米国で安全性が確認されたクローン動物、日本での受容はどうなる?

2008年1月15日、米国食品医薬品局(FDA)がクローン動物由来食品の安全性について最終リスク評価報告書を発表しました。06年12月に案として発表し、パブリックコメントを募集してまとめたものです。クローン技術を用いて作成したウシ・ブタ・ヤギ、あるいは伝統的に食用とされている動物のクローンの子孫は、普通の家畜同様、食用として安全であるというものです。

 また欧州では、欧州食品安全機関のEFSAが08年1月11日にクローン動物についての意見案を発表し、08年2月25日までの予定でパブリックコメント募集を始めました。こちらも基本的にクローン動物由来食品は、通常の交配で生まれた動物から得られる食品と特に違いはないという意見になっています。

 クローンは遺伝的コピーを意味します。この場合、体細胞核移植(SCNT)という方法により、望ましい性質を持つ家畜のクローンを作ることが実用化段階に入ったので、この技術について評価しています。簡単に説明すると、目的の動物の体細胞から取った核(遺伝子を含む)を、別の動物の卵子から核を取り除いたものに入れて、試験管内で胚(初期の発生段階、通常は受精卵が何回か分裂を繰り返したもの)になるまで培養し、それを代理母の子宮に移植して育てさせて産ませるという方法です。

 理屈の上では、生まれた子どもの遺伝子はもとの動物とほぼ同じですから、肉質などの性質もまた同じであることが期待されます。ただし完全に同一ではなく、遺伝子配列以外の要素(エピジェネティックと言う。例えばDNAのメチル化の程度やテロメアと呼ばれる遺伝子の末端の短い繰り返し構造)が違うこともあります。最初のクローン動物として注目されたクローンヒツジのドリーは、このテロメアの長さが短いことが話題になり、クローン動物は生まれつき寿命が短いのではないかと言われましたが、その後各種クローン動物が作られるに従ってそのような一般的傾向はないことがわかってきました。

 クローン動物そのものには、誕生までに生殖補助技術に伴う死亡例の多さや、発育上の問題などいくつかの困難があることが知られています。ただし健康に生まれてしまえばその後は普通の動物と特に変わらないようです。健康なクローン動物から生まれた子どもでは、クローンで見られたような若干の差もなく、さらに普通の動物と違わないことが示されています。そのためFDAはヒツジのクローンについてはデータが不足しているとしながら、ヒツジクローンの子孫については食べても安全であると判断しています。

 FDAやEFSAが食品としての安全性を評価した基準は、クローン動物の肉や乳が、クローンではない動物の肉や乳と違うかどうか、です。栄養素の組成などの物理化学的性質については、正常のばらつきの範囲内におさまり、クローン動物に特有の何かがあるという証拠はありませんでした。遺伝子については、もともと遺伝的親動物と同じですから違いはありません。遺伝子組換えとは違って、特に新しい何かを導入したわけではないので当然のことです。

 安全性評価と言っているのは、通常の食品と比べてどうか、という相対的評価のことです。農薬や食品添加物の場合のように、数値を出してどの程度安全であるかというような評価はできません。科学的にはこれ以上のことは言いようがありませんので、安全性については問題になるようなことは、特に無いと言っていいでしょう。

 クローン動物由来食品については、遺伝的にも物理化学的にも通常のものと同じであるので、表示は必要ないとFDAは結論しています。必要ない、というよりできない、と言った方がいいのかもしれません。物理化学的に、つまり「モノ」として同じであるならば、違いを見分ける方法はないということです。違いのないものに違いがあると表示し、一方を高値で販売する、というようなことがあればそれは偽装の温床でしかありません。もちろんトレーサビリティや知る権利などを主張して表示を求める意見もあります。しかしそれは任意で信用に基づいて行う以外に方法はなく、安全性などを根拠にして規制できるようなものではありません。

 米国では遠くない将来に、クローン動物の子ども由来食品が市販されるようになるであろうと考えられています。食の安全問題に意見を出すことの多い市民団体の1つである公益科学センターCSPIはクローン動物が安全であるというFDAの評価に満足しているというプレスリリースを発表しています。

 しかしながらクローン動物由来食品に対する反発があることも事実です。食品の安全性という話題からは離れますが、その背景について少し考察してみます。

 クローン動物由来食品への反発の一つは、「人の手が加わったものは良くない、天然や自然に近い方が良い」、という近年の先進国共通の流行があります。例えば、米国で顕著に問題化しているものの1つが、未殺菌牛乳の流行です。牛乳は安全性確保のため、殺菌しないで売ってはいけないのですが、それが消費者の「生の(ナチュラルな)牛乳を飲む権利」の侵害だと大きな運動になっていて、規制機関は対応に苦慮しています。科学的根拠から言えることは全く逆で、「自然は危険、危険を管理するために人の手が加わっている」なのですが。このような理由での反対はGM食品やそのほかの高度に加工された食品に対しても常にあります。

 クローン動物に特徴的な問題は「クローン技術」の倫理問題にあるようです。偶然ですが、FDAのクローン動物由来食品の安全性に関する報告が発表されたと報道された時期とほぼ同時に、日本の文部科学省科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会で1月22日、ヒトクローン胚研究を容認する方針が決まったというニュースがありました。また米国では民間企業がヒトクローン胚の作成に成功したことも伝えられました。04年には韓国のファン・ウソク教授が、ヒトクローン胚からES細胞(胚性幹細胞)を作り出したと発表したことが後に捏造であり、共同研究者の卵子を使っていたなどの倫理的問題があるとされた事件がありました。

 ヒトのクローンと動物のクローンとは倫理的・社会的意味が違います。しかし食品に放射線を照射して殺菌する技術が、原子爆弾の負のイメージとともに語られることがあるのと同様に、クローン動物にはヒトクローンの影がついて回ります。実際問題として、クローン動物の作成には純粋に畜産での応用を目指している場合のほかに、ヒトで実験する前の段階として動物を使うという側面もあります。ファン・ウソク教授は獣医でした。

 ヒトクローンやヒトの生殖補助技術についての倫理的問題は非常に大きなものですが、病気が治るかもしれないという希望を持っている患者や、不妊に悩む患者の前で徹底的に語られることはありません。韓国の事例でも明らかなように、再生医療への期待やノーベル賞確実などという明るい話題の中で、倫理の問題はあまり気が進まない話題であることは確かです。しかし臓器移植や生殖補助医療の進歩により救われた命もあれば逆に収奪される命もあるのが現実です。金持ちの病人のために貧しい人が臓器を売るということは現実に行われています。

 クローン胚からヒトを作って臓器を使った方が、万能細胞から必要な臓器だけを作るより技術的には簡単であろうという「おぞましい現実」があります。たとえ世界中でクローン人間を作ることを公式には否定していても、技術的に可能であればいつかどこかで行われるのではないかという疑念は否定できません。本来そういう問題はヒトの再生医療推進上の問題点として議論されるべきことですが、必ずしも十分ではないのでしょう。その影の部分が、クローン動物の倫理問題として、表に出ない形で忌避感情の基盤の1つとなっているようです。

 もう1つ米国の事例を紹介しましょう。01年12月に米国で、初めてのクローンネコCC(carbon copy)が生まれました。この子は商業目的でペットのクローニングを行うことを目的としたっ企業Genetic Savings & Cloneが作ったことで注目を集めました。死んでしまったペットを「生き返らせたい」という飼い主の願いをかなえると思われたのです。しかしCCはもとのネコとは模様が違っていて性格も異なるネコでした。

 毛の模様は遺伝子だけでは決まらないのです。性格も育てられた環境にもよります。クローンは決して生まれ変わりでも再生でもないのです。当初ペットを亡くした飼い主から多数の引き合いがあったというGenetic Savings & Clone社は、数匹のネコのクローンを5万ドルで作っただけで商業的には失敗し、06年に会社を閉じます。CCは健康で普通に赤ちゃんを産んで立派な母ネコになっています。この会社についても動物愛護団体などから批判が寄せられ議論を巻き起こしました。

 ちなみに、ネコのクローン技術はもともとイヌのクローンを目的として研究されていたものでした。そのイヌのクローンについては今年2月、韓国バイオベンチャーのRNL Bio社が、米国人女性からクローンイヌの注文を受けたと報じられました。クローン技術を用いたイヌが商業利用されるのは世界で初めてだといいます。とはいえクローンは死んだ動物の「生き返り」ではないという現実は同じでしょう。

 さて最後に日本について考えてみましょう。実は世界で最も多くクローンウシを保有しているのは日本だとされています。07年末時点でウシが1242頭と欧州倫理グループの報告書に記載されています(ただしこれは農林水産省の発表から考えると体細胞クローンと受精卵クローンの合計ではないかと思われます。体細胞クローンだけの数ではそう多くはないですが、畜産の規模から考えると多いと言っても良いかもしれません)。

 FDAはクローンウシは高価であるためにそのまま食用にすることはなく繁殖用に使うことが想定されている、と述べています。クローンウシ1頭作るのにかかるコストが約1万5000―2万ドルとのことです。しかし仮に200万円のコストで、和牛のチャンピオン牛のクローン仔ウシが手に入るとしたらどうでしょうか?高級和牛の場合はクローンの子孫ではなくクローンそのものを食用にしてやっていける状況にあります。

 FDAの発表に、クローンウシの子孫が日本に輸出されるかもしれない、心配だなどという報道もありましたが、クローン技術の受容によって最も恩恵があるのは日本の畜産農家だろうと考えられます。遺伝子組換え作物については事実上日本での栽培が不可能になっている状況ですが、クローンについても同じ轍を踏むのか、消費者の立場であってもメリットとデメリットを冷静に判断することが求められます。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 畝山智香子 30 Articles
国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長 うねやま・ちかこ 宮城県生まれ。東北大学大学院薬学研究科博士課程前期二年修了。薬学博士。専門は薬理学、生化学。「食品安全情報blog」で食品の安全や健康などに関してさまざまな情報を発信している。著書に「ほんとうの『食の安全』を考える―ゼロリスクという幻想」(化学同人)。