おいしい農産物の基本的な条件として、とくに(1)栽培に適した地域・条件で作られていること、(2)旬のもの、(3)新鮮なもの、(4)品種の特徴としてうまい、(5)栽培方法がよいを挙げた。そして、(5)があったとしても、本来最重要である(1)~(4)が満たされなければ、おいしいものは提供できないと書いた。
味のよさを客観的に伝える試み
それでは、(1)~(4)の条件が満たされた中で(5)を取り入れる、すなわち「○○農法」といった何らかの特徴的な栽培方法を用いれば、必ずおいしいものができるだろうか。答えは、ノー。おいしいものが出来ることもあれば、そうはならないこともある、ということになる。
栽培方法でどのように味が変わるのか、作物の出来が変わるのかは、今後の連載の中で書いていくが、問題は、栽培方法に名前があるかどうかではなく、作物の生理に合った栽培ができているかどうかなのだ。
さて、農産物の味の評価の話に戻ろう。
前回も指摘したとおり、何をおいしいと感じるかは人それぞれに評価が異なる。しかし、まずさというのは、おいしさに比べると多くの人に共通するものが多く、そこを見きわめることが、ある程度有効な指標になると考えている。
農産物、とくに果物は、糖度に左右される部分が大きいということになっている。では、糖度が高ければ必ずおいしいと評価されるかと言うと、そうは言いにくい。おいしさには酸度や食感など他の要因が絡んでくるので、高糖度=おいしいと言うのは難しい。だが、逆は言いやすい。つまり、糖度が低ければまずい、となる可能性はかなり高いと言える。あくまで一般論ではあるが、果物でも野菜でも、糖度がある一定レベル以下のものは、「まずいはず」として出荷しないことにすれば、味の評価を落とす可能性は大幅に抑えることができるに違いない。
第14回「硝酸態窒素が増える問題の本質」で触れたように、硝酸態窒素濃度が高いと、作物中の糖度が低くなる傾向がある。そして硝酸態窒素を大量に含むものは、苦味というかエグ味が非常に強くなる(硝酸態窒素そのものは無味無臭とのことなので、糖度が低いことにより、作物特有のエグ味が強く感じられるのかもしれない)。したがって、出荷基準として、糖度がある一定以下、硝酸態窒素がある一定以上といった指標を定めれば、まずいと感じられる可能性を相当程度抑えられるだろう。
糖度は、果物などではおいしさの基準として採用されることは多いが、野菜についても糖度を基準にできるものは多いだろう。「おいしい」という曖昧で主観的な表現に代えて、「糖度○○%以上」といった表現を用いれば、客観性を引き上げながら魅力を訴えることになる。
食べて実際においしいということを、なんとか数値として表現しようとする試みはあるが、現実にはまだ完成していない。その中で、少なくとも上記のように、まずくないという証明の一つとして、糖度や硝酸態窒素濃度などを表示する努力が必要かもしれない。
栄養は客観データが取れるが
一方、健康面の品質はおいしさに比べれば客観的な表現がしやすい。たとえば、農産物が含む栄養や体によいと考えられている何らかの成分の含有量は、調べさえすれば数値で評価することが可能だ。
ということは、もし「栄養価が高い」「健康によい」と訴えようとするならば、数値を測定して明示するべきだろう。
とは言え、これは言うは易く行うは難しで、実は、農産物でこの保証をするのは非常に難しい。栄養素の量の表示は、宣伝としては非常にアピールする力があるわけだが、実際には農産物の栄養価は、天候条件により著しくに上下する。また、おいしさと同様に、栽培に適した地域・条件、旬であるか、といった条件によって変わる。
もちろん、品種や栽培方法によっても変わるのだが、天気が悪かったりすると多くの場合、各種の栄養の含有量が上がりにくく、栄養価の保証がしにくいという問題がある。
しかも、現実的な問題として、栄養価の測定は結構値の張るもので、宣伝のためにそこまではしにくいというのが現状だ。
そのようなわけで、栄養を数値で表示した農産物というものは現状ほとんど見かけない。だが、そこで筆者が問題だと思うのは、実測値がないにもかかわらず、品種や栽培方法を根拠としてあたかも常に栄養価が高いように表示しているケースが見られることだ。しかも、誇大広告気味のオーバーな表示も散見される。
そのような宣伝方法を続けるのでは、天気が悪く、栄養価が低いときに出荷した場合には、消費者をだましているということになり得る。