大戦末期の洋酒本と謎のカクテルブック

洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

大戦末期の大連で発行された「酒の話」

 一昨年の9月に「モダン・ガールは何を飲んでいたのか」でスタートした連載も、早いもので80回を超えた。スパイ・ゾルゲが愛したカクテル、横浜に明治7(1874)年に上陸し、曲芸のようなフレアで供されたカクテル、昭和11(1936)年に出版された戦前の頂点となる「大日本基準コクテール・ブック」。――一つひとつの原稿への思い出は尽きないが、いずれも現時点で集められる限りの資料を集め、それぞれに一つの仮説を導き出して書くのが本稿の基本的なスタイルだが、ある資料が、一瀉千里に仮説を事実として裏付けていったり、いくつもの疑問を氷解させる“万能の鍵”であったりすることは、まずない。

 中には出自が不明なものや、なぜこんな時期にこんなものが? と頭を抱えたくなるような資料もあれば、筆者がようやく積み上げてきた仮説を一瞬で無効にしてしまう物騒な資料も出てくる。

 それぞれに“顔”を持つ資料をどう分析していくのか、今回は番外編として、筆者がリサーチで入手したいくつかの“不可思議な本”について書いてみたい。

 1冊目は「酒の話」(糸満盛信著、一番館印刷所)という五百ページを超える本だ。発行が大連――中国東北部の都市。かつてソ連が租借した後に日本が入って行った白系ロシアの香りを今もなお残す街――というところにロマンがあるが、その発行年が昭和19(1944)年。日本からの輸送船がアメリカの潜水艦に航路を脅かされ、爆撃機が我が物顔で日本の街に爆弾を振りまいていた時代に酒の話でこんなに分厚い本が出ていたことに驚かされる。

 この辺は著者も気にしていたらしく、序文に「国家総力を挙げて戦争目的の一途に凝集される今日、(中略)むしろ非常時局なればこそ酒に検討を加へて、これを用ふるといふ願念に外なりません」と書いてはいるのだが。

 さらに言えば、戦後、旧北満の開拓義勇軍が命からがら身一つで広大な中国大陸を南下し、着る物まで売って港にたどり着いた歴史を考えると、なぜ終戦の前年にその地で出版されたこの本が東京の築30年になる筆者のアパートにあるのか、ちょっと運命のようなものさえ感じる。

 肝心の内容だが、東海道中膝栗毛に出てくる古い日本の酒の逸話はもとより、中国からアメリカの禁酒法事情、哲学者プラトンの酒に対する見方からアフリカの椰子酒に至るまで、当時どうやって調べたのかと思うような話が続く。序文によれば、関東州警察協会雑誌に昭和15(1940)年から2年に渡って「琥珀水満録」と題して書いたものに加筆したとあるのだが、なぜお堅い警察雑誌に文人の酒の随想のようなものが掲載されていたのかも、今では想像するしかない。

 筆者のリサーチにかかわる部分としては、カフェーに関する説明で明治20年代の可否茶館とそれに続く臺灣(台湾)喫茶店(「烏龍茶」という愛称で文人に愛され、洋酒も出していた。女給のはしりはこの店だとも言われている)、さらに有名なカフェーパウリスタとプランタンに話が及んでいる。記述自体は筆者にとっては既知のもので特段目新しいことはなかったが、太平洋戦争が終わりに近付いていた時期に、こんな話を知っている人間が大連におり、それが本として出版されたことには、この本が辿ってきた、すでに我々には知り得ない不思議な歴史があるのだろうと改めて思う。

 筆者も10年以上は調べているから、戦前の洋酒関連に携わった方の名前は洋酒メーカーにせよお客に提供するバーテンダーにせよ、あらかたは把握しているはずなのだが「武富吉雄先生に捧ぐ/糸満盛重/謹呈根岸畏兄」という、巻頭の書き込みにある名前も思い当たる人物のものはなく、本文中にもこの糸満氏と警察がなんらかのかかわりがあったらしいというだけで、どんな職業の人なのかを示す文章を見出すことはできなかった。

 実は筆者が今まで掘り返してきた古書や酒には、持っていた方自身が、筆者が説明するまでそのものの素性を知らなかったこともある。この謎に包まれた本も、今回ここに記すことによって、もしかしたらこの本や著者について知っている方が出てくるだろうか――などと期待している。

河童のカクテルブック

 もう1冊は、B5版程度のポケットサイズのカクテルブックで、革装の豪華な作りで150頁というもの。カスガ貿易というところが販促目的で作ったものらしいことと、戦後設立され当時東京都文京区にあったチャールズ・イー・タトル出版が制作したものであることとはわかるのだが、奥付がない。ただ、出版時期を推理するためのヒントが広告にあった。1960~80年代、ジョニーウォーカーの輸入元だったコールドベックが、それの他にローズ社のライムジュースやマリーブリザールの広告を出していることが手がかりになる。さらに、裏表紙に「$1.00or\360」と値段が記載されていることから、円が固定相場制だった1971年以前のものであったことまではわかる。

 内容は、英語日本語併記なのだが、英文は正確であり、和文のほうもこなれた日本語で英文の直訳ではない。それに加えて、イギリス・スタイルのローズカクテルの項でスノースタイルを丁寧に説明していたり、日本では一般的ではないサゼラックカクテルを丁寧に説明していたりすることから、日本語とカクテルに詳しい英語圏の人が書いたのではないかと推察する。

 そう考えながら、このカクテルブックの中を探していて、ようやく書いた人の足跡らしいものをたった一カ所だけ見つけることができた。オールドファッションのレシピを説明しているページに、通常のレシピの他に「カッパ スペシァル オールド ファッション カクテル」と題する別項を設けてあり、「河童特別製古風なカクテル」と添えている。それによれば、この河童氏は砂糖少な目、ビタース多めでレモンジュースをほんの少し加えたオリジナルのオールドファッションが好みだったらしい。

「河童」はこのカクテルブックの著者の筆名である可能性が高い。その名は、頭頂の特徴のためか、ひょうきんな顔つきであったためか。いずれにせよ、そこには日本の酒場を愛する外国人の姿が透けて見えるような気がした。

限られた食の資料から事実を探る

 ことほど左様に、歴史をたどるための資料というものは一瞥しただけで実像が見えてくるものではない。しかも、幕末から戦前にかけての酒文化を残した記録はけっして多くはない。そもそも、腕組みをしたラーメン屋の店主が一杯のラーメンへのこだわりを延々と雑誌や本で語るといった風潮は1990年代も末期になってからのもので、それまでは食べ物や飲み物について一般人がしたり顔で語ることをためらう文化が日本にはあった。資料の点数は少なく、その限られた資料も、一から十までを誰にもわかるように親切に説明しているものというのはまずないのである。

 だからこそ、数少ない貴重な資料はただ読むだけではだめで、行間を読み、一言一句に目を光らす必要がある。筆者の努力・能力の不足は、当の本人がいちばんよく知っている。しかし、限られた資料から最大限、過去の事実の復元に使いたい。

 そのためには、さまざまな資料を読む中で得た“勘”と、新資料が新事実を突き付けてきたときに、自分が積み上げてきた仮説をためらいなく放棄する勇気と謙虚さ、そして想像力が必要なのではないだろうか。これからも、そう心して原稿には向かいたいと思っている。

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About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。