発がん物質と発がん性が疑われる物質――マラカイトグリーンの例

この夏、多くの方が「マラカイトグリーン」という物質名を何度も目にしたことと思います。公的機関からの発表では「発がん性が示唆される」または「発がん性の疑いがある」という修飾語がつくことが多いのですが、一部メディアでは「発がん物質」と断定しています。さて発がん物質とは何でしょうか? 一般の人がメディアに踊る「発がん物質」の文字を見て想定するのは「人間のがんの原因となる物質」という意味であろうと思います。もしそういう意味で使うのなら、マラカイトグリーンは「発がん物質」ではありません。その根拠を説明しましょう。

 マラカイトグリーンは、きちんとした手続きを経て使用が認められた動物用医薬品ではありませんので、基礎的な毒性データにいろいろ不足している部分があります。最も重要なデータは米国毒性プログラム(NTP)で行われたマウスとラットでの104週間(2年間)混餌投与試験の結果です。

 マラカイトグリーンについては雌ラットで0、100、300、600 ppm(mg/kg)(食べた餌の量から1日の体重当たりの摂取量に換算すると0、 7、21および43mg/kg)、雌マウスで0、100、225、450ppm(同様に0、15、33、および67mg/kg)を2年間餌に混ぜて与え、発がん性があるという証拠は得られませんでした。つまりラットでもマウスでも、がんの増加は見られなかったわけです。ここで雌動物だけを使っているのは、先に行われた短期間の試験で、雄より雌の方が毒性影響への感受性が高いことが分かっていたからです。

 マラカイトグリーンの代謝物であるロイコマラカイトグリーンについては、雌雄ラットで0、91、272、543 ppm(0、5、15、30mg/kg)、雌マウスで0、91、204、408ppm(0、6、17、35mg/kg)を与え、ラットにおいては明確な発がん性の根拠は得られず、雌のマウスで肝細胞腺腫(良性腫瘍)または肝細胞がん(悪性腫瘍)の合計発生頻度の増加が見られた、という結果になっています。

 実際にどういう結果かというと、雌のマウスの肝細胞腺腫と肝細胞がんの合計の発生頻度(腫瘍ができたマウスの割合)は、3/47、6/48、6/47、11/47ということです。つまり何も加えていない普通の餌を与えた対照群では47匹中3匹に腫瘍(自然発生)が見られるが、それがロイコマラカイトグリーン91ppm(5mg/kg)群では48匹中6匹、204ppm(17mg/kg)群では47匹中6匹、408ppm(35mg/kg)群では47匹中11匹に腫瘍ができていた、ということです。非常に小さい傾きですが、用量相関性があります。

 この雌のマウスの結果と、変異原性がある可能性があるというin vitro試験の結果から、「ロイコマラカイトグリーンに発がん性がある疑い」という結論が出されたのです。この肝臓での腫瘍数の増加がマウスにしか見られない現象である可能性もあり、動物実験での発がん性に明確な根拠があるとまでは言えないのですが、安全側に立って判断されています。マラカイトグリーンは代謝されてロイコマラカイトグリーンになるので、マラカイトグリーンにも遡ってこの「動物実験で発がん性がある疑いがある」という結論が適用されます。

 参考までに、ヒトに対して発がん性があり、公衆衛生上も重要なアフラトキシンB1の発がん性については、ラットに50μg/kgの投与量で19カ月時点で肝細胞がん(悪性腫瘍)が20匹中19匹に発生したと報告されています(Cancer Res. 1987 Apr 1;47(7):1913-7)。アフラトキシンの発がん性はラットでもマウスでも明確で、自然発生腫瘍とは明らかに違う悪性腫瘍がたくさんできますので、「明確な発がん性あり」と見なされています。

 数字がたくさんあって一度には理解し難いかもしれませんが、与えた量の違いと結果の量的・質的違いに注意してください。

 現在、遺伝子に傷をつけることにより発がん性を示す物質については、一律に使用禁止または可能な限り減らすべきという対応がとられています。しかし実際には、発がん性の強い物質もあれば弱い物質もあるのであり、そういうことも検討した上でリスク管理をする必要があるという時代になってきています。動物の発がん性試験で、複数の動物種で、雌雄どちらでも、低濃度で、短期間で、一匹当たりにたくさん、自然にはできない種類の悪性の、がんができた、というような物質は発がん性が強いであろうと考えます。マラカイトグリーンにはこうした性質はありません。そもそもロイコマラカイトグリーンの発がん性が確実で強いものであれば、マラカイトグリーンを与えた場合にも発がん性が観察されるはずです。

 さてウナギに検出されたとして問題になっているマラカイトグリーンの量はどのくらいでしょうか。国内で数ppb(μg/kg)程度、これまでに私が気がついた最も高いもので香港が報告している16ppm(mg/kg)というものです。これだけの濃度だと色で分かると思いますが、仮にこの数値を使って、マウスの実験で使われたロイコマラカイトグリーンの最小濃度である5mg/kg体重/日を人間に当てはめてみましょう。

 マラカイトグリーンが100%ロイコマラカイトグリーンに代謝されると仮定して、体重50kgの人ですと250mg、ウナギで15.6kgを1日に食べることになります。日本で報告されている例えば0.04ppmという比較的高い方の数値ですと、なんと6250kgです。こういう量を毎日、生涯に渡って食べ続けて、自然発生する腫瘍が2倍になるかどうか、という程度のリスクがあるかもしれない、ということです。

 こうした事柄を考慮して、オーストラリア・ニュージーランド食品基準庁(FSANZ)のQ&Aでは、マラカイトグリーンにヒトでの発がんリスクがあるとは言えないと表現しています。カナダ食品検査庁CFIAでも、微量のマラカイトグリーンを含む魚を通常の範囲内で食べることによる健康被害はないとしています。そして米FDAも、中国からの輸入品の検査命令を出すに当たって、既に購入した水産物にマラカイトグリーンが含まれている可能性があったとしても食べても安全であるとし、店頭に出回っているものについても回収の必要はないと発表しています。

 このような背景情報があれば、「中国産ウナギに発がん性物質」というメディアの見出しに惑わされて不安になったりする必要はないのです。マラカイトグリーンは養殖に使用することが認められていない物質なので、検出されること自体は問題があります。しかし「もし知らないうちに食べてしまっていたらどうしよう」などと恐れるようなものではありません。消費者としては、ウナギの蒲焼きを食べるのでしたらむしろ焼き過ぎや食べ過ぎに注意した方がいいでしょう。詳細については食品安全委員会の「マラカイトグリーン及びロイコマラカイトグリーンの食品健康影響評価について」をご覧ください。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 畝山智香子 30 Articles
国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長 うねやま・ちかこ 宮城県生まれ。東北大学大学院薬学研究科博士課程前期二年修了。薬学博士。専門は薬理学、生化学。「食品安全情報blog」で食品の安全や健康などに関してさまざまな情報を発信している。著書に「ほんとうの『食の安全』を考える―ゼロリスクという幻想」(化学同人)。