衛生管理の稚拙さが招く不自由

「ノーマ、世界を変える料理」という映画が全国各地で上映中です。これはレネ・レゼピというシェフが創作した北欧料理の店「ノーマ」(デンマーク)を扱ったドキュメンタリーです。「エル・ブリ」(スペイン)というレストランを経営していたフェラン・アドリアというシェフがいて、その人はこれまでにない数々の珍しい調理手法などで有名になった人ですが、レネはそのフェランのもとで修業した経験もある32歳の若い料理人です。これまでに「世界のベストレストラン50」の1位を4度獲得し、ミシュランでも2つ星が付いている名声店です。

活アリの食品としての衛生状態

アリ。これを食べる発想はなかったが(写真はイメージです)。
アリ。これを食べる発想はなかったが(写真はイメージです)。

 ちょっと変わった料理がいくつも出てくるのですが、その中でも驚かされるのが、サラダに添えたディップに生きたアリ(昆虫のアリです)がたかっているという一品です。アリはレモングラスの風味がするのだそうですが、私は食べたことがないのでその味の善し悪しの判断はできません。ただ、気になったのは、活アリの食品としての衛生状態はどのようなものなのだろうということです。

 そして、映像を見る限り、レネは味見のときに指先を口の中に突っ込んでしまうという癖が染みついているようです。それらのことから、レネは私が日本で知る多くの料理人とは異なる衛生観念の中で仕事をしているように感じました(日本の飲食店では通常、仕事中に頭や顔に手をやらないように教えるものです)。

 そのこととの関連は不明ではありますが、この映画でも扱われている話題として、「ノーマ」はお客の63人がノロウイルスに感染するという不祥事を起こしています。今後よりよいレストラン経営をしていくためには、彼は食品衛生の勉強を今一度しっかりやっておくことがよいに違いないと感じています。

拡大していく生食の禁止

 食品衛生に関する話題では、ゴールデンウィークに開催された「肉フェス TOKYO 2016 春」「肉フェス FUKUOKA 2016 春」で食中毒が発生するという事件がありました。管轄の保健所の調査によると、同イベントで提供された「ハーブチキンささみ寿司」「鶏むね肉のたたき寿司」が原因でカンピロバクターに感染したということです。

 報道によれば「生のささみを湯引きして調理していたが、加熱処理が足りなかった可能性がある」ということですが、来場者がSNSに上げた商品の写真を見ると一部を除いてほとんど生の鶏肉の切り身をにぎりずしにしたものに見えます。

 鶏料理店や居酒屋では、「鶏わさ」などとして、鶏ささみを湯引きにして表面だけ白くなるように加熱し、それをスライスして赤いままの肉を提供することがよくありますが、保健所等の調査によれば、中心まで白くなるまで加熱しない限りカンピロバクターは死滅していないということがわかっています。

 したがって、同イベントで提供した商品は当たるべくして当たったということになりますが、それを気温の高い屋外中心のイベントで提供する“冒険心”は、飲食業のプロにはなかなか持てないものです。食品衛生のことを理解している人たちが、調理や、イベントの管理に関わっていればこのようなものが提供されることはなかったはずと感じます。

 それにつけても気になるのは、このような事故・事案が発生するたびに、法令による縛りがまた増えるのではないかということです。というのは、近年のこのような動きを思い出すからです。

 2012年7月に、牛のレバーを生食用として販売・提供することが食品衛生法に基づいて禁止されました。これは、非加熱の牛生レバーの表面ではなく内部から腸管出血性大腸菌が見つかるという新しい情報による法令の整備でした。

 ところが、その後、牛の生レバーに変わって豚の生レバーを提供する店が現れました。これは、牛生レバーの提供が法令で禁止されたのに対して、豚の生レバーの提供を禁止する法律がなかったため、脱法的に行われたことですが、どの部位と言わず、豚肉を生食することは極めて危険なことであるということは、かつては常識でした(※)。これに対して各地の保健所が、提供店を見つけてはやめるよう「お願い」をして回ったものの、改善されない例が多く、ついに2015年6月、豚生レバーの提供も禁止となったのです。

 この調子でいくと、いずれ鶏も完全に加熱していなければ禁止などという話にもなりかねません。人に害をなし得るものを法律で禁止するのは悪くないかもしれませんが、こういうことを許していれば、いずれ何が食べ物で何が食べ物でないかを完全に国に決められてしまうようなことにもなりかねず、そのような方向は必ず文化の衰退を招くでしょう。また、法令に基づく管理が増えるということは、コスト高になることを意味し、それは消費者の利益にならない話です。

 以上、アリから始まって動物性の食品の衛生について記してきましたが、この問題は当然野菜や果実など植物性の食品にも関係があります。もしも生鮮野菜・果実で食中毒や食中毒原因菌の汚染などが多発したり、甚大な食中毒事件が発生したりするようなことがあれば、法令に基づく管理が強化される可能性があると警戒しておくべきでしょう。米国の食品安全近代化法はその例と言えます。

 まずは圃場の衛生から考えるべきでしょう。HACCP的な一般的な管理では、圃場に入る際には手を洗うこと、用便時の靴と圃場に入る靴は分けることなど、食品工場と同様の管理を推奨しています。

※ E型肝炎ウイルス感染およびサルモネラ属菌、カンピロバクター等の食中毒のリスクがある。また、世界的には豚からの有鉤条虫、旋毛虫等の寄生虫への感染も報告されている。

※このコラムは日本食農連携機構のメールマガジンで公開したものを改題し、一部修正したものです。

アバター画像
About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →