前回、英国食品基準庁(FSA)が発表したオーガニック(有機認証)食品の栄養価と健康影響についての科学的根拠を吟味したレビューについて、背景と要旨を紹介しました。このレビューの「科学的」内容について、さらに説明が必要であると感じましたので続けます。2008年8月の記事で「科学的根拠」とは、ということを一度話題にしているのですが、大切なことなので繰り返します。
FSAが発表した報告書は「系統的レビュー」と呼ばれるもので、手順としては大雑把に文献を集める・事前に設定した基準に従って集めた文献のデータを採択するかどうか判断する・採択された文献データを統合して評価し判断するということになります。
まずオーガニック食品と通常食品の栄養価の比較についてですが、1958年1月1日から2008年2月29日までの間に発表された英語のアブストラクトのある科学論文の中から目的の内容の合計162報の論文を選びました。個別の栄養素比較は3558件に上ります。そして、それらのうちで材料や測定方法が明示されているなどの研究の質の判定基準に合格したのは55報でした。これらの論文に含まれるデータを集めて解析(メタ解析という手法)した結果が、概ね差はないというものでした。特定の条件ではわずかな差があるものもありましたが、意味のあるものではないということです。
もう1つの、オーガニック食品と通常食品のヒト健康影響の比較については、1958年1月1日から2008年9月15日までの間に発表された英語のアブストラクトのある科学論文の中から、目的の内容の合計11報の論文を選びました。そのうち質が基準に達していると判断された論文は3報でした。このレビューでは11報の論文データを吟味し、結論としてはオーガニック食品が健康に良いという根拠はない、というものになりました。
ここで注意して欲しいのは、系統的レビューの結論は1つや2つのデータで簡単に覆ったりしない、ということです。論文の中には、極めて質の高いデータが大量に提供されている論文もあれば、ほとんどまともなデータがないものもあります。従って、論文の数は問題ではありません。この系統的レビューはこれまでの50年間に蓄積されてきたデータから言えることを示したものですので、科学的にはオーガニック食品に栄養や健康影響の上でメリットはないということはほぼ決着したと言っていいのです。
しかしながら、オーガニック推進団体によるメディアなどを介した一般への宣伝は相変わらず続いており、一般の人たちが系統的レビューがどういうものかを理解していないのをいいことに、学会発表や論文1つだけで反論できるかのように主張しています。そのような行為は科学への理解を妨げるものでしかありません。科学的根拠と一口に言ってもそのレベルには大きな違いがあるのです。
そもそも何故科学的には根拠の乏しい「オーガニック食品の方が栄養価が高くて健康に良い」という誤解が消費者の間に広がったのか、という問題があるのですが、まさしくその典型的な事例をFoodScienceの記事に見つけました。「技術士からの提言●民主党政権に期待する山地・森林酪農の推進」の記事の、本題ではなくおまけに付け加えたような部分ですが、以下のような記述があります。
「08年のイギリスとドイツからの報告で、ヒトの健康に重要な機能性をもつ脂肪酸類の含量が、放牧牛に顕著に多かった。それらは、共役リノール酸(CLA:がん、肥満、心臓血管病の予防)、一不飽和脂肪酸(オレイン酸)、多価不飽和脂肪酸(αリノレン酸、EPAその他)、ビタミンE、カロチノイドなどで、これらの含有量は濃厚飼料に比べ放牧の牛では30~80%も多かった。この傾向は乳でも同様である」
ここでは有機農法の話をしているわけではないのですが、主張している内容は同じです。この文章の問題点は以下の3点です。
- 引用文献を提示していないこと
- 共役リノール酸に病気の予防効果があると主張していること
- 特定の食品の栄養素の多寡が健康影響に直接結びつくと思わせること
1については単に引用すればいいだけです。しかしそれをわざとしない場合があるということにも注意が必要です。「データがある」と主張するだけで具体的なデータを示さずにメディアでいろいろな主張をする「専門家」が時々います。報道する側の問題でもあるのですが、大前提として根拠は明示するべきです。
2の共役リノール酸ですが、現時点で「がん、肥満、心臓血管病の予防に効果がある」という信頼できる根拠はありません。一般の方は健康・栄養研究所の「健康食品」の安全性・有効性情報を参考にするのが良いかと思います。共役リノール酸は食品に通常含まれる量で害はないと考えられますが、効果もないと考えるのが適切でしょう。サプリメントとしても販売されていますが、サプリメントとしての使用では肝障害の報告もあります。一般論として、医薬品ではないものについて、病気の治療や予防効果を宣伝することはできません。
3は、消費者を誤解させようとする宣伝に最もよく使われるロジックで、今回のオーガニック食品の健康影響についての消費者の認識と科学的根拠のギャップの大きな要因と思われるものです。
英国のSoil Associationもオーガニックミルクを選ぶべき理由として、オーガニックミルクのオメガ3脂肪酸含量が通常ミルクより68%多かったという論文を引用して2006年にFSAに「オーガニックミルクの方が健康に良いことを認めろ」という文書を公式に送付しています。これは、Soil Associationのサイトで、文献やFSAへ送付した文書を読むことができます。
食品中に含まれる各種脂質や栄養素に関しては、米国農務省のデータベースが充実しているのでそちらを参考にします。このデータベースは基本的栄養素のほかに脂肪酸についての情報が詳しく、飽和・単価不飽和・多価不飽和・トランス脂肪酸の数値が掲載されています。
牛肉も牛乳も、食品としての種類が極めて多いので、とりあえずホールミルクについて数値を見るると、100g当たりレチノール28μg、β-カロテン5μg、ビタミンE 0.06g、総多価不飽和脂肪酸 0.195gという値になっています。これが標準の値とみなすと、放牧牛ならその1.5倍くらいになるということが主張されているわけです。ところでこれらの栄養素は牛乳が主な摂取源ではありません。同じUSDAのデータベースから生のニンジンを検索するとβ-カロテン 8285μgアルファカロテン 3477 μgという数字が出ています。牛乳のβ-カロテンが、放牧なら普通の牛乳より100gあたり2―3mg多く含まれるというのがメリットだとするなら、それはニンジンだったらたった0.3g程度の違いでしかないのです。
次にサーモンを検索してみましょう。サーモン100gに含まれるのはビタミンE 3.55 mg、単価不飽和脂肪酸 3.770g、多価不飽和脂肪酸 3.886gです。放牧牛乳100gに余分に含まれるビタミンEはサーモン1g分でしかないということです。不飽和脂肪酸でも同じことで、不飽和脂肪酸を摂りたければ、植物油や魚油のほうがいいのです。
簡単なことですが、牛乳は良質なたんぱく質やカルシウムの摂取源ではあっても、通常カロテンや飽和脂肪酸の主な摂取源ではないということです。もともと微量しか含まれず、ほかの食品からたくさん摂れる栄養成分が、栽培方法や飼育方法で多少差があったとしても、最終的にヒトの健康影響という点ではほとんど意味がないのです。FSAのオーガニック食品の健康影響に関するレビューで、一部の栄養素に栽培法や飼育法による違いが見られるが、健康影響という意味では差がない、と指摘しているのはそういうことなのです。
このような宣伝手法は「○○酢は普通の酢に比べてアミノ酸が何倍も!」「ミネラルウォーターにはカルシウムが水道水の△倍」というように、いわゆる健康食品でよく使われています。実際にはアミノ酸やミネラルを摂りたかったら酢や水ではなく牛乳やジュースを飲むほうがはるかに効率がよいのです。
繰り返しになりますが、ヒトの健康影響を考えるときには、食生活全体のバランスを考える必要があり、個々の食品の特定の栄養素だけを近視眼的に追求してもあまり意味がないのです。「1日に必要な量の何%摂れます」といった表現であれば、ある程度全体を考慮していると言えるでしょう。実はこれは残留農薬が基準値の何倍検出された、という報道と同じ構造なのです。以前、基準値の何倍という報道は意味がないので、せめてADIの何パーセントに相当するかという報道の仕方にして欲しいと書きました。残留農薬の報道ができるだけ危険性を誇張したいという意図から何倍という数字を使うのと同じように、ある特定の食品のメリットを強調したいという意図が何倍という表現を使わせるのです。
この事例のような、1つひとつは小さな記事や話の積み重ねが、一般の人々の「農薬は悪い」「有機は良い」といった強固な思いこみを形成してきたのでしょう。そうであるとすれば解決策もまた、事実を指摘していくといった小さなことを積み重ねていくしかないのではないかと思っています。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。