90年代後半にシアトル系コーヒーが相次いで上陸したことが、思わぬ形で「ジャパニーズ・カクテル」の味の秘密に迫るきっかけをもたらした。その味の決め手の一つとなるオルゲート・シロップが国内で入手可能になったためだ。
シアトル系コーヒーがもたらした好機
日本人は、ことにサービス業に関してはことさらに“職人気質”を求める癖がある。バーに通暁した読者なら、知り合いのバーテンダーを思い浮かべれば納得いくところが多々あるだろう。喫茶店も、昭和40年代以降は“ホット・オレンジ”(濃縮ジュースをお湯で割ったもの)や“レモンスカッシュ(もどき)”(合成レモン果汁にガムシロップと炭酸を加え、真っ赤なチェリーを飾った飲み物)を出す店と、1杯ごとに精魂込めてネルでドリップする店とに、方向は大きく2極化していた。
コーヒー豆の渋皮を丹念に取り除き、湿度や気温によって抽出の温度や豆の量を調整する、こわもての親爺が控える喫茶店と、待ち合わせで来店してクリームソーダを頼む幸せそうなカップルが見つめ合う喫茶店。……そんな両極端の店が並立していた日本の喫茶市場に、こともあろうに、せっかく抽出したコーヒーに甘いシロップを振り入れるという、それまでの日本の常識では考えられないコーヒーを売り物にしたシアトル系が上陸する。
その折に筆者が注目したのはコーヒーではなく、豊富なラインナップで輸入されたシロップの方だった。それまで、Orange flower waterやforbidden fruits同様、海外レシピでは多用されているものの、日本では入手困難だった素材……サヴォイのMikado Cocktailに使われている「オルゲート・シロップ」(Orgeat)が、シアトル系コーヒー上陸のおかげで、入手可能になったのだ。
これがあれば、今まで北イタリア・ミラノ産のリキュール「アマレット」で代用するしかなかった「ミカド・カクテル」のオリジナルがどんな味なのかを実際に試すことができる。それによって、その味と日本を結ぶ糸口をなんとか探り出せないだろうか。
あのアーモンドではないアーモンドのシロップ
淡い乳白色で、口に含むとすがすがしい香りとともにどこか懐かしささえ感じさせる「オルゲート・シロップ」だが、このとき筆者が購入したアメリカ・Torani社の「オルゲート・シロップ」は、現在では輸入中止になっており、2012年の日本では再び入手困難になってきている。
そこで、「オルゲート・シロップ」とは、そもそもどういうものなのか。まだその味を知らない読者のために簡単に説明しておきたい。
仏和辞書で「orgeat」を引くと「アーモンドシロップ」とある。アーモンドの香味を抽出したシロップということになるのだが、この場合の「アーモンド」とは、我々が想像するような、ミックスナッツに混じっているアレとは別物なので話がややこしい。
実際、香りも異なっている。バーにあるものでは、杏の種のリキュール「アマレット」に近いし、リキュールにあまりなじみのない人に説明するとすれば、十分に熟成した梅酒や中国料理のデザートに出る「杏仁豆腐」に共通する香りを持っている。それもそのはず、「オルゲート・シロップ」に使われている「アーモンド」とは、梅と近似種のアンズ(杏)の種の中にある核(仁)のことだからだ。
実は英語でも、「almond syrup」と言った場合、この「杏仁」のシロップと、我々が「アーモンド」として知っているアノ木の実の香りのシロップと、両方を含むことになる。だから、Googleなどで「almond syrup」を検索すれば、イタリアはもちろん、インド、トルコ、パキスタンから、台湾、中国産までたくさんのものがヒットし、それらは国内でも簡単に入手できるように見える。ところが、これらには全く異なる香味のものが含まれるということになるので、うかつに「almond syrup」に手を出すわけにはいかない。
そこで、シロップの世界には素人の筆者としては、J.トーマスが「ジャパニーズ・カクテル」の原料に使った「オルゲート」という名前にこだわらざるを得ないのだ。そのようなわけで、現在の日本で1860年のジャパニーズ・カクテルを復刻するとしたら、国内入手が可能で唯一ラベルに「Orgeat」と表記しているフランス・Monin社のシロップを使うことになる。
“日本”に結び付かなかった味
話を10年ほど前に戻して、当時クレジットカード会社の顧客向け月刊誌に連載していた拙稿から一部を引用しよう。さっそく明治屋で購入したTorani社の「オルゲート」をなじみのバーに持参して、「ミカド・カクテル」を実際に調製してもらい、たまたまバーに居合わせた男女数人の客に飲んでもらったくだりだ。
このときのレシピは、連載を執筆していた2001年の段階で筆者が知っていた最も古いレシピ、すなわち1930年のサヴォイ版の「ミカド・カクテル」であった。
「(前略)しかしバーテンダーが苦労して復元した『「ミカド・カクテル」』を口にした常連客はこの一杯に込められた『日本』を探しあぐねていた。『これが日本、ですか?』『不思議な味ですね。決して不味くはないんですけど』」
「第二次大戦の災禍と相次ぐ景気の波に翻弄され、いつの間にか大きく様変わりした日本は『ミカド・カクテル』に映し出されたニッポンを蜃気楼としてしか捉えられなくなるほど遠くまで来てしまったのかもしれない。
(中略)渡米した野球選手談義に話題が移った常連客の話を聞くともなしに聞きながら木と紙で作られた日本家屋やはにかみがちの着物姿の女性という、ビゴーやラフカディオ・ハーンの『ニッポン』が、一瞬見えたような気がした」(「SIGNATURE」/DINERS CLUB掲載)
「ミカド・カクテル」誕生の秘密を追いかける筆者が、厚い壁の前に屈した瞬間だった。
いや、「ジャパニーズ・カクテル」に日本を見出せなかったのは筆者たちだけではない。J.トーマスが残した100年以上前のレシピを一つずつ丹念に解析し、現在使用可能な素材でどう復元できるかを詳述した「IMBIBE!」(David Wondrich著)も、「このカクテルに日本的要素は一切ない」と断言している。
それならば、J.トーマスはこの味のどこに「Japanese」を見出したのだろう。今から10年以上前に筆者が直面した壁を崩す答えはなかなか見つからなかった。