昨年暮れ、厚生労働省は、HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point/危害要因分析に基づく必須管理点。慣例的に「ハサップ」と発音されることが多い)の導入をすべての食品事業者に義務づける方針を決めました。
HACCP導入はなぜ進まないか
しかし、HACCPやそれを採り入れた管理手法は諸外国の食品製造では常識化している一方、日本ではとくに中小零細事業所での導入が3割程度と進んでいません。その原因はいくつか考えられます。
一つには、政策的に重視されて来なかったということがあるでしょう。日本では1995年に厚生省(現厚生労働省)がHACCP的な管理の認証制度である総合衛生管理製造過程(マル総)をスタートさせましたが、これの承認の対象となる食品は乳、乳製品、清涼飲料水、食肉製品、魚肉練り製品および容器包装詰加圧加熱殺菌食品(レトルト食品)です。これら以外の食品を扱う事業所については、マル総がHACCP導入意欲をかき立てることはなかったわけです。
また、私自身が食関連の仕事に従事するいろいろな人と話していると、この管理手法の有効性と重要性の理解自体があまり進んでいないこと、何よりわかりにくく、専門的すぎるという印象が強く、学ぶこと自体されていないケースが多いとも感じます。
しかし、HACCPは考え方としては難しいものではありません。食品製造の各工程で、異物混入、汚染、殺菌の不全など安全性を損なう問題の原因になるものを洗い出し、それらを取り除くことと、常にその管理を行い記録をつけることが骨格です。
「だめなやり方」をつぶしていく
この管理手法の基盤となったのが、アメリカ陸軍が導入していたFMEA(Failure Mode and Effect Analysis)という管理手法です。この英名は「故障モードとその影響の分析」のように訳されますが、故障モードというのはアルファベットやカタカナを使わずに言い換えれば「だめなやり方」ということです。
たとえば、食品を扱う作業台や調理器具の真上に蛍光管の照明を設置している場合。もしこの蛍光管が割れれば、容易に異物混入が発生します。この設計を「だめな設計」だと見付けることが故障モードの分析、HACCPで言えば危害要因の分析(Hazard Analysis)ということになります。そして、蛍光管の位置を作業台や調理器具の真上からずらす、さらに照明器具に飛散防止カバーを付ける対策を取り、そのカバーに破損や脱落がないか監視している状態を保つことが必須管理点(Critical Control Point)の管理ということになります。
この危害要因を見付け出す目を養うのにはある程度トレーニングが必要かも知れませんが、それは専門的な目を持つというよりは、やわらかい頭の想像力を鍛えるということになるでしょう。
食べる現場にまで及ばせるのが難しい
HACCPの考え方でもう一つ重要な点を指摘するとすれば、この分析と管理をすべての工程に及ばせるということです。工場では原材料や資材や機材の搬入から始まって出荷するまでということになりますが、これをさらに、食品がこの世に現れて人の口に入るまでと考えれば、工程の範囲はさらに広がります。つまり、農産物・水産物の栽培や漁獲の現場から、人が食事をするその現場に至るまで、すべての段階で危害要因を分析して管理することが求められるわけです。
農業生産の現場でGAP(Good Agricultural Practices)が実践されることは、この管理の実現に寄与します。なぜなら、GAPがHACCP的な管理の考え方を採り入れているからです。なお、GAPの名称の“元ネタ”であるGMP(Good Manufacturing Practice)は、HACCPの母体となった管理手法と言えます。
また、近年は水産分野で、漁船の船上でもHACCP的な管理の導入が進んでいるといいます。その結果、もちろん水産物の安全性が向上するわけですが、これによって衛生状態が向上した副次的な効果として、鮮度がより長く維持されるものが増えたと言われています。
今後、第一次産業から第二次産業までの工程でのHACCP導入はさらに進んでいくでしょう。ただ、それらに比べると、第三次産業なかんづく外食産業でのHACCPの理解と導入は遅れるように見ています。というのは、日本の多くの外食産業従事者は、HACCPは製造業で行うものであって、飲食の現場には関係のないものと考えているケースが多いと感じているからです。
たとえば、来店したお客に手を洗うことを求めるレストランというのは希です。しかし、お客の手が汚染されているというのは、本人が食べる食品を汚染するだけでなく、店全体に汚染を持ち込むことにもつながる、重大な危害要因です。これは象徴的な例ですが、ほかにも、食品工場の視点から見ると冷や汗が出るような“ゆるさ”は、飲食店の店内にたくさんあります。
飲食店では、出来たもののほとんどがその場ですぐに食べられてしまうので、「提供してしまえばこっちのもの」という発想が根強くあります。また、お客の行動にはなるべく立ち入りたくないという事情もあります。それから考えると、HACCPの全プロセスへの浸透とは、食文化や食生活のあり方も変えていくものになるでしょう。それをいかにスマートに進めていくかは、食産業全体の課題に違いありません。
なお、FoodWatchJapanではこのほど「かんたんHACCP」という連載を開始しました(※)。執筆者のジーン・中園氏は外食チェーンの品質保証、工場設計、工場運営の経験が豊富な方で、HACCPという言葉が日本に広まる以前から、外食業の品質保証と製造業の工場運営の実務の中でこの管理手法に触れ、実務者として現実的な導入手順を考え、従業員の指導や取引先への助言も行ってきました。その実務経験から、誰にでもわかりやすく解説し、中小零細事業所の現場でも取り組みやすい例を挙げていってくれることになっています。無料公開記事ですので、ぜひご参考になさってください。
※「かんたんHACCP」の無料公開は終了しました。この連載原稿の元となった電子書籍ジーン・中園『これがHACCP工場だ!』(香雪社)をお読みください。
※このコラムは日本食農連携機構のメールマガジンで公開したものを改題し、一部修正したものです。