ハロウィーンと北海道の七夕
街の灯りやイルミネーションは、早クリスマス仕様。
いつの間にか、ハロウィーンが終ったらクリスマスモードという、欧米のような状態になってしまった。
誰が先導したかわからないが、これもまた、資本主義、というやつなのだろうか。
余談だけれど、ハロウィーンというイベントも最近ぐっと身近になった。家々を回ってお菓子をもらうというのは、自分の故郷の北海道では、七夕の風習だったのに――郷里では、地域の子供たちが旧暦の七夕に、連れだって提灯をかざしながら家々を回る。玄関先で「ろうそくだーせー、だーせー、だーせー、だーさーないばかっちゃくぞ」(かっちゃく=引っ掻くの北海道弁)を子供たちで唱えると、扉が開いてろうそくとお菓子をもらえた喜び……。いまどきのハロウィーンのように仮装するわけでもなく、大人もバカ騒ぎするわけでもない、とても牧歌的で、素朴な風習。
あのころのろうそく集めと、ハロウィーンを比較して、げんなりしてしまうのは、単なる中年オヤジの郷愁かもしれないが……。
小樽のクリスマスは「なると」さんの鶏
自分たちの小さい頃のクリスマスは、家族で過ごす、と決まっていた。
家族で集まり、夜にささやかなごちそうを食べる。
そこには、滅多に食べられなかったケーキや鶏の丸焼きが並べられ、とてもとても贅沢で大切な気持ちになったものだ。
自分の故郷の小樽市では、鶏の丸焼きというと「なると」のものと決まっていた。今でこそ、観光名所のようになり、全国の物産展にも出店しているお店だが、当時は、地元客相手の、鶏焼きが名物だった食堂。地元の人間は親しみを込めて「なるとさん」と呼んでいた。
クリスマスには、その「なると」の鶏の丸焼きや半身を買って来て、食卓に並べる。それが、ずっと、小樽の平均的なクリスマスの過ごし方だった。
あの年までは。
「ケンタッキー」に行列の衝撃
それは、忘れもしない、自分が小学校5年生の冬。
駅前に、見慣れない、白と赤で装飾された、店先に大きなおじいさんの像が立っているハイカラな店が開店した。
「ケンタッキーフライドチキン」。
赤々と書かれた店名、店先のにぎやかな呼び込みやアドバルーン。
小樽市にも「ケンタッキーフライドチキン」が進出してきたのだった。
開店は、クリスマスの直前と記憶している。
周囲の大人でさえ、「あの店の鶏、食ったか?」と口々に話をし、クリスマスには、なんと延々と行列が出来たのである。
いまでこそ、クリスマスの「ケンタッキーフライドチキン」の行列は当たり前になってるけれど、フライドチキンを買うために、雪まじりの空の下、並ぶ人々の姿という初めて見る光景に圧倒されてしまった。
と、同時に、どうしてもあのフライドチキンを食べたくなったのである。
両親に拝み倒して、列の最後尾に並んだ。
小学校5年生は「ケンタッキー」に夢中に
買えたのは、2時間後と記憶してる。
それでも、未知の“フライドチキン”を食べられるうれしさで雪の寒さも、気にならなかった。
家に帰り、持ち帰り用の紙の箱を開けると、その中には今まで見たことのない鶏料理があった。特徴的なピースが5つほど。それを見るだけでドキドキした。
夕食の時間になって、他のおかずとと共に手を伸ばす。
一口食べて、そのやわらかさと、スパイシーな味にびっくりした!
そして、夢中になって、2つを一気に平らげ、「もうないの?」と残念そうに聞いた。
こんなおいしい鶏料理は食べたことがなかったから。
「なると」さんの素材を生かした「鶏の丸焼き」より、ケンタッキーの、スパイスたっぷりで味の刺激も強かったフライドチキンが新鮮で、はるかに、おいしいように思った。
「これからは、毎年、クリスマスはケンタッキーがいい!」とねだる小学5年生の自分。
クリスマスぐらいはいいだろう、と受け入れてくれた両親。
そこからクリスマスの鶏料理はケンタッキーフライドチキンになった。
家族と家で過ごしたクリスマスを想う
ただ、喜んだのは数年で、味にも慣れて、それほどスペシャル感もなくなり、中学に通うころになると親と過ごすクリスマスもおっくうになっていった。
自分の、素朴で、幸せなクリスマスはあの夜を境になくなっていったように思う。
小学生の子供口には、刺激いっぱいのケンタッキーのほうが、「なると」の鶏の丸焼きのように素材を生かしつつじっくり焼いた鶏料理より、一見、受け入れやすい。
そのときに、自分が、どれだけ貴重なものを、手放すことになったのか……。
50も目前になった今だからこそ、わかるのだ。
今年もクリスマスがやってくる。
今年は、せめて、ケンタッキーではなく、手製の鶏料理を味わってみるのも悪くないだろう。
もっとも、仕事が忙しくて、チキンどころじゃないかもしれないけれど。