FSAのカドミウムの週間耐容摂取量の引き下げで、どうする日本?

2009年3月20日、欧州食品安全機関(EFSA)の汚染物質に関する科学委員会(CONTAMパネル)が、カドミウムの週間耐容摂取量(TWI)をこれまでの暫定値7 μg/kg体重/週から2.5 μg/kg体重週に引き下げるという結論を発表しました。この引き下げは、これまでの値がカドミウムによるヒトへの腎障害を指標に設定されていたのに対して、新しい評価では腎臓の尿細管機能障害の指標とされる尿中β2ミクログロブリン(β2-MG)の増加を根拠にしたことが一番大きな理由です。

 カドミウムは天然に環境中に存在する重金属で、大気や土壌や水などに含まれています。植物や動物にも当然含まれますが、その濃度は自然環境の違いや動植物の特性によってさまざまです。カドミウムは国際がん研究所(IARC)によってヒトでの発がん性あり(グループ1)と分類されていますが、これは主に吸入による職業暴露での肺がんが根拠となっており、食品からの暴露では発がん性は報告されておらず、腎障害が主な問題となります。

 喫煙者ではたばこが主な暴露源になります。煙草に含まれるカドミウムは1本につき1-2μgで、そのうち約10%が喫煙により吸入されるとされます。フィルターの有無や煙草の種類によりカドミウムの吸入量は変わりますが、喫煙者のカドミウム摂取量はそうでない人の概ね2倍になるとされています 〔World Health Organisation(WHO)International Programme on Chemical Safety(IPCS)Monograph(1992). Environmental Health Criteria 134 – Cadmium〕 職業暴露も喫煙もない人の場合は、食事がおもな暴露源となります。摂取したカドミウムは人体では主に腎臓や骨に蓄積します。

 FAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)では腎臓の湿重量1g当たり200μgのカドミウム濃度で10%のヒトに腎臓への有害影響が出るとしています。そして50年間でカドミウム50μg/g腎臓を超えない摂取量として1μg/kg体重/日を導き出し、PTWI7μg/kg体重/週を設定していました。EFSAはより初期の腎機能障害の指標である尿中β2ミクログロブリン濃度が増える尿中カドミウム濃度として4μg Cd/gクレアチニンという値を導き出し、それに係数を使って、50年間で尿中カドミウム1.0μg/gクレアチニンを超えない摂取量として0.36μg/kg体重/日を導きだし、TWI2.5μg/kg体重/週を設定したのです。

 この7μg/kg体重/週という値は2008年に日本の食品安全委員会でも再確認されています。詳しい説明は食品安全委員会のリスク評価結果の解説サイトが分かりやすいと思いますのでそちらを参照してください。

 日本の食品安全委員会の評価は、提案された数値こそJECFAの値と同じですが、その根拠は日本独自のものです。日本の場合、地理的要因と日本的食習慣により、カドミウムの暴露量が多く、JECFAのPTWI7μg/kg体重/週を超過する人たちが相当数存在するという現実があります。そのため、実際に比較的高濃度暴露されている人たちから得られた、「7μg/kg体重/週程度のカドミウム曝露を受けた住民に非汚染地域の住民と比較して過剰な近位尿細管機能障害が認められなかった」ということと「対照群と同程度のβ2-MG尿症の有病率になる総カドミウム摂取量が2.0gである」という2つのデータを根拠にTWIを設定しているのです。

 食品安全委員会とEFSAの違いは、大雑把に言ってしまえばどれだけ安全側に余裕をもって推定しているか、ということになります。EFSAは、TWI2.5 μg/kg体重/週という数値は多分リスクの過剰推定であり、この値を超えたとしてもただちに有害影響に結びつくことはないであろうと述べていますが、同時にこの値を超えるような集団についてはできるだけカドミウム摂取量を減らすようにすることが望ましいとも主張しています。一方日本では、年々カドミウムへの暴露量は減少傾向にあるため、健康への影響はより低下しているとしています。なおEFSAでも食品安全委員会でも喫煙による影響は考慮していません。喫煙者の健康への悪影響は、それがたばこによるものであることは分かっても、そのうちカドミウムの寄与がどれだけあるのかは不明で問題を複雑にするだけだからです。

 さてこのカドミウムの安全性評価から見えてくる課題がいくつかあります。1つは、日本の食品安全委員会の行った評価がEFSAに引用されていないということです。理由は簡単で、日本語でしか発表されていないのでほかの国で引用できる形にはなっていないのです。食品安全委員会に直ちに英語で評価文書を公表するだけの予算や人員の手当てがないというのは科学技術立国を掲げる国としてはお粗末なのではないでしょうか。

 カドミウムについては、何年にもわたってCodexを舞台に日本が各国の説得に尽力してきたという経緯があります(参照:農林水産省のサイト)。Codesx基準はJECFAのPTWIを参照しながら作成されていますが、今回EFSAがTWIを低くしたことから、JECFAでも今後引き下げが検討される可能性があります。日本は明確な科学的根拠で議論に参加していかなくてはなりません。そのための参照文献が日本語では困るのです。

 さらに食品安全委員会によれば、日本人の食事由来のカドミウム暴露量が減ってきた最大の理由はコメを食べる量が減ったからです。仮に宮沢賢治並に「1日に玄米4合」を食べるとしたら、食品衛生法による玄米のカドミウム基準値1 ppm(mg/kg)の玄米を600g食べるとすると1日のカドミウム摂取量は0.6 mg(600μg)ですから、β2-MG尿症の有病率が5%となるカドミウム摂取量110μg/dayを遙かに超え、β2-MG尿症の有病率が50%となるドミウム摂取量役350μg/dayも超えます。TWIの超過が避けられないだけではなく、カドミウム濃度の高い地域であれば実際に腎機能障害が危惧されるという量です。

 ただし現在は0.4 ppmを超えるコメは流通していないということです。問題なのは日本には天然に作物のカドミウム濃度が比較的高い地域があるということと、自分の住む地域でとれたコメ以外にも種類や産地の異なるいろいろなものを食べるようになってきた多様化のおかげでリスクが小さくなってきているということを無視して推進されている「地産地消・お米をもっと食べましょう」運動です。どの地域の作物の重金属濃度がどのくらいなのかについてのデータは風評被害を恐れてか公表されていませんので、「できるだけ地元産のものを食べる」ことによりハイリスクになってしまう地域があったとしても分かりません(注:ほんの一部の食品だけを地元産にする程度の効果しかない現状で、問題となるような地域があるとは思えませんが)。

 都合の悪いものであっても、データはできるだけ公表し徹底的に議論したほうが将来のためでしょう。根拠のない「外国産は危険で地元産が安全だ」という神話をもとに地元産をアピールするより、少々リスクが高くなっても地元のために地元のものを買う、というのが健全だろうと思います。

 最後に、これが一番大切なことですが、重金属のような天然に存在して避けようのない有害物質については、残留農薬や食品添加物の場合のような安全係数100だとか実質的にゼロリスクで管理するなどということは不可能であるということです。カドミウムだけではなく、水銀やヒ素などでも、安全係数を大きくとると食べられるものが減ってしまうということがしばしばおこり得ます。リスクを下げるための費用が膨大になることもあります。事実上天然物のリスクについては人が管理できる残留農薬や食品添加物より甘くせざるを得ないわけです。

 これらの問題については、どこかでこのくらいのリスクなら受け入れようという合意を作る必要があります。「リスクのない水準はどこか」ではなく、「許容できるリスク水準はどのくらいなのか」という問いに、消費者も含む関係者すべてが向き合う必要があるのです。「疑わしいものは、例え少しでも入っていて欲しくない」という考え方はこれと対極をなすもので、現実の自然は疑わしいどころか確実に有害なものだらけなのですから、きちんと直視して冷静により良い対処法を探っていきたいものです。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

アバター画像
About 畝山智香子 30 Articles
国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長 うねやま・ちかこ 宮城県生まれ。東北大学大学院薬学研究科博士課程前期二年修了。薬学博士。専門は薬理学、生化学。「食品安全情報blog」で食品の安全や健康などに関してさまざまな情報を発信している。著書に「ほんとうの『食の安全』を考える―ゼロリスクという幻想」(化学同人)。