渋沢栄一と言えば「日本資本主義の父」と言われる人ですが、渋沢には、医療福祉に熱心に携わった人という一面もあります。東京慈恵会、日本赤十字社などの設立に携わり、また聖路加国際病院の初代理事長でもありました。
江戸・明治から続く医療福祉施設
その渋沢が30代半ばの頃に運営に携わっていたのが養育院です。養育院とは、明治初頭、首都の困窮者、病者、孤児、老人、障害者の保護施設として設立された施設です。これには、江戸時代に松平定信が定めた江戸の貧民救済資金「七分積金」(後に「営繕会議所共有金」)が使われました。
江戸幕府にせよ、東京市の担当者にせよ、そして渋沢にせよ、人が多く集まる大都市には貧困の問題がついて回ること、そこからとくに都市に独特の健康上の問題を生じがちであることをよく見抜いていた、いや、日々目にして対策の必要を強く感じていたのでしょう。
渋沢は後に養育院の院長に就任し、彼が91歳で亡くなるまで約50年間職務を全うしました。さらに渋沢没後も養育院は存続し、戦後、1972年には東京都養育院附属病院が設立されています。この養育院と、小石川養生所の流れをくむ東京都老人総合研究所が2009年に統合されて、東京都健康長寿医療センターが発足しました。
その課題は今日も続いています。それは東京だけでなく、全国の大小の都市にも共通の課題です。したがって、東京都健康長寿医療センターは「東京都」の名があるにせよ、その役割は歴史的にも内容から言っても全国的なものと言えるでしょう。
今日の東京都健康長寿医療センターは高度医療を行う病院と、健康長寿に資する研究を行う研究所の二つの部門を持っています。食にかかわる立場からとくに注目したいのは、この後者、東京都健康長寿医療センター研究所です。
よく噛めば健康長寿につながるが
健康長寿とは、長寿を単に存命であるということでなく、健康つまり自立的に生き生きと活動できる状態を維持しての生存を長くする(健康寿命を延ばす)ということです。同研究所では、そのための研究を自然科学的なアプローチだけでなく、社会科学的なアプローチも並立、併行させて推進しています。
人間というのは、生命活動をするだけの機械的な存在ではなく社会的な存在であり、社会的な環境や社会での個々の立ち位置や役割が、当人に大きな影響を持ちます。ですから、健康長寿の研究は、自然科学と社会科学との両面での研究が必要だということです。
そして、その両方のアプローチを持つ研究所だからこその知見と感じたのが、食事と健康長寿の関係です。とくに、ある地域について多年にわたって調査を続けることで得られる疫学的なデータと、その分析には食との付き合い方について考えさせられるものが多いです。
たとえば、よく噛んで食べない人は健康寿命が短くなるといいます。これはある程度メカニズムがわかっています。つまり、よく噛まないことが歯並びを悪くし、軟らかいものばかりを好んで食べるようになり、顎の筋肉を衰えさせ、それによって体幹のバランスを崩し、足腰を弱らせる。一方軟らかいものとは味が濃いものや甘いものが多いために栄養状態も悪化させる、ということです。
しかし、それに対して硬いものを食べなさいと指導しても、やはり人間は機械ではありませんから、すぐにそうはできない。いろいろなものを食べられる社会的な環境を用意する必要があり、それにはどうすればよいかということも、この研究所の研究範囲ということになります。
研究所のメンバーは、それには家族なり友達なり近所の人なり、誰かほかの人といっしょに食事をするということが大切だと言います。会話をしながら食べることは楽しいことなので食べる意欲を引き出し、食べるスピードを適正に保ち、食べ過ぎも防ぐ。また、料理を作るということも心身の健康に資すると言います。そのようなことを、科学者、医師、社会学者がそれぞれに理解しているところが興味深いところです。
同研究所による食と健康長寿に関する知見を、次回もう一つご紹介します。
※このコラムは日本食農連携機構のメールマガジンで公開したものを改題し、一部修正したものです。