異性化糖製造の工業化前夜。戦後の食糧難を脱した日本が抱えた困った問題の話。
イモベンからの脱出
リョウ 「来たか。ごくろう」
タクヤ 「今日はこれから『風立ちぬ』観に行くので、ちゃちゃーっと終わりましょうね」
リョウ 「おまいね、よくもそんなことを読者様の前で言えるもんだな」
タクヤ 「まー、まー。読者様もお忙しいので、あんまり長いのは読みたくないでしょう。ねぇ。で、えーと、何の話をするんでしたっけ」
リョウ 「『花とゆめ』の話の続きだ」
タクヤ 「違います」
リョウ 「『LaLa』だな」
タクヤ 「惜しい、『LARA』。戦争が終わって、アメリカからララ物資送ってもらって、学校給食が再開されたという」
リョウ 「給食な。それまではみんな弁当か」
タクヤ 「弁当もね、ご飯持って来れる子は少なかったみたいですよ。それでイモベンとか」
リョウ 「何だイモベンて」
タクヤ 「ドカベン開けてみたらイモがゴロンとか。新聞紙に蒸かしたイモをそのまんま包んで来るとか」
リョウ 「お弁当それだけ?」
タクヤ 「だけ」
リョウ 「じゃ、朝昼晩と、イモだ。ときどきすいんとんとか? そりゃ、おじいちゃんおばあちゃんになってもイモは嫌いだって言うのもわかるわな」
タクヤ 「ですね。でも、ララ物資とかの援助があったり、GHQの協力で農業技術が進んだり、箸にも棒にもかからなかった火山灰土のススキの原っぱが土壌改良で耕地にできたり(※「火山灰土との闘い」参照)なんていうことがあって、割と早くから食糧難が緩和されていったんですね」
イモを作れと言うから作ったのに
リョウ 「よかったよかった」
タクヤ 「でも、それまでは急場しのぎで官民挙げて『みんなイモを作れー!』とやっていたわけですよ。整備しきれていない畑でもすぐ作れて、カロリーも摂れるものですから。で、1947年には食糧管理制度の対象にジャガイモ、サツマイモ、雑穀を加えてます。ところが、食糧が確保できてくると、そのイモが余ってきちゃった」
リョウ 「ほう。それは困るね」
タクヤ 「それで、イモを買い取って焼酎とかアルコール造ったり、デンプンを造ったりということが盛んになっていったわけですよ」
リョウ 「なるほどな。芋焼酎とかが盛んになったのも、そのあたりからか」
タクヤ 「戦後は醸造・蒸留の技術革新があって、焼酎の品質はだいぶよくなったようですね。そういう意味では、焼酎も新しい飲み物ということになるでしょう」
リョウ 「なるほど。まあ、昔は酒が売れたんだしな。だけど、デンプンなんて増産してどうすんだ。餅にまぶすとか、くず餅作るとかぐらいしか思いつかんが」
タクヤ 「糊とかにも使いますけどね。そこで俄然力が入ってくるのが、『こいつを使って砂糖に代わるものができないか!』というアイデアですよ」
リョウ 「あーそー、そういうこと。異性化糖が出来る前にイモ余り現象があったわけか。デンプンは売るほどある。一方、砂糖を買う外貨は足りん。じゃあ、デンプンで砂糖みたいなものができないかとなったわけだな」
朝鮮戦争でハードル上がった
タクヤ 「へへー。ところがですね、好事魔多しってやつですか。幸か不幸か、外貨は入って来るようになっちゃったんですよ」
リョウ 「そんなことあったんだっけ?」
タクヤ 「そです。戦争終わって5年経って、工業の生産体制も回復へっていうところへ、朝鮮戦争勃発の報が入ってきて……」
リョウ 「吉田茂もびっくりと。こりゃ悲願の講和・進駐軍撤退も無理なのかと」
タクヤ 「そういう『進駐軍はいつ日本から撤退してくれるのかなぁ』という心配もさることながら、アメリカさんから『とにかく米軍で使う物資作って売りやがれ~! ゼロ戦とか隼作ってたやつらは壊れた戦闘機とか戦車とか修理しやがれ~!』と来たわけですよね」
リョウ 「そっか、朝鮮特需というやつな。お隣の喧嘩で儲かっちゃうという嫌な話だ」
タクヤ 「ま、歴史の評価は私ここでしませんが、とにかく3年で10億ドルとかの外貨がどかんと入って来ちゃった」
リョウ 「なるほどな。1950年代に『全糖』のサイダーが出たっていうのも、そういう外貨事情もあるんだろうな」
タクヤ 「となると、デンプンから砂糖に代わるものを造ると言っても、砂糖よりメリットがあるものじゃないといけないってことになるわけですよね」
リョウ 「そりゃそうだ。『ウチ、間に合ってますから』って話になっちゃうな」
タクヤ 「ブドウ糖まで造っても、おととい来てねって話ですよ。もっと甘くて、使いやすくて、安価であるとか、そこまでいかないとイケテル工業原料として注目されないでしょう」
リョウ 「で、出来たのか? それ」
タクヤ 「それが、時間がかかったんですね」
リョウ 「そりゃ困るね。イモ作るのをさっさとやめてもらわないと」
タクヤ 「そうは言っても車は急に止まれない。たとえばサツマイモだと1955年が日本でいちばんサツマイモを収穫した年で、1963年まで高いレベルのままでした」
リョウ 「どうすんだそれ。1955年て、たしか米の作付面積も収穫量もど~んと増えて、日本が『お米の国』になった初めの年じゃないか」
タクヤ 「まあ、やめてねって言っても、それしか作れない土地とか人とかいたわけでしょう。それで政府の倉庫にデンプンが山積みで倉庫代がたいへんとか」
リョウ 「あーあ」
技術の粋を集めて完成したものの
タクヤ 「それで行政のほうで、でんぷんから異性化糖生産技術開発に力を入れたんですよ」
リョウ 「行政って?」
タクヤ 「通産省(当時) v.s. 農水省。それぞれの研究所が、異性化糖を造るのにナイスな酵素の発見競争をするという形に」
リョウ 「ふーん。それって、通産省とか農水省とかが『イモからアルコール造ってホクホクの大蔵省(当時)ばっかりにいい目見させんぞ』とか思ったってのもあったのかな」
タクヤ 「さあ。それよりデンプンあり余って、誰かなんとかしなくちゃってほうが先だったんじゃないですかね」
リョウ 「で、どっちが勝った?」
タクヤ 「結局、世界で初めてブドウ糖からの異性化糖製造を工業化したのは、通産省の研究所とタッグを組んでいた参松工業という会社でした。1965年です」
リョウ 「時間かかったね。苦労したんだろうな」
タクヤ 「ですよ」
リョウ 「で、売れたのかね、その日本の先端技術で造った異性化糖は」
タクヤ 「それがですね、せっかく造ったのにウケがよくなかったんですよ。砂糖とは使い勝手が違いますし、なにしろこの間神武景気があって、1965年はいざなぎ景気に入りますからね、『砂糖なんかどんどん買っちゃうもんね。果糖なんかいらねい!』って雰囲気だったんじゃないんですか」
リョウ 「しかも、その前にもう『全糖』って書いて『砂糖使用』を自慢しちゃってるサイダーが売れたりしてるんだもんな。困っただろうね」
タクヤ 「でもですね、『そりゃいい!』って飛びついたとこがあったんですよ」
リョウ 「あそー。そりゃ誰だ?」
タクヤ 「あ、そろそろ『風立ちぬ』の上映時間近いんで」
リョウ 「待て、オレも連れて行け」