世間では学生さんは夏休みのようですし、社会人でも夏休みの方は多い季節ですが、こちらは相変わらずの仕事状態。いや、まぁ、忙しいのが華なのでうれしいことはうれしいのですが……。自転車通勤は相変わらず快調、懸命に駆けたあと到着地で汗を拭いながら飲むスポーツドリンクのおいしいこと! 頭がじんわりして、脳内麻薬も出まくってまことにケッコー、なのです。日射病対策だけ、きちんとしたいと思っています~。
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初めての海水浴
旧盆(月遅れのお盆)の季節。周りを見ても、帰省したり、夏休みを取ったり、世の中全体が浮ついているような時期だ。今年はその上オリンピックがあるから、“五輪寝不足”の同僚もたくさん見る。
ちょうど仕事でイベントに忙殺されている今年、自分は、ちょっと世間とは気分が違う気もするけれど……。
この時期になると思い出すのが、郷里の北海道小樽市の海水浴だ。
それも、本当に小さい頃、小学校や幼稚園に上がるより前。4歳ごろに母親やその友達に連れられていった記憶なのだ。
本州以西のみなさんには意外かもしれないが、北海道でも夏の海水浴は盛ん。とくに郷里の小樽市には、蘭島海水浴場という砂浜が何㎞も続くような行楽スポットがある。
ただ、不思議と、この時期に思い出すのは、そんな賑やかな海水浴場ではなく、東小樽海水浴場という比較的小さな海岸での話。
こちらの海岸、当時は、小さな石が均されただけのような、あまり整備されてない感じのところだった。それでも、母親やその友達の大人と海水浴! というだけで、ようやく思考が始まったばかりのような自分の中では、一大イベントだったのだろう。列車で3駅ほどのそこに行くまでの間、とてもドキドキしていた記憶がある。
どうしてあの小さな頃の一日を強烈に覚えているのだろう。
4歳の自分、何もわからないこども。
若い母。その母の女友達。
その当時、営業マンで出張ばかりしていた父親は不在だった気がする。
母親の水着姿も初めてなら、「海水浴」というイベント自体もそれ以前は記憶にない。
わけもわからず、濁ったような波打ち際に出て、波と戯れていた。波打ち際の海水を、飽きるまで、何度も、何度も、叩いていては、そのしぶきが上がるのを見ていた。
母親たちも、楽しそうで、夏の青空と、きらきら輝く水滴が光っていた。
水を飲んだ後のおでん
ふいに、母親に海に連れていかれる。
背が立ちそうにない場所で、手を離される。
どぶん、と海にしずんでしまう自分。
一瞬体験した海の中の不思議な感覚を覚えている。
それでも不思議に怖くなかった。
そばに母親がちゃんといたから。
絶対に自分を見てくれている、という安心感があったから。
水中から引き上げられると、自分は、大きな声ではしゃいだ。
はしゃぎながら、空の青さと水滴の輝きを堪能していた。
そして、休憩時間。
海の家にでも行ったのだろう。
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記憶は唐突に、よしずの中で、母親たちとおでんを食べているシーンにつながる。
これまた知らない人は知らないかもしれないが、北海道のおでん、とくに縁日や屋台、そして海の家で売られているおでんは、串おでんだ。
具は、三角こんにゃく、そしてせいぜい角天の揚げカマボコ。それを串で刺して、水で煮て、そのまま甘いみそダレをかけただけの単純なものだ。
このみそ串おでんとでも言えるものが、北海道出身者の夏の海の家の定番メニューになっている。
そのときにも、この串おでんを食べた。
あつあつのコンニャクが甘いみそダレに漬かっている。
ほんのささやかな品なのに、海水を飲みこんだ自分には、極上の味に思えた。
何本も、何本も、食べた気がする。
「アンタは、変なもの、好きだねぇ」と笑いながらあきれていた母親の声を覚えている。
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ぷるんぷるんと口の中で跳ね回るコンニャクの感触を今でも忘れない。
あのとき、絶対的な幸せが、あった気がする。
なにもわからず、小さな自分の身を、ただ、ただ、幸せが包んでいた。
あの日の記憶が、この歳になって、夏になると、ふと思い出される。
もう、帰ってこない、心からの幸せの日。
その日を思い出すと、心の奥が、ちょっとギューッと締め付けられ、戻るのに、ちょっと時間がかかる。