サービス料を請求するレストランやホテルがあります。これまでお話しした、店が提供する“お金であがなえるもの”=基礎付加価値と“お金であがなえないもの”=メタ付加価値の違いから、サービス料とは何であるのかと、それに似たチップというものについて考えてみましょう。
「サービス料」はサービスを測定可能なものと宣言するもの
「サービス」という言葉は、日本の飲食店ではだいたい以下の3つの意味で使われています。
●「サービス」という言葉の意味
(1)単純に食事の注文を取ってそれを的確に提供するという機能的な意味での給仕。
(2)お客に情緒的な満足を与えるもてなしを意味するホスピタリティ。
(3)値引きを意味する“お負け”“勉強”。
それで、「サービス」という言葉は、この3つが混同されがちです。
しかし、「サービス料」の「サービス」は、「飲食代金の○○%」のようにほとんどの場合一律のものとして明確に設定されるものですから、そうした飲食店やホテルで「サービス料」を求める根拠となる「サービス」とは、量や価格が測定可能なものであるという宣言になります。
ですから、「サービス料」の「サービス」とは、主に(1)の機能的な意味での給仕の対価と考えていいでしょう。つまり、「サービス料」を取る「サービス」はメタ付加価値ではなく、基礎付加価値であるということです。伝票に「サービス料○○円」と記されることは、いわば自動車修理の際の見積書に「工賃」が記されるのと同じことというわけです。
サービス料は欧米などに見られるチップを日本なりに制度化したものとも言われますが、チップとは少々意味合いが異なります。と言うのも、チップはお客の店に対する評価のニュアンスを込め得るものですが、サービス料の金額決定権は店が持ち、店が一方的に支払いを求めるものですから、これにお客による積極的な評価は含まれていません。
ドライでクールな制度と言えます。
もちろんそれには、料理人だけでなくサービス担当者にも、「はっきりと対価を頂戴しているのだから」と襟を正して仕事をしてほしいという経営者の願いが込められているかもしれません。とは言え、今日の日本の消費者、一般のお客にとっては飲食店やホテルについてわかりにくいものの一つとなっているでしょう。
チップは“上から”
チップについて概観しておきましょう。日本でも、お客にチップを支払うようにと説明を表示するレストランが、1990年代などに登場しました。これは日本の外食シーンへの一つの提案だったでしょう。しかし、これが普及して一般化することはありませんでした。日本の消費者は、サービスに対する評価を金銭で表現することが苦手だったのでしょう。
一方、日本でもチップの習慣が浸透している業界があります。たとえば、旅館や観光バスの利用では、客室接客係(仲居さん)やドライバーにポチ袋にいくばくかのお金を入れて渡す習慣があります。これは多くの場合事後ではなく事前に渡すものですから、相手に対する評価というよりも、お客がサービス提供者のご機嫌を取るためのものと言えます。
「心付け」という言葉も使われます。この言葉は、「気に留めてあげること」あるいはその印を意味します。つまり、お金持ちが“下々”に振る舞うもののニュアンスがあります。つまり、“上からな感じ”ということです。
アメリカの小話にこんなものがあります。若い金持ちが名だたるホテルで食事を終えて、ウェイターを呼びつける。「君、この店で今までいちばん高いチップはいくらだったかね?」と尋ねると、さすがの若者も少々たじろぐ金額が伝えられる。それでも若者は、それよりもちょっと高いチップを手渡す。表情一つ変えずに受け取るウェイターに、彼は「さてと。で、私に次いで2番目に高いチップを払ったことになるその人とは、いったいどこのどいつなんだい?」と尋ねます。ウェイターが答えて曰く、「はい。お客様でございます」と。
この話は、チップが、このように見栄や、お客が店の従業員の心を引きつけるために支払われることもあったことを伝えています。
いずれにせよ、日本でも定着しているタイプのチップは、遊郭で行われていた制度や習慣の名残りか、開国以降に外国の高官や富豪が観光をしたときに出来た習慣の名残りなのでしょう。
それは、「チップ」と言われていますが、むしろ、アジア諸国やアフリカ諸国を旅行する人にはおなじみのチャイと同じものと言えるでしょう。行列を待っているとき、係の人に少々の金を握らせると順番が前に進んだり、警官に難癖をつけられたときに同じことをするとニッコリ笑って近所まで送ってくれさえする、あのチャイ(インドのミルクティーのチャイに由来)です。
では、そうしたチップなりチャイなりが、日本の飲食店や都市型のホテルには定着しなかったのはなぜなのでしょう。
(つづく)