前回北海道に帰った時のお話の続きになるけれど……。
皿盛りのプリンスメロンとプラムと
先日北海道に行ったのは、自分の家の法事があったから。父が死んでからもう23年なんて、ずいぶんあっという間だった気がする。
あの日、23年前の6月30日の東京。ちょっと暑くなって、「夏用背広でも重いなぁ」と思っていた頃。会社に戻って来たら、親戚から連絡があった。そこから23年。早いと言えば早いし、長いといえば長い年月。あれからいろいろあったけれど、もともと7月に家族のイベントが詰まっていたから、法事も7月の行事のように思いながら暮らしていた。
この23回忌が、家族の、いろいろな節目になった気がする。いい意味でも悪い意味でも、人はいろいろなことを忘れ、そして日々を重ねていく。そうじゃないと、辛すぎて、苦しすぎるから。
法事のためにお寺に向かい、館内に入った瞬間、果物とお線香の匂いがしてきた。
ああ、そうだ。
あれは、夏の匂い。お盆の匂い。
小さい頃、母方の郷里が北海道の中でも、“字”がつく田舎だったため、毎年、お盆には車で何時間もかけて家族で出向いた。当時、まだまだ未整備の道路で、激しく蛇行しながら時間をかけて、山を縫い谷を越えをしなければ到着しなかった。その行程と、馬力があまりなかった我が家の車のおかげで、自分は必ず目を回し、気持ち悪くなって嘔吐していた。どうしてこんな目に合わなければならないのか、どうして我慢しなければならないのか、子供ながらに、大いに不満に思っていたのだった。
母方の田舎は、ちょっと複雑な家族構成だったけれど、やはり子供の自分を歓待してくれた。ゲンキンなもので、チヤホヤされると途端にゴキゲンになった自分は、そこでも“小さな王”のように振舞いながら、大人たちを翻弄していた。
そんな小皇帝が君臨し、一日の中で最も長い時間を過ごしていたのが、家の中でいちばん立派な部屋――仏間だった。
田舎では、お盆を中心として家族が集まり、仏壇の前は静かなお祭り騒ぎの場所となる。帰省したたくさんの家族がお供え、お盆用の干菓子を詰み、仏壇の両側に果物を山と積んでいく。
自分が幼いころの夏の果物といえば、第一にスイカだが、不思議と仏壇の周りには置かれなかった気がする。一方、必ずあったのが、ゆでたトウキビ(道産子はトウモロコシとは言わない)と、プラムとプリンスメロン。それらを、果物籠ではなく、皿に直に盛る。
仏間は、果物の独特の匂いと共に、絶えず焚かれていた線香が混じった匂いがしていた。
クーラーもなく、戸を開け放ち、風を入れながら長い長い読経を聞いていた、あの頃のお盆。大人たちがたくさん並ぶ中で、プラムとプリンスメロンの、甘ったるく、ちょっと切ない匂いがずっと自分の周りにあったように思う。
失われた景色・失われた匂い
ところが、今年嗅いだ匂いは、微妙に違った。
昔より、鮮烈な、ちょっと刺激的な匂いだった。
寺の中を進み、法要の場所に行くと、仏壇の周りには、やっぱり果物籠と線香の煙があった。違うのは、その果物籠の中身。本州でもよくある、立派そうな、マスクメロンとスイカとカラフルな果物に彩られ、セロファンで覆われた籠。そこには、プラムもプリンスメロンもない。
「あれ? プラムとかプリンスメロンとかないの?」
親戚に聞くと、当たり前のように「ああ、最近は、あんまり見なくなったかねえ」と返ってきた。
東京ではもちろん、ほとんど見たことはない。そうか、あの果物たちも、今は、半分、幻のようになっているのか……。
法事が終ると、せっかくだから、と田舎にできた寿司屋通りに向かった。
地元の人間より観光客相手が主体の店が並ぶそのあたりは、自分が知っている郷里とは違っていた。
駅前は閑散とし、昔からあった純喫茶の「館」はついに閉店し、旧商店街のアーケード街は、シャッター通りになっていた。
自分も、いつの間にか50に近い年齢になってきた。幼い頃の記憶はあいまいにぼやけ、断片だけが、切なく残る。
昔、母親たちと行った東小樽海水浴場も、海岸だけがかすかに残るだけで、当時のキラキラした“海”の風景は見えなくなってきている。
昔の記憶や楽しかった思い出も、幻のように自分の頭の中にだけあるのか……。
郷里を離れる時、どこからかプラムとプリンスメロンと線香の匂いがしたような気がして、切なかった。