貿易や防衛などについてアメリカとの関係など気にしていたところ、オバマ前大統領が来日して安倍首相とすしをつまんだというニュースが入って来ました。前回は「すきやばし次郎」でしたが、今回は「銀座久兵衛」であったようです。
両店とも私には雲の上にあるようなお店ですが、総理大臣にもすしを握っていたという人のお店で一度食べたことがあります。もう亡くなられて残念なのですが、鈴木民部さんという方で、お店は「すゞ木」。有楽町線・要町駅から住宅地へ歩いて行ったところにありました。
すしは料理したタネを握るものだった
鈴木さんはいろいろなお話をされながら次々に握ってくださったのですが、吉田茂や白洲次郎の話が出て来たときにはとくにわくわくしました。何でも晩年の吉田茂は食が細くなり、そのためシャリを減らしてくれるように要望された由。それで、いったん手にとったシャリの半分をおひつに戻して見せるようにした。それがなぜかすし業界に広まり、誰に対してもこの手つきをする人が増えたのだとか。
私は函館市の出身なのですが、このときは同郷の3人連れで訪店したのでした。着席するや鈴木さんがおっしゃった言葉、その口調が今も懐かしく思い出されます。
「今日はみなさん北海道の方とうかがっていますよ。それで、刺身で食べるものはみなさんの方がおいしいものを知っているだろうから、今日はそういうものはお出ししませんがよろしいですね」
一同言下に「是非お願いします」と答えたのは言うまでもありません。
まぐろなどはヅケ、ひかりものは酢〆、あなごや貝などは加熱してツメが付いている。
「私が習ったおすしというのはこういうもの。どれも料理したものを握ったものです。ところが、最近はご飯にお刺身が乗ったものをすしと言うことになってしまった」
そう言う鈴木さん。とくに嘆いていたのが、あじなどを酢でしめずに握っておろし生姜と小ネギをあしらったもので、「もともとすし屋にはガリはあっても生姜という食材は置いていないもの」と、いかにも嫌そうな様子でした。
なぜそうなったのかと水を向けると、まずすしの仕事で酢〆が最も難しいものの一つだということでした。入手した魚によって、天候によって、作る人によって、仕上がりが変わりがちなものを、いつも一定にするのに苦労するのだと言います。その修業に時間がかかる。「それが、今はすし屋になるのに高校なんか出ちゃうでしょう」と鈴木さん。もっと早くから修業しなければマスターできないという。それに対して、ならば酢でしめることを廃止してしまえばいいということで発明されたのが、刺身のまま握って生姜を乗せるスタイルであるというのが鈴木さんの見立てでした。
1965年に役者が揃った
このお話の中で興味深いのは、鈴木さんがひかりものの酢〆廃止が始まった時期を高卒者のすし店への就職と関連づけて記憶されていた点です。集団就職する中卒者を「金の卵」と呼んだのは前の東京オリンピック(1964年)前後のことでしたが、一方、日教組は1959年に「高校全入運動」を提起し、1960年代前半からこれを推進しました。旧文部省が高校急増対策費を計上し始めたのが1961年。その翌年に高校に入学した人が卒業するのは1965年となります。
この1965年というのは、今日食産業に従事する人にとっては記念すべき年です。旧科学技術庁資源調査会が「コールドチェーン勧告」(食生活の体系的改善に資する食料流通体系の近代化に関する勧告)を発した年ですから。これは、それまでの塩蔵主体の魚介流通が各種の疾病の原因とならないよう、冷蔵・冷凍による流通を推進すべしというものでした。
するとどうでしょう。1965年あたりから刺身にし得る魚介の流通が全国的に増え始め、また団塊の世代の高卒者が社会に出て、ということになります。また、この頃には松島省三氏が開発、指導して来たV字稲作の成果が出て来ています(同氏の「稲作診断と増収技術」〈農文協〉の発行は1966年)から、鈴木さんが「ご飯にお刺身が乗ったアレ」が全国に爆発的に普及する役者が揃ったのはこの頃であったとわかるわけです。
何が言いたいかといいますと、握りずしの大本の発明は江戸時代後期であったにせよ、今日のスタイルのすしというものは、実は一般化して半世紀ほどの実に新しい食べ物であるということです。
昨今のメディアやインターネット上には日本人や日本の文物を手前味噌的に持ち上げる話題が多くなっていて、「日本人、日本文化は昔から素晴らしかった」という趣旨のものも少なくありません。しかし、本当に自慢すべきは、「昔から」という歴史の長さや「伝統」の重さもさることながら、たとえば的確なインフラ整備、新しい経営環境をうまくとらえた開発力、品質向上への探究心、多彩に発達させてきた抜群のスピード、そしてそれに携わってきた人たちの情熱などではないでしょうか。そちらへの評価があってこそ、食の未来に、より頼もしい期待を寄せられると考えています。
※このコラムは日本食農連携機構のメールマガジンで公開したものを改題し、一部修正したものです。