値下げするとお客が減るのはなぜか?(2)価格は他店との比較で決めるものではない

前回予告したとおり、「値下げするとお客が減る」ことの本論に入る前に、“戦略的低価格化”と“戦術的低価格化”とは異なるということを説明します。

日本の外食産業黎明期に発明されたファミリーレストラン

“戦略的低価格化”の例としてまず、ファミリーレストランを挙げましょう。

 この日本独自の業態を最初に完成させたのは1970年に1号店を出店した「すかいらーく」です。その1年前に「ロイヤルホスト」が福岡に1号店を出店していますが、この店舗には焼肉コーナーがあるなど、今日のファミリーレストランとはやや異なるものでした。しかし、その後ファミリーレストランとして業態を整備し、東京に進出してきます。両チェーンと合わせて“ファミリーレストラン御三家”と呼ばれたもう一つ、「デニーズ」が日本での展開を開始したのは1973年です。

 実は、アメリカの「デニーズ」は日本の「デニーズ」とは業態が異なります。アメリカの「デニーズ」は、商品もターゲットとするニーズも少々異なるコーヒーショップという業態です。アメリカのコーヒーショップとはどのようなものか、一口で言えば“ホテルの朝食メニューを全営業時間帯に提供し、コーヒーは注ぎ足して何杯でも飲ませる”というものです。すなわち、料理は玉子料理、ハム・ソーセージ、パン、パンケーキなどを中心とするもので、多くはワン・プレートで提供します。

 近年の一時期、「ロイヤルホスト」が「グランドスラム」というメニューを提供していました。「グランドスラム」は、玉子料理、ベーコン、ソーセージ、パンケーキなどを1皿に盛り付けたもので、これはアメリカの「デニーズ」の看板商品でした。古参の外食関係者にとっては、アメリカ視察に行った際、“これぞコーヒーショップの商品”ということでほぼ必ず注文した思い出深いメニューです。

 日本の起業家たちが外食ビジネスを学ぼうと盛んにアメリカ視察を行うようになったのは、1960年に池田内閣が所得倍増計画を発表してからです。消費者の所得が増加すれば余暇消費が伸びるはずで、その中心となるものが外食であると考えられたためです。

 ちなみに、戦後日本で海外渡航が自由化されたのは1964年ですから、当時アメリカ視察に行くというのは物見遊山どころか並みの覚悟と準備ではなかったことは覚えていてください。

休日に家族で5000円未満の価格を狙った

 さて、アメリカとくに西海岸の外食事情を視察した人たちは、もちろん「マクドナルド」や「ケンタッキーフライドチキン」のようなファストフードも見たわけですが、こちらは商品が日本人に合うのか、ピンと来ない人も多かったでしょう。それに対して、テーブルサービスで皿に盛った料理を出すコーヒーショップに日本での展開の可能性を感じた人は多かったはずです。

 ところが、日本でコーヒーショップを展開するには問題がありました。アメリカのコーヒーショップのメインのお客は、車で移動するビジネスパーソンでした。したがって、平日にも稼ぐ業態と言えます。しかし、その頃の日本は自動車が売れ始めたとは言え、まださほどの台数ではありません。しかも、人口の多い首都圏では、ビジネスパーソンの移動手段は電車がメインです。アメリカのコーヒーショップの完全なコピーを日本に持ち込んでも、成立は難しいと考えられました。

 しかし、都心から離れた地域には若い家族を対象とした住宅地が生まれてきていました。たとえば、首都圏なら東京の多摩地区や、埼玉県、千葉県などの通勤圏に新しく開発した住宅街などです。この立地をサバブと言います。そこの住人たちは、休日には自動車を使います。ですから、サバブに車で来店できる店を作り、休日に家族で食事を楽しめるようにすれば、集客は狙えたのです。そのため、店舗の構造や仕組みはコーヒーショップで、提供するものは家族の休日の食事というアイデアが生まれます。これが日本のファミリーレストランです。

 さて、車で利用できるレストラン、つまりドライブインの先駆けは、1961年に小田原に出来た「トヨペットサービスセンター」だと言われています。以降、各地にドライブインが出来てきましたが、その多くは住宅地から遠く、ターゲットはトラックなど業務で運転するドライバーで、しかも商品の価格はそう安くはありませんでした。

 これに対して、ファミリーレストランは住宅地の中か、それに隣接する幹線道路のそばです。そして、商品の価格が、既存のドライブインや中心街の有名なレストランやホテルよりも安かったのです。

 ここがポイントです。他の業態よりも“安いから”、ファミリーレストランは成功したと見るのは、表層的です。なぜなら、その“他の業態”は、同じ立地で同じターゲットを狙う競合ではなかったからです。

 ファミリーレストランが成功したのは、他の業態に競り勝ったのではなく、ライバルのいないところへ進出したからです。ライバルがいないところで価格競争は起きません。考えるべきことは「あの店より安いか高いか」ではなく、「来てほしい人たちが支払やすい金額かどうか」です。

 そこでファミリーレストランがターゲットとした客単価は900円台というものでした。これであれば、乗用車の定員まで、つまり4~5人で来店して食事を楽しみ、5000円札でお釣りが来るという形になり、1家族が毎月のように、あるいはもっと高頻度で来店しても負担を感じずに済むと踏んだわけです。そこで、1人の支払額がそのようになるように、メニュー構成が考えられました。

 繰り返しますが、この価格は結果的には“都心の洋食店やホテルより安い”ということはあったにせよ、決して“よそより安く”という形で考えられたのではなく、先行する競合店のない立地で自由に設定した価格だったのです。

狙った価格を実現するための仕組み作り

 では、どのようにその価格を実現したのか。これは単純ではなく、いくつもの方法を複合して実現しました。

「すかいらーく」の初期のヒットメニューは、ハンバーグとエビフライの盛り合わせにご飯がつくというものでした。この“ご飯”は見過ごされがちですが、注目すべき点でしょう。今日、私たちは毎日当たり前のようにご飯を食べていますが、ごちそうを食べる外食では肉・魚をメインとして、ご飯は頼まれれば出す程度に用意する手もあったはずです。しかし、「すかいらーく」はその後も一貫して「ご飯に合う」ことをメニュー開発の基本コンセプトに据えていました。これは肉・魚・野菜だけでお腹いっぱいになってもらうよりも原価率を抑えることにも役立ったはずです。

 そして、展開開始の最初から多店化を前提としていました。店を多くすることで、バイイングパワーをつけ、食材を生産者あるいは生産者により近い企業から直接、より安価に買い付けることができます。

 一方、料理はセントラルキッチンである程度の調理を集中的に済ませ、店舗では焼く、揚げるなど、より単純な調理だけを行うようにします。セントラルキッチンは店舗よりも地価の安い場所に置きます。

 これによるメリットは大きく2つが挙げられます。

 まず、店舗の厨房面積を圧縮して客席数をより多く確保することができます。つまり、コストを使う箇所(コストセンター的な部分)よりも、売上げを上げ利益を生み出す箇所(プロフィットセンター的な部分)を広くし、セントラルキッチンよりも地価が高い店舗の稼ぐ力を伸ばします。

 また、店舗の厨房担当者は熟練した料理人である必要はなく、マニュアルに従って短期間のトレーニングを受ければ誰でも働けるようにできます。すると、高給を取るプロの料理人を各店舗に配置する必要はなく、パート・アルバイトに担当させることができます。

 パート・アルバイトのメリットは、単にプロよりも時給が安いというだけではありません。飲食店というものは、常に一定の数のお客がまんべんなく来店するものではありません。そこで、お客がたくさん来る日や時間帯にはパート・アルバイトを多く当て、お客があまり来ない日や時間帯にはパート・アルバイトを当てる数を減らすということができます。したがって、予想される売上高に応じて人件費を多く使ったり、少なくしたりすることができます。これを“人件費の変動費化”と言います。

 一方、店舗は自社で持たないようにします。店舗を作っていったん売却し、売った相手にリース料を支払いながら利用する形をリースバック方式と言いますが、日本ではそれに似た「すかいらーく方式」という契約も行われるようになりました。これは、土地所有者に店舗を建ててもらって、そこに店子として入って家賃を支払いながら店舗を運営するというものです。こうすると、店(チェーン)側は店舗という資産を持つことがなく、財務が改善します。大きな借入を起こさずに新店の出店ができるため、出店スピードも加速します。

 こうしたことは、いずれも今日の外食産業では当たり前のように行われている事柄ですが、「すかいらーく」など日本の外食産業の黎明期の旗手たちがアメリカの外食産業などに学び、知恵をしぼり、関連業界、土地所有者、銀行などを説得するなど、たいへんな努力によって道筋をつけたことです。

「値下げか値上げか」で見ることは危険

“戦略的低価格化”とは、このように、(1)自主的に選んだ価格のターゲットがあり、(2)それを実現するための革新的な仕組みづくりが伴うものです。他店の価格を見てそれよりも安くしようと場当たり的に対応することでも、仕入先をくどいて値段を“負けさせて”仕入れ値を低く抑えるとか、人をより少ない給料でより多く働かせるなど“他者の努力に依存する”ようなものでも、利益を減らしてでも安くするなど“血を流して”安くするなどでもありません。

 一時的にイレギュラーな価格を設定する“戦術的な低価格化”とは、根本的に異なるものです。

“戦略的低価格化”と書いてきましたが、これは、正確には“戦略的価格政策”と呼ぶべきでしょう。

“戦略的価格政策”は、外食産業黎明期だけでなく、その後も行われている例はあります。たとえば、バブル崩壊後に登場した同じすかいらーくの「ガスト」がそうです。

 バブル崩壊直前の頃、ファミリーレストランの客単価は1000円前後か、チェーンによってはそれを超えるところが現れていました。それに対して、「びっくりドンキー」「サイゼリヤ」といったチェーンはいずれも800円程度の客単価でお客の支持を受け、営業的にも問題なく成立していました。その客単価は、「マクドナルド」と同程度でした。そのため、「1000円より安い」という意味の800円ではなく、「800円で外食をしたいという人の市場がある」「かなり分厚くある」とわかったわけです。

 すかいらーくの場合、この800円の客単価を実現するために、調理の半自動化など新しい厨房設備を導入し、サービスの方法も簡素化するなど、いくつもの革新を取り入れました。それによって「すかいらーく」から「ガスト」へのドラスティックな転換が可能になったのです。

 ところが、これを単に「値下げだ」すなわち“戦略的低価格政策”ではなく“戦術的低価格化”と見た他社には、店舗設備や営業スタイルの大きな変更もなく、価格だけ下げるような、しかもお客に対して“安さ”を強調するような動きが多く見られました。その多くは、こうした準備不足の低価格化によって収益が悪化し、後の外食業界の大再編につながっていったのです。

 バブル崩壊後にはもう一つ、“戦略的低価格化”ではなく“戦略的価格政策”によって生まれた居酒屋があったことも付け加えておきましょう。1990年代初頭から半ば頃に登場した“客単価4000円の居酒屋”です。

 バブル崩壊まで、多くの居酒屋の客単価は3000円前後でした。それに対して、バブル崩壊後、チェーン居酒屋は次々に客単価を2000円台へ下げ始めました。そうした動きの真っ最中に、「えん」などの新しい居酒屋は、客単価4000円を打ち出し、成功したのです。

 これはそれまでの外食業界では考えられない客単価でした。ファストフードは800円前後、ファミリーレストランは1000円前後、その上には1500円前後、さらに3000円前後の客単価の店は成立するということは事例があってわかっていましたが、その上は、料亭やフレンチなど専門店の1万円台半ば~2万円の客単価は成立するものの、3000~1万円の客単価の飲食店という事例がありませんでした。そのため、このゾーンを長い間“真空マーケット”と呼んでいました。ですから、その中で“客単価4000円の居酒屋”を作ったことは、新市場を開拓した、“戦略的価格政策”の例と言えます。

 客単価2000円台の居酒屋は一時人気を博しましたが、にぎやかすぎたり、商品(料理)がシンプルすぎて満足できない層が現れていました。「居酒屋へ行く頻度は減らしても、少し手の込んだもの、より珍しいものを食べたい、落ち着いて酒と料理を楽しみたい」というニーズが生まれていたのです。そこを発見して3000円を超える客単価を設定し、そのための落ち着いたインテリアや接客、満足度の高い料理を提供する仕組みを革新によって作り上げて成功したのが、“客単価4000円の居酒屋”だったと言えるでしょう。

 価格は戦略的に決めることが確かな集客の秘訣であり、そのための盤石な仕組み作りがあってはじめて、消費者に満足を提供することが持続的に可能になるのです。そのために決める戦略的な価格を「前より高いか安いか」「よそより高いか安いか」でとらえると、たいへんな失敗につながりかねません。

アバター画像
About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →