日本国内では峠を越えた感のある新型インフルエンザ「騒動」ですが、オーストラリアなどでは感染は拡大中で、世界レベルではまだまだ終息したとは言えない状況です。このインフルエンザ騒動の中で、神戸市や兵庫県が「安心宣言」をしたと報じられました(「神戸 ひとまず安心宣言」「新型インフルエンザひょうご安心宣言」)。
この「安心宣言」とは一体何を意味するのでしょうか? それまでが過剰不安だったから、そこまで心配する必要はないという意図なのだろうとは思いますが、ここで「安心」という単語が出てくることを不思議に思います。遺伝子組換え食品やBSE(牛海綿状脳症)については、科学的根拠がどれだけあろうと安心できないと繰り返していた自治体や政治家が、感染者は今後も出るだろうし死者も予想されるという現状を「安心」だと主張しているのですから。
今回の騒動でのリスクコミュニケーションと「安心」について、日本と海外とを比較しながら紹介してみます。まず新型インフルエンザのリスクを政府や担当機関がどう伝えているのか、米国の状況の一部を紹介ましょう。感染拡大中のニューヨーク市が一般市民向けに出した情報の中では、インフルエンザそのものへの対処法が日本とは違うことはもとより、不安についての項目で以下のように記しています。
(以下、引用です)
・インフルエンザについて多くのニュースを聞いて不安です。どうすればいいのでしょうか? そのような不安は普通(正常)ですので心配いりません。情報を得ることは良いことですが、限度を超すと、子供は特に不安が強くなることもあります。子供がニュースを観る時は、あなた(親)も一緒にそれを見てどういう意味か説明してあげましょう。
(引用終わり)
何らかの危険情報に接したときに不安になるのは当然である、というスタンスです。そして、その不安を抱えながら正常な日常生活を送るのが大人にできることであり、不安への対処が上手くできなくなったら、精神衛生の専門家の助けを求めるようにと助言しています。不安の一因はメディアなどの情報に接しすぎることにもよるので、メディアとの接触を制限することも提案しています。特に子どもはストレスの多い状況を理解する能力が未熟なために不安が強くなりがちなので、子どもには特別なケアを求めています。
米国疾病管理センター(CDC)の保護者向け助言の中でも、できる限り通常通りの日常生活を送ること、子どもの不安や疑問には冷静に真摯に向き合い、落ちついて手洗いなどの基本的衛生などを実践しましょうと勧めています。子どもの不安への対処法として、話を良く聞いてあげること、抱きしめたりキスしたりして安心感を与えること、テレビを消すことなどを上げています。
背景にあるのは不安やストレスはあって当然であるという認識です。インフルエンザのような感染症のリスクは、決してゼロにはなりませんし、毎年多くの犠牲者が出ています。注意は必要ですが、過剰でも過小でも困る、極めて狭い適正ゾーンを探りつつ情報を出すよう努力しているわけです。メディアについては日本の場合、自治体レベルでマスメディアの情報に注意して正しい情報の入手に努めましょうといった言い方をしているところがありますが、メディアは基本的に正しい情報を入手する手段としては不適切なのです。CDCやニューヨーク市の保健当局のような公的機関が、子ども向けから専門家向けまで、画像や音声を含む多数の情報を提供していますから、それらを参考にして判断するようにと助言しています。
ニューヨーク市は9.11同時多発テロの後、テロの恐怖に負けずに日常生活を今まで通りに送ることこそがテロリストの思惑通りにならないことであるとして気丈に振る舞うことを薦めてきました。その努力は素晴らしいものだったと思います。その経験が比較的落ちついた反応に現れているのかもしれません。
またCDCは定期的に記者会見を行って、専門家が状況を説明しています。記者会見の様子はウェブで見ることもできるし質疑応答部分まで含めて議事録として速やかに掲載されます。早朝や深夜の緊急記者会見やそのテレビ中継騒動のようなものはなく、質問事項は事前に提出することもできます。
今回はCDCが中心的役割を果たしていますが、2007年のペットフードにメラミン汚染があって多数のペットが病気になった事件の際にはFDAとUSDAが同様の合同定例記者会見を行っています。記者会見で説明しているのは政治家ではなく、問題についての専門知識を持った科学者たちです。この時出てくる「専門家」や「科学者」は、FDAやUSDAの職員である公衆衛生や食品安全全般への理解のある人たちであり、特定の分野だけに特化したいわゆる「専門馬鹿」でも、急遽呼び出されたほかの仕事を持っている人でもありません。ですから新型インフルエンザのリスクを語る際にも、季節性インフルエンザのリスクや、やがて来るハリケーンシーズンへの備えの必要性も同時に語っています。行政機関に科学者がそれなりの地位で在職しているということの強みを感じさせます。そして議事進行を担当しているのはメディア対応やリスクコミュニケーションが専門の職員です。
当然のことながら米国で「安心宣言」などというものは出されていませんし、今後出されるとも思いません。そもそも「安心」というのは政府や担当機関が一般市民に保証するようなものではないからです。保護の必要な子どもたちを安心させる(feel safe and secure)のは大人の役割ですが、自由を保証されている市民に政府ができることは、科学的根拠に基づいた安全性確保のための対応を行う以外には、判断材料となる情報を提供することだけでしょう。
余談ですが、CDCは日本の07年のはしかの流行についても国際的に大きな影響を与えたと報告しています。この時日本が米国やカナダ、台湾にはしかを“輸出”していますが、このことを根拠に各国は日本人や日本への移動に制限を加えたりはしていません。日本のものものしい空港検疫が国際的に話題になったのは、はしかのような重大な病気への対策は効果的な手段があるにもかかわらず疎かにしておきながら、より軽い病気に大騒ぎしていることが奇異に見えたからということもあります。日本は先進国の中でも最も予防接種の種類も接種率も少ない国です。日本のはしかの患者数は毎年数万人というレベルであるにもかかわらず真剣に対応していないように見える一方、英国では確認された患者数が07年に1000人を超えたために危機的状況と判断して対策強化を行っています。
ほかの国でも食品安全上の事件や事故の際に国民の不安が問題になることは多々あります。08年12月にアイルランド産の豚肉にダイオキシン汚染が発覚した時、地理的に近い英国でもたくさんの豚肉が回収されました。汚染豚肉の中には既に消費されていたものもありました。この事件についてFSAの主任科学者Andrew Wadge博士が、食べてしまっていたとしても健康上のリスクはないという科学的評価の結果をFSAのサイトにある彼のブログで説明しています。
その見解に対していくつか意見が寄せられているのですが、そのうち「消費者が大事なら(安全性に問題が無くても)アイルランド産の豚肉はフードチェーンから排除すべきだ」という意見に対して、Wadge博士は「私の仕事はダイオキシンの健康リスクに関して科学を正しく適用することであって、あなたを安心させる(soothe you)ことではない」と回答しています。この投稿者の意見は消費者の意見としてはありがちなものだと思いますが、それを明確に科学の仕事ではないと言えるのがFSAの科学者なのです。
英語圏では日本でよく言われる「安全・安心」に相当するフレーズが見あたりません。安全はsafetyで問題ないのですが、安心についての定型的言い方はありませんし、公的機関が安心のような問題に言及することもほとんどありません。ここで紹介したのは、安心について言及した比較的希な事例です。
実は日本でも食品安全委員会の見上委員長が同じような意見を述べています。
(以下、引用です)
「安全」は科学的な評価によってもたらされるものであり、一方、「安心」は人それぞれの判断に委ねられるものであるということを、今一度お考えいただきたい。
(引用終わり)
このように、安全性評価にかかわっている科学者の間では、消費者を安心させることが科学の仕事であるとは考えられていないのが普通でしょう。もちろん科学的評価をしっかり行って適切な対策を講じ、それを理解した結果として消費者が安心するということはあり得ると思います。世の中には絶対安全などというものはないのですから、何一つ注意することなく生活できるのかのような「安心」を保証できるなどと考える科学者はまずいません。
リスク回避のためにはある程度の不安(=警戒心)を持ち続けることが必要な場合もあるでしょう。道路を渡るときには車に注意する、というようなことは小さな子どもにも要求されています。リスクコミュニケーションは、時にほとんどリスクはないというリスク評価結果を伝えることで安心させることがあるかもしれませんが、安心させることが目的なのではなく、リスクを理解し適切な対策をとれるようにするためのものです。その中には過剰反応による差別や被害の防止も含まれます。
安心というのは科学の言葉ではなく政治の言葉で、「安心のため」と称して行われる対策は科学的根拠がないために資源を浪費することになる、ということにはBSEの全頭検査の前例があります。「安心」を連呼する人たちには、それが要求する側であろうと応える側であろうと、胡散臭さがつきまといます。リスクの大きさに応じた、科学的根拠のある対策をとろうという主張が日本で主流になるのは何時の日のことなのでしょうか。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。