価格競争が新しい価値を生むこととは希であり、それはデフレ傾向を招くだけのことである。
これらはともに、変化に対応しながら、変化に対応し続ける姿勢を企業とカスタマーが共有する価値として打ち出せていないか、変化への対応のためにいちいち過去を捨てているのである。
日本の高度成長期以来の外食産業の生々流転に、その典型が認められる。
模倣が多い業態はブランドが意識されていない
ファミリーレストランは日本で発明された業態で、家族が週末に外食を楽しめる文化、新しい価値を作ったと言われている。しかし、実際には各社独自のノウハウというものは少なく、また「あのレストランでなければ」と思い続けてもらうことに意図して成功したチェーンは少ない。だから、社会に業態が認知されて数年のうちに雨後の筍のごとく膨大な模倣店が現れ、あっと言う間に市場飽和、店舗過剰の状態に陥った。
近くは、2010年頃から1000円札1枚でベロベロに酔える“せんべろ”なる居酒屋の業態が話題となったが、その後1皿270円均一のチェーンがいくつか現れたと思っていたら、数カ月後には一皿190円均一という一層のデフレ酒場が出現した。これらの新業態は、背景として自社や仕入先等にどのような開発の努力があったとしても、一時的に話題となり持てはやされた後、人々の興味は次の新業態に容易に移るのである。
飛び抜けた集客力、抜群のROI(投資利益率)、大きな話題を呼ぶこと、これらをもって成功と考える人は今日多いようだが、それだけではブランド力を備えた店・チェーンは生まれようがない。その店・チェーンでの経験が顧客の人生に深く関与してくるということが意識され、そこに主眼を置いた事業展開がされない限り、ブランドとしては何も残せはしない。