食品のリスクというと真っ先に思い浮かぶのは食中毒でしょう。一般の消費者には残留農薬や加工食品の添加物が危険だと思っている人が多いかもしれません。今回はそうした食品由来リスクを定量化して評価しようという試みについて紹介してみようと思います。
なぜ定量化が必要なのかといいますと、食品には限りませんが想定されるあらゆるリスクに対応するというのは現実的に不可能なので、リスクの大きいものや費用対効果の高いものから優先的に処理していくことで、限られたリソースで最大の利益をあげることができるからです。日本ではあまり聞いたことがないかもしれませんが、国の政策決定過程に導入されている規制インパクト評価(Regulatory Impact Assessment、ここでは詳細は説明しませんが興味のある方は国土交通省国土技術政策総合研究所のサイトなどを参照)にとっても重要な指標となります。
オランダ国立公衆衛生環境研究所(RIVM)が2006年に「我々の食品、我々の健康:オランダにおける健康的な食事と安全な食品 Our Food, Our Health: Healthy diet and safe food in The Netherlands」という報告書を発表しています。364ページの全文はここからダウンロードできます。
この報告書では食品由来の疾患負荷の指標として障害調整余命年数(Disability Adjusted Life Years、DALYs)というものを使用しています。これは疾病や障害による時間の損失を単位として、早い死や身体障害について、年齢による損失の重み付けや標準平均余命を考慮して計算される数値で、1 DALYは完全に健康な一年の寿命損失を意味します。DALYsはYLL(Years of Life Lost;早世による生命損失年数)とYLD(Years Lived with Disability;障害を抱えて生きる年数)の和です。
例えば、平均寿命80才として交通事故で75才で死亡した場合は5 DALY、病気で4年不自由な生活をして75才で死亡した場合には5+4*0.5=7 DALY。食中毒で1日トイレから離れられなかったというような場合は 1/365 DALYというように計算するというような具合です。実際には重み付け係数が多数あり、そう単純な計算ではありませんが概念としてはそういうことです。
オランダは人口1620万人、国土の面積は九州とほぼ同じ、ヨーロッパでも北部に位置する国ですが、海洋性気候のため比較的温暖です。東京などと比べると夏は涼しく、積雪は少ないが冬の寒さはやや厳しいという気候です。平均寿命は2004年のデータで男性76.9才、女性81.4才です。ちなみに日本の05年のデータは男性78.5才、女性85.5才となっています。
オランダの成人の約10%が肥満(この場合肥満の定義はBMI30以上)で、食事内容はトランス脂肪と飽和脂肪の摂取量が多く、野菜や果物は不足気味です。死因としては心血管系疾患が最も多く、次いでがん、呼吸器系疾患、外傷や中毒といった順番になっています。時代とともに心血管系疾患とがんが増加しています。日本人より心血管系疾患が多いのが特徴です。
RIVMは5つの食事要因(飽和脂肪・トランス脂肪・魚・果物・野菜)・過体重・喫煙・アレルギー・適量を超えるアルコール・カビ毒や天然毒・硝酸/亜硝酸塩・多環芳香族炭化水素やアクリルアミドなどの汚染物質・微生物汚染などによる疾患負荷を検討しました。そのうち食事要因としては、飽和脂肪は全エネルギーの10%未満が望ましいが、98年の平均摂取量は14.5%と摂り過ぎであること、野菜や果物や魚については推奨摂取量より少ないことなどから、望ましい食生活により防げたであろう心疾患系疾患患者数を推定しています。
食中毒については、どこの国でも正確な患者数は不明ですので、届け出られた患者数から実際の患者数を推定して計算しています。オランダの食中毒では最も多いのが黄色ブドウ球菌やボツリヌス菌などの細菌毒素によるもので、次いでカンピロバクターやサルモネラなどの細菌感染によるものと推定されています。
その結果として、失われるDALYが最も大きく30万DALY以上にランクされたのは「全体としての不健康な食事」および「喫煙+運動不足+アルコール過剰摂取」の2つでした。以下に表を示します。
○健康の損失ランキング(失われるDALY)
- 30万以上:全体として不健康な食事、喫煙プラス運動不足プラスアルコール過剰摂取
- 10万―30万:食事要因5つ・運動不足
- 3万―10万:トランス脂肪の摂り過ぎ・魚や野菜の不足・アルコール、交通事故
- 1万―3万:飽和脂肪の摂り過ぎ・大気中微粒子・インフルエンザ
- 3000―1万:微生物による胃腸炎・受動喫煙
- 1000―3000:室内ラドン
- 300―1000:食品中カンピロバクター、アレルギー物質、アクリルアミド
- 300以下:O157・PAH・各種環境汚染物質
この値はあくまでオランダ人の場合についてのもので、日本人の場合はまた違った結果になるでしょう。日本人の場合は肥満率と心血管系疾患が少なく、魚の摂取量は多く飽和脂肪は少ないため、食生活全般についての相対的負荷は少なくなる可能性があります。一方食中毒などの負荷は大きくなるかもしれません。
ここで注目すべきことの1つは、食品中に残留する農薬や食品添加物により失われるDALYはほぼゼロであるということです。これはオランダでも日本でも、先進国であれば一様にほぼゼロです。事件や事故がなければ、規制に従って使用されている農薬や添加物による健康被害は出ないと考えられるからです。従って食品中の残留農薬や食品添加物については何か今以上の対策を行ったとしても公衆衛生上のメリットはほとんどありません。個人としても健康上は無意味です。それよりも食中毒対策に資源を割いた方が合理的、ということになるのです。
上述のような報告を行ったRIVMは優先すべき政策として、国民に対する健康的な食生活の推進を挙げています。もちろん最も費用対効果の高い政策は禁煙であることは明白ですが。このような根拠を示した上での提言は、その是非を議論するにも極めて建設的で有用だと思います。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。