シードルはブーム前夜にこぎつけたか(3)

そもそもの始まりは今回のシードル・コレクションの少し前に大阪の阪神百貨店でシードルの企画展があるのを知ったことだった。

復刻されたアメリカ開拓時代の酒

信濃屋のブースではシードルの蒸留酒カルヴァドスの40年物の試飲が注目を浴びていた。
信濃屋のブースではシードルの蒸留酒カルヴァドスの40年物の試飲が注目を浴びていた。

今から思い起こせばその辺りから今年は妙にシードルづいていたのかもしれない。アメリカのシードルに興味は湧いたものの現行のブランドについては、その段階で筆者にもほとんど予備知識がない。電話口に出た阪神百貨店のスタッフにあてずっぽうに何本か選んで届けてもらった中に、リヴァレンド・ナット社のハード・サイダー(hard cyder=シードル。とくにアメリカではリンゴの炭酸入りジュースをアップルサイダーと呼んでおり、これとシードルを区別するためにハード・サイダーと呼ぶのが一般的だという)があった。

 届いた何社かのシードルの輸入商社のHPを調べていて、昔のシードルを復刻した物がありそうなリヴァレンドナット・ハード・サイダーの輸入代理店に電話をかけてみたところ、17世紀の製法を復刻したシードルがあるという。詳しい資料は輸入元の手元にもないものの、およその製法は、大量のレーズンに黒糖、シナモン、ナツメグを加えてアメリカン・オークの樽で10カ月間熟成させている、という。

 英仏産のものであれば、副原料があるとしても梨のシードルを加えるのがせいぜいで、あくまでピュア嗜好である。それに比べると、アメリカの復刻シードルに副原料が驚くほど多いのはなぜだろう。これは筆者の推測だが、シードル醸造の歴史が長かった英仏では、シードルに適したリンゴ品種が栽培されたり、製法にも絶え間なく改良を重ねたりと、伝統を積み上げてきた。一方17世紀のアメリカでは、家庭の主婦の手作りのような、いわば素人が手元にある機材で手っ取り早く森の果物で出来るアルコール飲料としてシードルを造る必要に迫られたために醸造が粗く、その味をカバーするために口当たりをよくする副原料を加えていたのではないだろうか。

 しかも、そうこうするうちにドイツ系移民が持ち込んだビールの大量生産が始まり、蒸留酒はと言えば技巧を凝らしてじっくり高級なカルヴァドスを造るフランス的な方向に向かわないうちに荒削りなアップルジャックがライウイスキー、さらにはバーボンウイスキーにお株を奪われて歴史の片隅に消えていった……と考えると納得がいく。それが昨今のリバイバルブームでよみがえったと言うわけだ。

主催者発表120名の来場者と30名のスタッフや応援のバーテンダーで混雑する会場。
主催者発表120名の来場者と30名のスタッフや応援のバーテンダーで混雑する会場。

 つい先日アメリカのシードルを口にしたばかりの筆者が訳知り顔ででこんな想像を説明できるのは1冊の資料が手元にあるおかげだ。

「Domesticating Drink-Women, Men, and Alcohol in America, 1870~1940」(Catherine Gilbert Murdock著1998年)という本で、酒そのものに関する記述は少ないのだが、17世紀以降のアメリカ飲酒事情をアメリカ版のモダン・ガール出現と関連付けて論じていたりするので、FoodWatchJapanで「モダン・ガールはなにを飲んでいたのか」を書いた筆者としても興味は尽きない。ジョン・ホプキンス大学出版のお堅い学術書が「シードル造りは植民地時代のアメリカ人の妻にとって重要な仕事の一つだった」と明言していることから上記の推測に至ったわけだ。

 肝心の17世紀復刻版のシードルの味だが、現代の技術で造られたシードルをベースとしているのだから、まぁまずいわけはない。通常のシードルと異なり、どっしりとした味で感覚的には通常のビールとベルギーのフルーツビールの違いに近いだろうか。日本の輸入元もこんなマニアックなアイテムが売れるとは思っておらず、筆者が3本買い求めた後は残りわずかだという。あとは来年の収穫期待ちということなので、興味がある方は札幌の有限会社ファーマーズを「ハード・サイダー」と共に検索して「ウィンター・アビー・スパイス」の在庫を確認してみてはいかがだろう。

果実の色に合わせた赤・青・黄色のシードルカクテルで来場者を迎えるバー「テンダリー」の宮崎さん。
果実の色に合わせた赤・青・黄色のシードルカクテルで来場者を迎えるバー「テンダリー」の宮崎さん。

若い女性に広がりつつあるシードル人気

シードルを注ぐ3人のエスカンシアドール。スペイン・バスク地方特有の供し方だ。
シードルを注ぐ3人のエスカンシアドール。スペイン・バスク地方特有の供し方だ。

 いささか話が飛んだので東京シードルコレクションの会場に話を戻そう。今回のフェスで初めて見たニュージーランドとスペインのシードルについては残念ながら聞く時間がなかったのだが、フランスに近いバスク地方と北部アストゥリアス地方の特産品であるスペイン産シードルの供し方には少々驚いた。シェリーを高い場所から注ぐベネンシアドール同様、シードルを頭上高く掲げて注ぐ「エスカンシアドール」の方々のパフォーマンスをオープニングで披露して来場者の注目を浴びていたことを付記しておこう。これも会場で聞き漏らしたことだが、入場者に配られた首ひも付きの袋に入ったグラスは後に調べたところエスカンシアに使われる「ヒガンテ」というシードルグラスに似ているようだ。なぜ「ヒガンテ」(巨人)なのかも併せて、今度スペインに何度も行っているバルの主人に会ったときに聞いてみたい。

 来場者の方々にも話をうかがってみた。「知り合いのバーテンダーがスタッフとして出ているので」「行きつけのバーで前売り券を勧められて」という声が多かったのはコアなイベントなので予想の範囲内だったが、シードルならではと感じさせたのは、3人連れで来ていた20代女性グループの話だった。つい先ごろ開店20周年を迎え、自社でシードルの輸入もしている神楽坂のガレットレストラン「ル・ブルターニュ」は日本におけるシードル事情を語るうえで欠かせない存在なのだが、女性誌でも取り上げられており、若い女性に人気の店だ。会場でお話を伺った20代女性の3人組もそちらのなじみ客らしい。本格フレンチををよく利用する層だともう少し年齢層が高くなりそうだが、筆者が声をかけた範囲では見当たらなかった。

シードルに合わせたお洒落なフードは笹塚のガレット屋「メゾン・ブルトンヌ・ガレット屋」から。
シードルに合わせたお洒落なフードは笹塚のガレット屋「メゾン・ブルトンヌ・ガレット屋」から。

 上述のレヴァレンドナットの黒いTシャツを着ている30代の男女はクラフトビールを揃えたビアバーでシードルの存在を知って参加を決めたという。その他、女性中心に会場で聞いた話を要約すると「果物からできている安心感とフレッシュさ」「ビールと似ているけどちょっと違う味の面白さ」「まだ日本であまり知られていない新しい飲み物に対する好奇心」が、彼女たちがチケットの入手困難な今回のイベントの来場動機ということだった。

 ウイスキーなら蒸留所について、ワインならテロワールについて、仕入れた知識を他の客に延々と披露する客がいると、店の空気が途端にぎこちないものになる。そんな予備知識無用の、肩の凝らない新しい酒であることもシードルの魅力の一つかもしれない。

来年はブーム本格化するか?

 テキーラのときにも書いた気がするが、最新トレンドといういちばん苦手なジャンルにあたる今回のシードル・レポートがどうにかまとまりつつあった9月下旬、筆者は東京都下の小さな町で地元の若者たちが企画したジャズ・フェスティバルの雑踏を眺めながら心地よい秋風に吹かれていた。

 会場となった神社の境内に立ち並ぶ出店の一角に「シードルあります」の張り紙が揺れている。ケースの中にはキリン・シードルのグリーンボトルが涼しげに並んでいる。知り合いのバーだったので売れ行きを尋ねてみると「ハートランドにはかないませんね」と言う。まだまだシードルのブームの声は小さな町までは届いていないのだろうか。1カ月近く昼も夜もシードルで頭が一杯だった筆者がシードルの現況についてかいつまんで話すのを聞き終えると、彼女は言った。

「日本のシードルがこれからますますおいしくなっていくってことなんですね。今の話を聞いて、うちは来年またシードルを出すことに決めました。その頃もし本当にブームになってたら、流行の前から扱い続けていたこと、ちょっと自慢していいですか?」

《この項終わり》

キリンの瓶シードル。右(旧)と左(新)では色も異なる。新タイプではリンゴ発酵果汁が加えられ度数が少し下がっている(5%⇒4.5%)。
キリンの瓶シードル。右(旧)と左(新)では色も異なる。新タイプではリンゴ発酵果汁が加えられ度数が少し下がっている(5%⇒4.5%)。

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About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。