しばしば“マニュアル批判”はされるが、批判すべき対象はマニュアルそのものよりも、マニュアルを超えようとしない態度である。適切な形でマニュアルを超えた行動が行われるには、正しいマニュアル作りとトレーニングのほかに、理念・原則の徹底がなければならない。
マニュアルは実践され改善されなければならない
“マニュアル批判”はよく行われることである。とくに、古い商人や職人のやり方をよしとする“尚古的”な態度をとるコラムニストはこうした論を好む。
しかし、作業内容や作業結果を規定し、誰もが同じことができることを目指すこと自体は古くからの仕事にも見られることであり、マニュアル自体を“悪”と決めつけることは正しくない。また、本来のマニュアルは、日々の仕事の中で連綿と改善されていくはずのものであり、マニュアルを定めること自体が進歩を止めて停滞を招いたり、仕事の質を悪くしていくものではないはずだ。
問題は、「今あるマニュアルに従えばそれでよい」と考えてしまう“判断停止”の状態である。重要なことは、経営者や作業者一人ひとりがマニュアルの条文や図解を杓子定規にあてはめることに腐心することではなく、“マニュアルの精神”を理解して、柔軟かつ実際に即して(フレキシブル・アンド・プラクティカル)仕事をしていくことだ。
したがって、マニュアルそのものが三現主義と相容れないものではなく、むしろ三現主義のもとで立案、改善、遂行され続けるマニュアルを目指すべきである。
マニュアルによる判断停止状態を警戒せよ
しかしながら、このことは、なんとなく売れ、なんとなく経営が続く中では忘れられがちである。だから、儲かっている組織、現在うまくいっている組織であればこそ、各人が“マニュアルによる判断停止状態”に陥ることを警戒すべきである。
逆に、うまくいかない状態にある組織、危機にある組織は、よい意味で“マニュアルを超える”好機をつかむ可能性を持っている。ただし逆に、粗悪なマニュアルと現実に対応する能力に欠ける構成員という最悪の組み合わせ状態に凝り固まったままの場合、危機は組織の終焉に直結する。
東日本大震災後は、チェーン、企業、行政機関でこの明暗が分かれたと言える。
この国家的な危機の中では、各方面で想定を超える事態が多発した。その中で、目標・目的は平時に作られたマニュアルに盲従することではなく、いかなる手段によってでも現地・現物・現状に合わせて人命や財産や安全をいかに保つかであると見抜く当たり前の思考ができた組織は成果を上げ、そうでない組織は自ら瓦解し、恥辱にまみれさえした。
過去のいくつかの小規模な原発事故の実際的な体験すらも反映されていないマニュアルの中で大混乱を来した東京電力や原子力関係諸機関は後者の例である。
一方、自衛隊、警察、消防、医療関係諸機関や個人、そしてチェーンストアは、大災害時のマニュアルを備えていただけでなく、未曾有すなわちマニュアルにない状況に対応することをあきらめず、刻々とマニュアルを超えていったと言える。この体験が新しい、より強固なマニュアル整備へ結び付いていくのである。
この中に、“マニュアルの精神”、三現主義、個々人の自主性・主体性の重要さを見出し、学ぶべきである。本来マニュアルの上位にあるはずの、理念・原則の重要性とも言える。
マニュアルを超えられたTDR
理念・原則をはずさず、見事に実践したケースとして、東京ディズニーリゾート(TDR)を挙げることができる。
TDRは液状化によって大きな被害を受けた浦安市舞浜地区にある。震災直後、JRはTDR最寄り駅である舞浜駅はじめ拠点駅の閉鎖、駅からの乗客の締め出しを行った。これは非常時のマニュアル通りの対応であっただろうが、結果的に周辺の混乱を招き“帰宅難民”を多発させたのであり、顧客視点、三現主義の態度は不足ないし欠落していたと言える。
このとき、TDRは来園者に放送や各スタッフの口頭で状況を伝え、建物から出ること、建物から離れること、沈着冷静な行動を取ることを求めた。その上で、迅速に施設全体の安全確認を行い、来園者を安全なエリアに誘導した。この移動・誘導では、平時のマニュアルでは部外者立ち入り禁止エリアに指定されている箇所も、現実に合わせて使ったということである。
さらに、園内のショップにある商品を無償で提供し、寒さを少しでも凌ぎやすくするために段ボールや備蓄してあった毛布類、食料、水を配った。
もちろん、TDRの建物、施設の耐震構造のよさも評価されるが、そのマニュアル、理念、トレーニングの徹底ぶりに学ぶべきところは多い。なにしろ、TDRのスタッフの大半は非正規社員である。そのスタッフ一人ひとりが冷静に非常時のマニュアルに従い、随時現場で適確な判断をして対応した。その背景には、マニュアルの完成度の高さ、トレーニングの成果とならんで、理念の浸透度の高さがあったのである。