渥美俊一氏のセミナーは、聴講する企業トップたちも震え上がる、ムードも内容も厳しいものであった。その恐怖感が、チェーン企業の企業文化となっている例もある。しかし、これから必要な人材を育てる教育は、そのスタイルによるものではないはずだ。
震え上がっていたトップたち
今日、さまざまな業界でさまざまなセミナーが行われるようになっていますが、これらは概ね2種類に分けることができます。一つは、事例とヒントを与え、受講者が考えることを促し助けるもの。いま一つは、ある完全な方法を教え、それを間違いなくできるように教えるものです。
後者は何かの資格を得るためのものや、武道など“道”を究めるためのものに見られます。今日、ビジネスセミナーとしては少ないタイプと思われますが、渥美氏が目指した教育とはこの後者を志向したものと言えるでしょう。
その渥美氏のセミナーは、トップ向けのものでもたいへん厳しいものであったと聞きます。
ビジネスパーソンたるもの、遅刻やひとが話している間の居眠りなどあってはならないことではありますが、渥美氏はこれらには鉄槌を下すような強い態度を示されたということです。つまり、立たせる、怒鳴りつける、退場させるという。たとえそれが一企業のトップであってもです。
会員社の事例を紹介する際も、渥美氏が説くものと違う結果になった企業については、徹底的にダメを出し、厳しい口調で、しかも理詰めでいかにダメであるかを論難した。そのため、渥美氏のセミナーはピンと張り詰めた空気で、壇上で渥美氏が怒り出すと聴講しているトップたちは震え上がったそうです。
ダメを言い続ければ縮む
そのようなセミナーを受講して、教育とはそのようであると理解したトップは、自社ではどのように振る舞うでしょうか。教育の場で、会議の場で、部下に対して、やはり同じように厳しく接するでしょう。部下は、さらにその部下に対してやはり同じように厳しく接するでしょう。そして、いちばんの若手社員は、パート・アルバイトに厳しく接するでしょう。
これは容易に想像できることですし、チェーンストアの会議に独特の緊張感は、私も直に接して目撃したことがあります。
これは教え方のスタイル、経営のスタイルですから、善し悪しは言えません。
しかし、そもそも社会人を対象とした教育では、ダメを言い続けて直させるよりも、自信を持たせて自分から行動するように促すほうが、結果はよいものです。自主・自発的な行動は力を持つのです。これは、私自身がかつて社員を怒鳴りつけて怖がられていた時期がある経験上からも、断言できます。
逆に、人のプライドを傷つけることは絶対に避けなければいけません。とくに、ある人を、その人の部下の目の前で叱るようなことも避けなければいけません。それは本人に気の毒なことですし、その人にも、会社全体にも、また厳しく当たったトップ自身にも、いいことはありません。
有能なコストカッターは輩出するはず
渥美氏がチェーンストアを厳格に定義づけ、その理想を実現するための人材に完璧を求め、そのために教育とマニュアルを重視したこと、しかもその教え方が峻厳であったことは、時代的な背景もあるでしょう。
なにしろ、渥美氏は、それまでの日本になかったものを持ち込もうと考えていたわけですから、知らない人には教育するべしと考えたでしょう。
それに、渥美氏は、セミナー受講者の上司ではなく、同じ会社の社員というわけでもありませんから、内部同士では指摘しにくいことをあえて外部からガツンと厳しくあげつらう、そのことに価値があったということはあるでしょう。
また、安全管理や火災や天災などの緊急時の対応の指導にはとくに熱心であったとも聞きます。それは、戦中・戦後の危険の多い世の中を見る中で培われたものであったかもしれません。価格、とくに低価格であることにこだわったことも、物資の少ない時代に生活者を救いたいと考えたことによるはずと言う人もいます。
それは納得できることですし、敬意も抱きます。
しかし、繰り返し述べているとおり、時代は変わったのです。生活者もチェーンで働く人も、持っているもの、持ちたいもの、ライフスタイル、働き方の考え方などなどが、かつての欠乏の時代とは違うのです。
それに対して、渥美式チェーンストアの教育で今日どのような人が育てられるでしょうか。おそらく、冷徹に機械的に働く人の集団、有能なコストカッターたちは育成されるでしょう。半面、今求められているライフスタイルの優れた提案者は、あまり生まれないものと思われます。