前回は、増粘多糖類は水に溶けなければ効果を発揮しない、溶かすためには温度や溶かし方や材料の相性を考える必要があるといった話だった。
組み合わせによって固まる場合あり
リョウ 「来たか。ごくろう」
タクヤ 「隊長、妄想からは脱出しましたか?」
リョウ 「何のことだ。オレはいつだって真面目だ」
タクヤ 「ならいいです。隊長はエスフェリフィカシオンて知ってますか?」
リョウ 「『エスコフィエフランス料理』なら昔3万数千円出して買ったけど、読まないうちに人にあげちゃった」
タクヤ 「違います。エスフェリフィカシオン。フェラン・アドリアが「エル・ブリ」で出した、粒々の料理です」
リョウ 「ああ。あの、スープとかジュースとかを人工イクラみたいにするやつ。あれをエスフェリフィカシオンて言うのか。名前は知らなかった」
タクヤ 「どうやって作るか知ってますか?」
リョウ 「知ってるわけがない」
タクヤ 「いや、わけがないなんてそんな偉そうに言わなくたって。あれはたとえば、イクラの中身にしたい液体にアルギン酸ナトリウムという増粘多糖類を少し溶かしておいて、別に用意した塩化カルシウム水溶液の中にポタッポタッと落とすと、できるのです」
リョウ 「ほんとに化学実験だな」
タクヤ 「アルギン酸ナトリウムの水滴表面にカルシウムイオンが接触すると、表面だけそういう風に固まるのです」
リョウ 「はしょって話してるよな」
タクヤ 「そのときの化学反応式とか詳しく説明してほしいですか?」
リョウ 「いや、オレはいい」
タクヤ 「こんな風に、何かと反応して増粘多糖類がゲル化したり溶けなくなったりすることがあるので、このあたりのことをわかっていないと、増粘多糖類を使うときに失敗するという話です」
リョウ 「出くわしたら固まっちゃう相手というのはいる」
タクヤ 「は?」
リョウ 「まあ、溶かし方とか材料の合わせ方には気をつけろという事情があるという雰囲気はわかった。それぞれの増粘多糖類を使うと、どんな効果が得られるのか、その使った場合の話をしてくれよ」
化学の次は物理の時間です
タクヤ 「ガッテンショウチノスケ。ふふふ」
リョウ 「ふふふって、なんだよ」
タクヤ 「もっと難しいっぽい話してもいいですか?」
リョウ 「ダメ。だいたいお前もオレも文系なんだから、あんまり化学の話ばっかするなよ」
タクヤ 「化学がだめなら物理の話をしましょう」
リョウ 「殴られたいか?」
タクヤ 「おっと暴力反対! あ、そうだ。人を殴ってはいけませんが、何かものを叩くとどうなりますかね?」
リョウ 「え? そりゃ、歪んだり、壊れたりするよな」
タクヤ 「じゃ、空気を叩いたら」
リョウ 「叩けないよ。でも、腕を突き出したら、目には見えないけれど空気は押しのけられているよな」
タクヤ 「ゆっくり突き出すと?」
リョウ 「ゆっくり、少し空気が流れる」
タクヤ 「速く突き出すと?」
リョウ 「速く、たぶんたくさん空気が流れる」
タクヤ 「水だったら?」
リョウ 「同じだろうね」
タクヤ 「水の中を歩くことはできますが、走ることは難しいですよね?」
リョウ 「スクーバとかで海の中にいると、ゆっくり動くのは何ともないけど、速く動こうとすると抵抗を感じるよな」
タクヤ 「動くスピードが速いと、水の応力が増すからそうなるんです。では、寒天を想像してください。これをゆっくり押すと、ゆっくり、少し流れますか?」
リョウ 「いやいや。寒天は空気や水と違う。ゆっくり押したってびくともしないさ」
タクヤ 「じゃ、速く叩くとどうですか?」
リョウ 「ある程度のスピードで叩けば、グシャッと壊れるよね」
タクヤ 「ゆっくりのほうが動きやすい水と、様子が違うでしょう? 増粘多糖類で粘性を付けた物質も、そんな風に、力を加えたときのスピードでどうなるか、ものによって性質が違うんですよ」
リョウ 「ほう。空気や水的なイメージのものと、寒天的なイメージのものがあるということか」
タクヤ 「空気や水は、そこで動くスピードが速くても遅くても粘性はいつも同じなんです。だから、速く動こうとすれば応力が大きく、ゆっくり動こうとすれば応力が少ないということになります」
リョウ 「応力は壊されねぇぞ動かされねぇぞという抵抗だな」
タクヤ 「そうです。せん断応力といいます。一方、流体の中には遅いスピードでは粘性が高く、速いスピードでは粘性が低くなるというものがあります」
リョウ 「ふーん。それが寒天のようなイメージのものか。ゆっくり押したときは応力が強くて壊れない。スピードのあるグーで叩くと壊れるのは、そのときの応力が小さくなるということか」
タクヤ 「そのスピードのことを『ずり速度』って言うんですが」
リョウ 「またヘンな名前だねぇ。誰だい、そんな名前にしたのは」
タクヤ 「知りません。とにかく、ずり速度大で応力も大というように、ずり速度と応力が比例する水や空気のような流体の粘性をニュートン粘性と言います」
リョウ 「その名前覚えなきゃだめ?」
タクヤ 「別に覚えなくてもいいですけど、合コンで受けませんか?」
リョウ 「受けない」
タクヤ 「そうですか」
リョウ 「じゃ何かい。寒天的なやつの粘性はアインシュタイン粘性とでも言うのか」
タクヤ 「言いません。ずり速度が上がるに従って応力が小さくなるような粘性は、シュドプラスチック粘性と言います」
リョウ 「その名前覚えなきゃだめ?」
タクヤ 「別に覚えなくてもいいですけど、ナンパで使えませんか?」
リョウ 「『彼女ぉ、なんとかプラスチック粘性って知ってるぅ?』なんて声かけて立ち止まるコなんていないよ」
タクヤ 「だめですか」
リョウ 「あり得ん。で、お前の難しい物理の話って、以上? そんなの知ってて何の役に立つんだ?」
粘性の違いで使い途も変わる
タクヤ 「ローカストビーンガム(LBG)の粘性は、どちらかと言うとニュートン粘性的なんですよ。これは、いつも同じ粘り気だから、まぁ、扱いやすいわけです」
リョウ 「ふーん。シュドなんとか粘性はいいとこあるのか?」
タクヤ 「キサンタンガムは面白い物質で、シュドプラスチック粘性があるんです。これは、そっとしておいたり、優しく運んだりしているうちは固さを保っていて、振るとシャバシャバになるということになります」
リョウ 「あ。それナンパには使えないけど、ナッパには使えるってことだな」
タクヤ 「ご明察。ドレッシングにぴったりな増粘多糖類ということになります。静置している間は、材料が混ざったまま流体が固さを保持している。瓶を取り上げて振ると、固さが壊れて、よく混ざり合う、ということになるわけです」
リョウ 「なるほどなぁ」
タクヤ 「便利な物質でしょ?」
リョウ 「わかった。ちなみに、逆の物質はないのか? ずり速度が速いと固くて、ずり速度が遅いと壊れるような」
タクヤ 「低反発枕みたいなものですね。テレビで水の上を走る実験て見たことありますか?」
リョウ 「そういうのあったな。水にでんぷんの粉をたっぷり混ぜて、その上を走るという」
タクヤ 「あのでんぷんを混合した液体は、素早く蹴ると応力が強く、ゆっくり足を入れると応力が弱いということです。こういうタイプの粘性はダイラタント粘性と言います」
リョウ 「その名前覚えなきゃだめ?」
タクヤ 「別にいいです。これに該当する増粘多糖類もちょっと思い浮かびませんし」
リョウ 「ま、女の子くどくにも、矢継ぎ早に話しかけてもだめで、ゆっくり話したほうが心を許してくれるもんだよな」
タクヤ 「またそっちへ行きますか」