【東京都健康長寿医療センター研究所大渕修一さんへのインタビュー】日本が高齢社会となった今、高齢期の健康を保つにはどうするべきか、健康な状態で高齢期を迎えるにはどうするべきかに関心が集まっている。とくに、食について考えるべきことを、東京都健康長寿医療センター研究所在宅療養支援研究副部長の大渕修一氏に聞いた。
軟らかい食事が栄養状態悪化につながる
――この春に上梓された「健康寿命の延ばし方」(大渕修一著、中央公論新社)をたいへん興味深く読みました。
疫学的研究からわかった老化を防止する習慣やトレーニングがわかりやすく紹介されていて、老化というものの実際もイメージしやすくなる本です。
そして、食に携わる仕事をしている人にもこれはぜひ読んでほしいと思った箇所があります。噛めない・飲み込めないことが、栄養の偏りや誤嚥(飲み込んだものが食道ではなく気管に入ってしまうこと)を起こすことと強い関係があり、危険であるという指摘です。ところが実際に売られているものを見ると、噛めなくなっても代わりになる食べ物があるので食事で困ることがなく、問題を自覚しにくくなっているというお話でした。
そこでうかがいたいのですが、噛めないから栄養が偏る因果律的な関係があるのか、噛めない人がたまたま栄養が偏るのか、どちらなのでしょうか。
大渕 この記述の裏付けとなっている調査は横断研究と言って、いろいろな年齢など異なる属性の人たちへの調査から統計的な方法で結果を導いたものです。したがって、同じ人たちを長年追う縦断研究のように因果律的な解釈は難しいところです。
しかし、縦断研究も進んでいます。正式な発表はこれからですが、噛むこととか、人と一緒にご飯を食べることとかがうまくできなくなると、噛む筋肉が少なくなって、食事の内容が悪くなっていくというモデルがあることがわかってきています。
――軟らかいもの、簡単に食べられるものを選ぶようになって、それが食事の偏りにつながり、噛む力もさらに衰えていくのですね。
独りで食べるのと、誰かと食べるのとでも、栄養的な違いが出て来るものなんですね。
大渕 これは明らかな差が出てきます。独りで食べる人は、食べる量も種類も少なくなるのです。
私が高齢期の生活でいちばん心配しているのは、そのような形で食事が粗末になっていくことなんです。その背景には、食を楽しむ環境がなくなっているということがある。栄養状態には、一人ひとりの生き方や社会環境が大きく影響しているということを、もっと多くの人に知ってほしいと考えています。
外食・加工食品に求められる味は変わる
――とくに小売や外食など、食を提供する仕事をしている人が考えなくてはならないところが多いと思います。
商業では、どうしても現実にニーズのあるものを提供することが正しいと考えるものです。そうすると、この本に書かれているように、高齢者が多く住む地域のスーパーではウナギが売れ筋になったりということも出てくるわけです。商品開発でも、高齢者向けには軟らかく作ろうとかいった発想が自然に出て来ます。
最近「文藝春秋SPECIAL」(2013年季刊夏号)という雑誌で、冷凍食品やコンビニエンスストアの惣菜について、食の専門家に試食してもらい座談会スタイルで意見を出してもらうという企画をやりました。その結果、どれも非常によく出来ていると評価が高かったのですが、多くの商品について共通に出た指摘が、「味が濃い」というものです。
ただ、メーカーの人などに聞くと、やはり販売の現場で考えると、味の薄いものより濃いもののほうが売れるので、どうしても濃い味付けになっていくということです。私は、これは商業の限界というものなのかと残念に思うのですが。
大渕 どうでしょう。私は過渡期にあるのだと思っています。小売や外食の商品は、今まではある日のランチだったり、たまの週末の外食だったり、一時的な利用が多かったのではないですか。であれば、いつもとは違う味を求めて、濃くなることもあったでしょう。
しかし、これから独り暮らしの人が増えてくるなど、もっと日常的に外食や冷凍食品などの加工食品を利用する人が増えてくると、売れるものは変わっていくのではないでしょうか。誰でも毎日食べていれば、「味が濃いな」と感じるようになるでしょう。そうすると、提供する側でも味の傾向は変えざるを得なくなっていくでしょう。
低塩が本当に健康につながるのかは未解明
――近年、コンビニエンスストアもファミリーレストランなどの外食も、今はハレよりも日常利用が増えているはずなのですが、本当の変化はまだこれから起こるのかも知れませんね。
大渕 それから、味が濃いことが本当にいけないことなのかどうなのか、疫学的に言うと結論はまだ出ていないのです。
確かに、昔の日本人の食事は塩分が多かった。それは、漬物や辛い塩蔵の魚とかと、味噌汁、そしてご飯という食生活が主体だったからです。言わば、ご飯に塩をかけて食べていたイメージ。それが高血圧などを招いていると考えられて、塩蔵から冷蔵・冷凍へ流通を変えたり、いろいろな食事が紹介されたりといった改善が図られて、塩分摂取量は減りました。そういうことを考えれば、確かに過剰な塩分はよくないだろうとはわかります。
ところが、現在のレベルでも日本人の塩分摂取量は高いという指摘があります。では、そこからさらに減らしたら本当に効果があるのかどうかということは、実はよくわかっていない。少なくとも、疫学的にはわかっていないのです。
たとえば、ラットの実験で塩分を多く与えると血圧が上がることはわかる。だから、塩分を多く摂ると血圧が上がる、したがって死亡リスクが高まる。これはいわゆるメカニズムベースで積み重ねてきた知見です。
しかし、実際に社会生活をしている人々について塩分摂取量がどうであるとどうなるかという現実は、実験の結果やメカニズムからの説明と必ずしも同じにならない可能性があります。ここは疫学的研究で調べていって、現実に基づいた予防や治療を考えていく必要がある。これが、今Evidence Based Medicine(エビデンスに基づいた治療)と言われているものです。
こうした、メカニズムベースのアプローチから得られる知見と、疫学的なアプローチで得られる知見とでの違い、各々から導かれる予防や治療方針の差異というものが、今、医学界での大きなギャップになっているんです。
――それは、やはり違ってくるものなのですか。
大渕 たとえば、メカニズムベースの考え方でいけば、当然塩分を摂らないようにということで味を薄くすることが考えられます。ところが、高齢期になってくると食欲もなくなってきます。それで、味の薄いおかずは食べたくないといって食べなくなることのほうを、私は心配します。そのために栄養の量が減ったり、あるいはやはり食べないとお腹が減るから、手っ取り早くお茶漬けばかり食べたりとかになると、むしろ昔のような塩分がっつり型の食事になるなど、栄養バランスを悪くすることにかねない。
だから、単純に塩分を制限しすぎることには、別なリスクが伴うと考えられるわけです。塩分過剰はたしかによくないにしても、味が楽しめる食事であることというのが非常に大事なわけです。
病院では塩分を制限した食事を出すことが一般的に行われていますが、一方で残食が出るという現実があります。体が衰えて病院に来ているのに、食事を残させてどうするんだと思うんです。しかも、患者さんを見ていたり話を聞いていると、あんパンとかプリンとか買ってきて食べているという人がけっこういるとわかる。これでは本末転倒です。ちゃんとおいしく食べられるものを作って出さないと。そこが問題です。
どうも栄養管理の考え方が、今の世の中や今の人に合っていないのではないかなと感じることがままあります。たとえば、病院のご飯が丼飯だったり。それはおそらく、主食でカロリーの何割を確保してという前提があるからそういう食事設計になるのでしょう。でも、病院でもデイサービスでも、結局米の飯を残す人は多いんです。理論的に理想的な食事を提供しても現実に食べてもらえないのでは困るというところを、きちんと考えていかなくてはいけない。
とは言え、今の外食産業がおいしいものを出しているからそれでいいのかと言えば、私も不必要に味が濃いと感じます。先ほど言ったように、それはこれから変わっていくのでしょうけれど。
高齢者は野菜を食べるために外食している
――外食産業が果たせる役割は何か考えられますか。どんなものを提供するように考えたらいいでしょう。
大渕 高齢者と一緒に食事に行ったり、話を聞いたりという機会が多いのですが、面白いことに気づきます。レストランでは多くの方が、メインのほかに必ず野菜の料理をもう一皿という形でオーダーするんです。そういうのを見ていると、高齢者はむしろ野菜を食べるために外食しているようにも感じます。
実際、独り暮らし、二人暮らしの家庭では、野菜を摂りにくくなっています。買うと余らせてしまうし、野菜というのは切るのもたいへん。煮物などは作るのにけっこう手間がかかります。そういうものは外食で、たとえばランチにでも摂れれば、朝はパンとチーズと何かということでもいいわけですよ。
そういったニーズや栄養面での配慮のある品ぞろえをしていけば、レストランなどを利用する機会も増え、外食には役割があるということになるでしょう。
――栄養面ではどのように考えればいいでしょう。レストランでは、病院や高齢者施設のように、毎日の全食を管理することはできません。お客さんも一人ひとりが栄養を計算して食べるというのは難しいと思います。
大渕 とくに高齢期の栄養は、どの栄養素を摂りましょうというよりも、まんべんなく摂りましょうということのほうが大事だと考えています。
疫学の調査では、10の食品群を毎日摂れると元気に暮らせるということがわかってきています(表)。この10種類をほぼ毎日食べている人は、3種類以下の人に比べて生活機能の低下の危険度、つまり要介護とか死亡のリスクですが、それが3割低いのです。
それで、我々も、食品の多様性を保つようにと働きかけています。
食品群 | 点 | 食品群 | 点 |
---|---|---|---|
(1)肉 | (6)緑黄色野菜 | ||
(2)魚介類 | (7)海藻類 | ||
(3)卵 | (8)いも | ||
(4)大豆・大豆製品 | (9)果物 | ||
(5)牛乳・乳製品 | (10)油を使った料理 |
上記それぞれの食品群について、毎日食べる場合は「1点」、そうではない場合は「0点」で合計点を計算。
「1~3点」→要注意! 「4~8点」→あと一息 「9~10点」→すばらしい!
※「イキイキ生活をつくる介護予防 栄養改善プログラム」(東京都老人総合研究所)より
日本は果物を摂りづらい国
――この10種類を見て面白いと感じることが2つあります。一つは、ご飯やパンなどの主食が入っていないですね。それと、「油を使った料理」というのが入っているのが意外と感じます。
大渕 主食は全員食べるので、食品の多様性には関係ないからです。
一方、油を使った料理については、高齢者の場合、油を使った料理をする人は、栄養のバランスがいいということが疫学調査でわかっているんです。
――それは、手間をかけて料理をする人たちということなんでしょうか。
大渕 そういうことはあるかもしれませんね。ただ、油の量は1日大さじ1杯程度ということにしてもらっています。
他の項目では、たとえば肉と魚介類は1:1の割合がいい。大豆・大豆製品は納豆でもいいです。
実際に高齢者の食事を見ていると、このうち摂るのが難しいものが2つあることがわかります。イモ類と果物です。よほど注意していないと食べないでしまう。
とくに日本の場合、果物はだめですね。品ぞろえと価格に問題があります。たとえば、今はスイカが出て来ていますが、その直前の時期にはこれといった果物が店頭にない。しかも高い。
アメリカなどなら、スーパーマーケットに行くと、フルーツがとにかく種類も量もたくさんある。そして手頃な値段です。そのようだと、いつも普通に買って食べられるわけです。
日本では果物が常時種類が豊富という風ではない。そして値段も高い。日本は果物をいつも摂り続けるのが難しい国です。
適度に欧米化した食生活が日本人を健康にした
――食の洋風化、現代的な食生活が日本人の健康を悪化させていると言う人もいます。そこはどう考えますか。
大渕 それは認識不足だと思います。むしろ、適度に欧米化した食生活が、今の日本人の健康を作っていると言える。
さきほど言ったように、昔の日本人の食事というのは、塩辛いおかずを食べながら主食の米の飯でカロリーを摂るという形でした。食品の多様性に欠け、塩分過多でもあった。それが、適度な欧米化で食品の多様性を保てるようになったのです。
それでも、まだやはり主食穀類を摂ることに偏っていることは気になっています。先ほど病院の丼飯の話をしましたが、ご飯でカロリーを摂ることにはこだわるべきではないでしょう。
もちろん、米が主食ということにはよい点もあります。というのは、戦後日本の食生活のよいところは、過度な欧米化、つまり肉ばかりどんどん食べるようになるとかいったことにはならずに済んでいるわけです。そうできているのは、ご飯と2品~3品のおかずといった形で、バラエティのある食生活の形を作れているからです。そういう意味では米の主食があるというのは評価できる。
ただし、高齢期に心配になってくるのは、その多様性が保てなくなることです。結局、2品~3品のおかずというのは、作らないと食べられない。でも、面倒であったり、食材や作ったものを余らせてしまったりということがあるので、作らなくなってしまうことは多い。そこは、産業や社会がどう対応してくれるかにかかっているでしょう。
それと、塩分について言うと、日本人の食事でもう一つ問題なのは味噌汁ですね。誰もが必ずというようにいつも味噌汁を飲みますが、これは塩分摂取量を確実に上げている。昔からそうしていたからということにこだわらず、新しい食生活を、一人ひとりの消費者も産業界も考えていくべきでしょう。
硬いものをいかに高齢者に食べてもらうか
――味の濃さ、塩分をどう抑えるかの他に、食品に硬さを持たせるということが、外食や食品業界では取り組みにくいものの一つだと思います。
大渕 「おいしい」と感じるのは、五味を感じる味覚の刺激だけでなく、噛むことの刺激もあります。味覚に感じる味がよくても、べたべたしたものばかりだと、やっぱりおいしくない。高齢者仕様だからといって、軟らかいものばかりにして食感のレベルを下げていくと、食の楽しみも減っていきます。それが食事の内容を悪くして、栄養の偏りにもつながるというのは、「健康寿命の延ばし方」に書いた通りです。
ですから、我々としては、なるべく硬いものも食べられるようにと考えてキャンペーンを張っています。
「満80歳で20本以上の自分の歯を」という「8020運動」は、ほぼ達成できています。そこからさらに、口腔機能全体を引き上げるようにしていく食べ方や食品を意識していってほしいのです。これは、外食や食品業界の方々も、一つの目標にしてもらえればと思います。
――「高齢者向けだから軟らかいものとは考えないように」ですとか、先ほどの「油を使った料理を摂るように」ですとか、普通に考えていたことからすると意外な指摘と感じます。今までそうしたことにあまり関心が持たれて来なかったのはなぜでしょう。
大渕 いろいろな原因があるでしょうし、新しくわかったこともあります。ただ、食の専門の方に意識してもらいたいのは、広く情報を取ってほしいということです。
というのは、医学や栄養学に限らないことですが、いつもパラダイムというものがあります。コレステロールが悪いとか、塩分が悪いとかといった、時代ごとに支配的なものの考え方がある。そのことによって進む研究もあるわけですが、社会がそればかりに注意するようになると、実は他にもあるはずの重要な課題に光が当たらないということが起こります。
そのことは、研究者も実務家も、注意していなければいけないでしょう。
運動・栄養・社会が高齢期の健康を支える
――高齢者の食、高齢になるはずの人の食について、今後はどのような研究がされていくでしょうか。
大渕 栄養というものは、何歳で何をしている誰でも一律にというものではないはずです。たとえば、スポーツをする人のためのスポーツ栄養学というのはだいぶ発達してきました。それと同じように、高齢者の栄養学も進んでほしいものです。
たとえば、高齢期に筋肉減少症ということがあります。それを止めるための食事法というのは何かあるのかとか。また、高齢になれば栄養の吸収力は下がる。それに対して、吸収を上げるには、食事にどういう時間のかけ方をするといいのかとか、食べる順番だとか、そういうことも含んだ栄養学というものが必要なはずです。体がどうなってしまったからこういうものを食べてというのではなく、食についても攻めの考え方が必要だと思います。
でも、まだ主流は、糖が多いから糖を下げましょうとかといったアプローチです。最初にお話したメカニズムベースの知見で考えていくと、どうしてもそうなる。でも、本当は、それによって本当に下がっているのかどうか、ある対策によって逆に変な癖が出ていないかなどを追跡しなければいけない。そういうことを最終的に統合するのは、疫学的な知見です。
また、高齢者の食を考える際にもう一つ重要なポイントは、一口に高齢者と言っても、寝たきりの人もいる一方で、元気に寝起きしている人もいるということです。多様な生き方に多様なソリューションが用意されなくてはいけないでしょう。
――「栄養状態には、一人ひとりの生き方や社会環境が大きく影響している」という指摘から考えると、食品や食事のことだけを考えていても、効果のある食の改善はできないのでしょうね。
大渕 高齢期の健康を保つには、運動、栄養、社会が大事だとわかっています。それで、今、各方面の専門家に集まってもらって研究を進めているんですが、困っているのが、栄養学で手を挙げてくれる人が少ないのです。こうした課題に積極的に取り組んでくれる栄養学の研究者に期待しています。
今進めている研究会の一つは、高齢者同士が食事を作ることと食べることを一緒にできるコミュニティを作ることです。
たとえば、街に一箇所菜園があって、調理をする場所があって、みんなで作った野菜や果物を使って、順繰り当番でおいしいものを料理して、みんなで食べるというコミュニティの形が作れないかということを考えています。食品の多様性を保ち、しかも人と一緒に食事を楽しみ、そこから“その街の味”というものも生まれてくるでしょう。
これは、新しい街づくりグループとして、これまで1年間、10社ほどの企業にも参加してもらって勉強会をやっているところです。2カ月に1回、お金はあまり使わずに、互いに話題提供して。来年度ぐらいに具体的な行動ができるようにもっていければと考えています。