最近、価格政策について考えるたびに思い出すことがあります。二十代の頃ですが、柴田書店「月刊食堂」の編集者時代に、毎月日本リテイリングセンターを訪ねて故渥美俊一さんのお話をうかがい、質疑にも応じていただくという幸運に恵まれました。そこで渥美さんがよく使われた言葉を思い出すのです。
「ブラインドプライス」「アフォーダブルプライス」
一つは「ブラインドプライス」というものです。今「ブラインドプライス」なり「blind price」なりをWebで検索しても、窓に取り付ける覆いのカタログページがヒットするばかりなので、これは和製英語でしかも渥美さんが作った造語なのかもしれません。渥美さんが使った「ブラインドプライス」という言葉は、お客が値札を見ないで購入を決めてしまうような価格を指すのでした。たとえば、スーパーマーケットで牛乳や卵などは、もはや値札を見ずにバスケットに入れてしまう人が多い。そのとき、その商品はブライドプライスを実現しているといったことでした。
もう一つは、「アフォーダブルプライス」というものです。「affordable」だけで手が届く価格、手頃な価格を意味しますが、あえてそれに「price」と付けたのは、商品を特定せずにそのような価格が(たまたま現在は)いくらであるということを示すためでした。たとえば、1990年代前半当時で、それは週刊誌1冊、たばこ1箱ぐらいの価格と説明されました。今はそれらの価格は上がりましたが、この「アフォーダブルプライス」は今でもおそらく200〜300円ぐらいのところでしょう。
そして、「アフォーダブルプライス」であれば、「ブラインドプライス」になり得るといった話が、渥美さんの話の中でよく出てきたわけです。
しかし、チェーンストア関係者必携とも言われた渥美さんの手になる日本リテイリングセンターの「チェーンストアのための必須単語1001」(私が持っているのは1989年の102版というものでだいぶ古いものですが)を当たっても、これら2つの単語は見当たりません。業態分類の指標にも使うプライスレンジを表現する単語は、上位の「ベストプライス」「ベタープライス」「モデレートプライスから始まって、下は「ロワーポピュラープライス」、その下の最低線は「チープ」となっていて、その一覧の中にも「ブラインドプライス」「アフォーダブルプライス」はありません。
おそらくですが、「ブラインドプライス」「アフォーダブルプライス」とは、「ロワーポピュラープライス」を実現する品揃えの中で意識すべきイメージを指す言葉であったのだと思います。
1円の安さを生活者は本当に求めているのか
これを最初に聞いたとき、つい先日まで学生だった私は、「いや、牛乳は同じチェーンの中でも、近所のA店が198円だけれども、ちょっと離れたB店では188円で、なるべくそこで買う。しかし、アルバイト先のある駅前のC店は208円なので絶対に買わない」という考えが頭の中にあったので、「ブラインドプライス」という言葉は当初ピンときませんでした。しかし、しばらくして私自身が実際にそのような買い物のしかたをしていることに気づく段階が来ました。それは、仕送り+アルバイト代という、月ごとに使える金額に上下がある時代から、月給取りになって収入が一定したためであったようです。
そのことから考えると、「ブラインドプライス」は、以下のような条件が揃ったときに実現すると考えます。
- 買い手の収入が安定している。
- そのカテゴリーの商品の価格として安価と言える。
- その価格が継続的に維持されている。
そうだとすれば、これをフォーマットとして実現している場合に、EDLP(Everyday Low Price、エブリデイロープライス)だということになるでしょう。
ただ、ここでクセモノなのは2.の「安価と言える」をどのように判定したらよいかということです。価格は数字なので、比較ができます。それで売る人も買う人も、この価格は他の店より安価か高価か、他の商品より安価か高価かと比べる癖を持つものですが、生活者の買い物は、企業・団体の購買と違って非合理な部分を持つものです。BtoBなら、同じ物についてより安価なものを選びます。しかし、BtoCの購買では、好き嫌いや気分や勢いなど不確定な要素が介在し、BtoBから見えれば合理的でない買い物行動があります。そういうものについて、数字による単純な比較だけで考えると間違えてしまいそうです。
たとえば、あるスーパーマーケットチェーンが納豆を仕入れる場合、全店分しかも何日か分で考えると膨大な仕入れ量になりますから、1単品当たり1円でも違えば業績に大きく影響してきます。だから、その1円あるいは何銭かの差に神経を使います。ところが、生活者がスーパーマーケットで納豆を買う場合、納豆1セットが1円安くても、それを毎日買う人でも月間30円、1年で365円の差にしかなりません。つまり、生活者にとって「1円でも安く」は本来はさほど重要ではないはずです。ですから、2.の「安価と言える」は、おそらくは「相場どおりである」「平均的である」「突出して高価ということがない」ということでよいはずです。
「いや、実際に他店より安いことを求めて来店するお客はいる」という反論はあるでしょう。私もそういう人たちがいることを知っています。その人たちは、いつも店同士を比べていて、来店するのはある商品が安いときだけです。そして、その安い物だけを買って帰っていく。彼らはおそらくハンティングに成功する勝利感の虜になっているのでしょう。ですから、勝利感が得られないとき、すなわち安くないときには来店しません。こういう人たちを、小売業では陰で「バーゲンハンター」あるいは「チェリーピッカー」と呼んでいるのではありませんか? 彼らが買っていくのは、採算度外視のロスリーダーばかりです。そして店で採算が取れる物は買っていかない。したがって、「チェリーピッカー」の来店で利益を上げることは不可能です。こういう人たちをコストをかけて集客することは誤りであり、避けなければなりません。
しかし、「チェリーピッカー」の来店によって賑わいを作り、それが他のお客を誘うという感覚が、日本のスーパーマーケット業界には強いのでしょう。だから、値下げ競争に陥り、チラシ合戦に陥る。待ってください。それは、EDLPの戦略と御利益から遠ざかることです。サム・ウォルトンがEDLPとして採った戦略とは、安い日と高い日があって(こういうのをHILOとも)、安い日にチラシを打つ他の店に対して、いつも安いという店にすれば、チラシを打つ必要がなくなり、その広告費を圧縮して開発費に充てることができるというものであったはずです。
それに必要だったのが、安定した低価格と、誰もが必ず自チェーンにリーチできる、他チェーンに地理的利便性で負けることがないというドミナント戦略だったわけです。
エブリデイロープライスを再考する
さて、今、日本にもEDLPを標榜するスーパーマーケットチェーンはありますが、その中でチラシを全廃しているチェーンはあるでしょうか。
私が観察する中で、現在の日本でEDLPに最も近いと考える業態は、コンビニエンスストアです。彼らもテレビコマーシャルは使いますが、その広告の主な内容はブランド認知と季節需要喚起のためのもので、価格の低さを訴えることはあまりありません。そして、チラシはほとんど使わない。そこに毎日安定的に顧客が来店して、ほとんどのお客が、ほとんどの商品について、値札を見て考えるということはしていません。安定した低価格(「突出して高価ということがない」価格という意味で)とドミナント戦略によって、これが実現されていると言えるでしょう。
スーパーマーケットで、価格にこだわらないお客が来店している店・チェーンは「高級スーパー」と分類されることが多いですが、そうした店・チェーンのお客にとってそれはEDLPなのでしょう。そして、彼らがその店・チェーンに求めるのは、価格の安さではなく、「いつもここで買って損をすることはない」という信頼と「ここで買うことが好き」と思えるブランドの世界観です。その店でお客が買い物をしているときにどのような状態であるかというと、いわば「お金のことを心配するのを忘れて買い物を楽しんでいる状態」と言えるでしょう。さらに踏み込んで言えば、その価値はpricelessということです。
このような形は、コンビニと高級スーパーだけのものでしょうか。かつて、しかも米国で「アッパーポピュラープライス」に属すると目されていたコンビニも、現在の日本では「ロワーポピュラープライス」に入って来ていると言えるでしょう。であれば、高級スーパーではない、ロワーポピュラープライスに属するスーパーマーケットでも、このような来店を繰り返してもらうための店作りは可能なはずです。そして、それを実現したところが勝ち抜いていくのだと思います。
同業でよいプラクティスを見付けたとき、その店の価格の高い・安いではない何がお客を引きつけ魅了しているのか、そこを見抜く目を養っていきたいものです。
※このコラムは日本食農連携機構のメールマガジンで公開したものを改題し、一部修正したものです。