それにつけても、“安全”というテーマは書きにくいものだ。まず第一に、安全という概念を説明するのが難しい。
安全とはいったい何か?
農産物の安全性について考える前に、安全ということについて、ちょっと考えてみたい。
新幹線は安全な乗り物か?
実は、「安全」と言い切ることは不可能というほど難しい。たとえば、「新幹線は安全な乗り物だ」と言えるだろうか?
日本の新幹線は、これまで死亡事故が起きていない。その実績からすれば、安全と言ってもよいと考える人が大部分だろう。世界的に見ても、これほど危険性の小さな交通機関はないと言えるだろう。
では、今日これから新幹線に乗る人に、100%の安全を担保できるだろうか? 実はそんなことはない。これまで死亡事故が起きていないという過去の事実を言っているだけで、今後も死亡事故が起きないという根拠にはならない。新幹線の安全性を説明するには、「安全です」と断言するのではなく、「現在の交通機関の中で最も危険の少ない移動手段です」という言い方が適切だろう。そう、厳密に言えば、新幹線に乗ることすら安全と言い切ること難しいのだ。
とは言え、旅行者の立場からすれば、誰かが「新幹線は安全です」と言ってもらいたいだろう。
では、「新幹線は安全です」と言う資格があるのは誰だろうか。JRだろうか。おそらく違うだろう。
そのパターンを、2011年3月以降の私たちは知っている。「原子力発電所では事故は起きない」「原発は安全である」と言い切っていた東京電力が正しくなかったことを、国民は胸に刻んだのである。彼らは、「安全」を根拠に、事故対策を怠っていた。
新幹線がそのようでは困る。あのように高速で移動する乗り物は、ちょっとした事故が大惨事につながることは十分あり得る。JRはゆめ「安全」にあぐらをかいてはならないのであって、事故が起きるリスクを常に少しでも小さくする努力を続ける必要がある。
国土交通省や政府はどうか。国はJRに対して安全対策を指導する立場にあり、国が定めた安全基準に合致しているかどうかを発表することはあっても、100%の安全を担保する立場にはないし、やはり不可能だ。
では、いったい誰が「新幹線に乗ることが安全だ」と、言ってくれるだろうか。あるいは、誰が安全だと判断するものなのか。
自動車はどうだろうか。車が新幹線よりも、はるかに危険な乗り物であることは容易に理解できる。毎日どこかで交通事故が起こっているのだから。日本では年間1万人弱の方が交通事故によって亡くなられているという事実を持ち出すまでもなく、自動車を運転すること、それがある社会に住むことには高いリスクがある。
では、それにもかかわらず、多くの人が自動車を利用し、危険だから禁止しろという声が上がらないのはなぜか。自動車会社が安全だと言っているからだろうか。いや、自動車会社は自動車が危険な乗り物だとは言っていないが、安全だとも言っていない。
飛行機はどうか。さまざまな計算方法があるようだが、旅客機はここまで挙げた3つの交通手段の中でも最も危険の少ない乗り物であると言われている。事故の確率が非常に低いからだ。
それでも一度事故が起これば、自動車や新幹線よりも死亡する確率が高い。どの乗り物よりも安全であることをセールスポイントとして訴えている航空会社もないだろう。
リスクとベネフィットを天秤にかけている
さて、乗り物について、いったい誰が安全を保証してくれるだろうか。ここまで見てわかるのは、誰も乗り物の安全を保証してくれてはいないということだ。それなのに、誰もその危険性を主張していないのはなぜだろうか。
それは、人々がそれぞれの乗り物がもたらす利益(ベネフィット)と危険性(リスク)を秤にかけて、
利益(ベネフィット) > 危険性(リスク)
と考えているからだ。自動車、新幹線(鉄道)、飛行機がない不便と、利用することによる危険性のどちらを重視するかを考え、利便性を優先する、危険性に目をつぶる、と判断しているからだろう。だから、人々はこれらの乗り物を(ある程度の)危険を承知で利用しているということもできる。
つまり、乗り物については「これは安全である」と言い切ること、すなわち危険をゼロにすることは不可能なのだ。ただし、危険性がゼロでないから利用しないということにはならず、危険性を小さくするという対応がとられ、それによって利益が相対的に大きくなり、利用するに値するものということになってくる。