前回までに、アンダーマイニングや死神の話を紹介し、店には頼るべきではない集客方法と好ましくないお客が存在するというお話をしてきました。さらに、招かれざるお客は他にもあります。
「Hanako」で店が壊れる恐怖
バブル景気華やかなりしころの1988年、雑誌「Hanako」(マガジンハウス)が創刊されました。「日本初のリージョナルマガジン」というキャッチフレーズだった記憶がありますが、首都圏で働く20代後半の女性をターゲットとする雑誌でした。首都圏のフードやファッション、リゾート、それから当時猫も杓子もだった財テクの情報なども載っていました。
しばらくすると、同誌に載った店にお客が殺到するということで、外食業界でも非常に注目されるようになりました。同誌は、その後ティラミス、クレームブリュレ、ナタデココなどを発掘して火をつけた雑誌でもあり、食の仕事でも無視できない媒体だったのです。
ところが、取材先ではどうもウケがよくないというか、同誌に取材されることを警戒している店やチェーンがけっこうありました。理由を尋ねると、「店が壊れる」というのです。なぜでしょう。
現れた大量の“食べ歩き人口”
昔、勤労婦人福祉法という法律があって、これが1986年に改正されて男女雇用機会均等法というものになります。
今日では信じられないことですが、これ以前は女性の就職が“腰掛け”(結婚するまでの数年間だけ勤める)と見られることが多く、大企業で女性の総合職というキャリアプランが希であったり、女性社員全般の給与レベルが低かったりということがありました。
この法律は、そういうものではないというルールを定めたもので、これによって世の中が一気に変わったとも言えないのですが、一応これをきっかけに、男性も女性も同じようにスタートラインに立ち、同じように働いて同じように給料をもらうという時代になりました。
これ以前に「独身貴族」という言葉があって、結婚前の若い男性は稼いだお金を全部自分自身にだけ使えるということで言われたのですが、男女雇用機会均等法以降は、若い女性もそれと同じかそれ以上に可処分所得がある、消費力がある存在として台頭したわけです。
この頃、有名な女性誌が相次いで登場するのですが、「Hanako」の場合、ファッションだけでなく遊ぶ、食べるなどの行動につながる記事が多く、薄くて気軽に読めることもあって人気を博したのです。
そして世はバブル。「月刊食堂」編集部にいた私の机にも、毎日新店オープンのニュースリリースが分厚い束になって届いていました。そうした新店や、首都圏各地の同誌お薦めの店が、大きな記事、小さな記事で紹介されました。
世にフードの情報があふれはじめ、大量の“食べ歩き人口”が出現したのは、この時期です。新店を訪ねて回る人というのは、それ以前にも大学生をはじめとしていなかったわけではありません。しかし、「Hanako」の時代は、女性客一人ひとりの財布の中身の金額が違います。彼女たちはお茶を飲むだけでなく、酒も飲めば、けっこう高価な料理も食べる。高価すぎれば男友達や上司をつついておごらせる。
ここでポイントは、彼女たちは単に「食べる」のではなく「食べ歩く」という点です。ここで食べたら、次はあちらでと歩いて行ってしまう。浮気というか、ある店に留まる意思に欠けるのです。それで、毎週末(ハナモクという言葉が生まれたのもバブルの頃です)に次はどんな店に行ってみるか、「Hanako」を読んで決めたというわけです。
飲み、食い、消えていった彼女たち
さて、「店が壊れる」とは何か?
「Hanako」を読んだ人たちは、その週か翌週に集中的に来店するのです。すると、静かに営業していたある店に、突然、黒山の人だかりが出来る。そうして集まって来た人たちは初めての来店です。しかも20代でいろいろな食べ物を熟知しているとも言えない人たちです。何しろ、知らない店でまだ知らない食体験をしようと来店しているのです。それで、オーダーするまでにああでもないこうでもないと悩む。ものによっては、店の人が説明する必要があったりする。かと思えば、ドリンクとサイドメニューで長居するグループもある。その結果、オペレーションは乱れまくり、食材はショートすること請け合いです。
そんな大混乱の中、もともとの得意客がいつもの通りにふらりとやって来る。しかし、店の前の行列を見て「あっ」と声を上げ、きびすを返してその場を去る。あるいは、果敢に入店して座ってみたところで、普段の雰囲気ではありません。若い女性の甲高い声のおしゃべりや笑い声、そして当時人気の何種類かの高価な香水の混じった匂い。
店の人はいつものようにかまってくれない。やっとつかまえてオーダーしようとすると、「すいません。今日は品切れです」と。これで得意客は「二度と来るか、こんな店!」となってしまう。
翌週以降どうなるか。まず、得意客が来なくなります。そしてこれが重要な点ですが、「Hanako」を見て来店するお客は、ほとんどリピートしないのです。彼女たちは「新しい店」「自分が知らない店」を探して、「そこへ一度は行ってみる」ことを楽しんでいるのであって、「私に合うお店を探す」ということをしているわけではなかったので。
だから、掲載日から1~2週間空前の繁盛を見た後、この店には誰も来なくなります。つまり、「店が壊れる」ということです。「『Hanako』を見たお客が来た後はペンペン草も生えない」と、ある店のオーナーは肩をすくめて言ったものです。
それで「雑誌編集者に見つけてもらえたのはうれしいけれど、でも載りたくない」という店が現れ始めました。ところが、雑誌編集者も優秀ですし、若い女性たちの探求心も強いものです。やがて使われ出した、飲食店の魅力を表す新しいキーワードが、「取材拒否の店」「隠れ家」「看板のない店」などです。なんと恐ろしい。
なお、「Hanako」の名誉のために言っておきますが、こうした現象は何も雑誌が悪意で起こしたことではなく、この時代がこうした消費を志向し、雑誌はそうした消費者の行動に的確に応えたのだと理解してください。そして同様に利用される雑誌はその後増えました。
そう、そのようにイナゴの大群が襲ってくるようなことは、かつては店にとっては脅威でした。首都圏の飲食店の間では「Hanako現象」とも呼ばれ、恐れられたものです。それというのも、あの頃は、開店していればまあお客は来るものという店が多かったので。適度に回転してくれるのがいちばんいいと考える経営者が多い時代だったのです。
1992年6月までは。
金融や不動産業界では、92年以前にバブルは崩壊したことがわかっていました。しかし、それが他業界に波及し、ついに消費者レベルで実感されたのが、その月です。そのゴールデンウイークに、日本の消費者たちは最後の大盤振る舞いの外食を楽しみ、6月から20年の冬眠に入ったのです。
外食業界は、それ以降、値下げ、低価格業態の開発に血道を上げ、また割引券付きのチラシの配布やDMの発送に力を入れ、その後登場したグルメサイトへの登録、クーポン誌、無代誌への広告出稿などを盛んに利用するようになりました。
これらには上手な利用のしかたももちろんあるわけですが、多くの店が使い方を誤り、「Hanako現象」に類似した状況を、コストをかけてわざわざ誘発しているように見えます。どういうことか、次回説明しましょう。