テキーラの独走を高級志向のカシャーサやメスカルが追い、その後からもろもろのリキュールが追いかけるというのが、今年のFOODEXの概要であることは先述した。そんな中で小さなブースながら孤軍奮闘している酒があった。
東欧のフルーツブランデー
第5会場の入り口近くにあるそのブースが扱っていたのはさまざまな果実を発酵・醸造して蒸溜したフルーツブランデーだ。応対に立つセルビア・ノビサド市にあるプロモント社から来日したショーベル氏からセルビアとオーストリアのフルーツブランデーの説明をうかがうこと約1時間ほどだったろうか。こういうイベントでにこやかに対応してくれる広報担当者はセールストークを連呼するだけで製造関連に関して突っ込んだ質問をすると言葉に窮することはままあるのだが、ショーベル氏の場合は違っていた。
ショーベル氏は、季節ごとに収穫時期が異なるプラムやポアール(洋梨)、クイッチェ(カリン)の収穫時期を懇切丁寧に説明してくれるどころか、話はさらに流通事情の深いところにまで及んだ。たとえば、果物からアルコールを造るとどうしても木精(メチルアルコール)が一定の割合で発生する。これが含まれたまま出荷する場合、日本では「製菓用」と表記することと定められている。それを指摘すると、ショーベル氏はたちどころにプロパノール系の不純物の名称をいくつも列挙して「これらの含有量の問題のことか?」と逆に質問されてしまい、筆者は目を白黒させるはめになったのだった。
彼らが扱っていたアイテムは東欧フルーツブランデーの王道、プラムを始めとしてアプリコット、ポアール(洋梨)、のど飴でおなじみのカリンとモスカート(黒ブドウ)の5種類。片端から試飲してみると、やはり日本ではアプリコットとポアールが受けそうな気がした。プラムの香りは筆者個人としては好きなのだが、牧場か農園を思わせる香りに日本では好き嫌いが分かれそうな気がする。
以前、ハンガリー友好協会で会長を勤める方のお宅でチェリーのブランデーの香気に驚いた記憶があるのだが、今回FOODEXに出展したプロモント社のアイテムにサワーチェリーがなかったのは少々残念だった。彼は、かねて東欧のフルーツブランデーを視察することを画策していた筆者に、「ハンガリーのパーリンカとチェコのスリヴォヴィッツ(スモモの一種から造る蒸留酒)視察の日程が決まりましたら、ぜひセルビアのラキアも見に来てください」最後にそう言ってフルーツブランデーのサンプル瓶と何本かのフルボトルを渡してくれた。
水害に見舞われたセルビアの恩人たち
東欧のフルーツブランデー現地視察の動きがなかなか前進せずに2カ月が過ぎた5月中旬、セルビアがボスニア・ヘルツェゴビナと共に120年ぶりの水害に見舞われたというニュースが飛び込んできた。あわてて東京の品川にあるセルビア大使館に現地事情の確認に行った筆者に応対してくれたマキッチ・ジョルジェ参事官によれば、20名以上の被害者と2万5000人の避難を経て、現在は終息に向かいつつあるものの、セルビアに電力を供給する火力発電所の施設が損傷しており、復旧のめどはまだ立っていないという。
日本が4年前にODAで病院を建設したこともあってセルビア国民は多くが親日であり、東日本大震災の際には在セルビアの日本大使館に持ち込まれた義捐金だけでも6700万円、市民から赤十字に持ち込まれた2億4000万円と合わせると3億円以上の善意が、遠いバルカン半島の平均月収4万円の国から贈られたことを知る日本人はあまりに少ない。
東日本大震災と今回のセルビアの水害とでは被害の規模の差はあるとは言え、一説にまだ500万円に満たない(5月25日時点)と言われる現在の日本からセルビアへの支援額の少なさは如何。そのなかで唯一の救いは、12歳のころからセルビアに興味を持っていたという18歳の女子高生が英語とセルビア語で綴ったお見舞いの手紙がセルビア大使館に飾られていたことだった。
いささかFOODEXレポートの趣旨からは外れるが、直接セルビア大使館に行かなくともペイパルやYahooネット募金で募金が可能だと大使館で聞いた。Tポイントを使ったり500円単位でできることもさることながら、総額・人数がすぐにYahooだと表示額に反映されることから安心感もある。読者には“日本人が知らない親日国”セルビアの苦境を救うための一助をお願いできれば、と思う。
●セルビア洪水復興支援募金を受付中(駐日セルビア共和国大使館)
http://www.tokyo.mfa.gov.rs/jpn/importanttext.php?subaction=showfull&id=1400465356&ucat=109&template=Frontpage3Cirdisqus_thread
歴史と文化のある酒
FOODEXのレポートを終えたところで、せっかくの機会なのでフルーツブランデーについてもう少し説明を加えておきたい。フルーツブランデーと言っても、日本ではヴィナッチェ(ワインを絞った後のブドウ果皮やがく)で作ったグラッパか、リンゴで作ったカルヴァドスぐらいしか知られていないが、東欧からドイツ、フランス辺りにかけての広大な地域に、さまざまなフルーツブランデー文化が存在する。スペインのオルホ辺りを含めるとヨーロッパを東から西まで網羅していると言ってもいいし、ブドウと干しブドウを原料とするギリシャのウゾやトルコのラク、アラブ世界のアラックまで含めると、南欧はおろか中東にまでその生産地は広がることになる。
なかんずく東欧のフルーツブランデーはその一つ一つが長い歴史と伝統を持っており、なかにはハンガリーのパーリンカ(後述)やチェコのスリヴォヴィッツのように国民酒的な存在のものも多い。
国の歴史と共に歩んできた酒はさまざまな風習に顔を出す。アジアで言えばたとえば中国の南方だと、娘が生まれたときに贈られた糯米で黄酒(紹興酒)を作り、それを甕に入れて土に埋めておき、それを彼女が嫁ぐときに掘り出して持たせるという風習がある。同じことが、ポーランドでは熟成タイプのウォッカ(スタルカ)で行われる。娘が生まれたときに樽に詰めて、彼女の婚礼で振る舞うのだ。
こうした風習は、これらの酒がその国その国の文化に深く根ざしていることの証左と言える。バルカン半島を中心とするフルーツブランデーもその例外ではなく、たとえばブルガリアの婚礼では新郎の父親が全ての来客にラキア(ラキヤ)を振る舞って新しい家族が増えたことを喜ぶという。
ラキアとかラキヤというのは日本では耳慣れない名前だが、その由来は江戸時代に蘭学者が「荒木酒」(アラック)・「蘭引き」(アランビック)と伝えた蒸留酒を意味する言葉と同じルーツだという説がある。また、15世紀にオスマントルコがバルカン半島を占領した際に彼らの地酒であるイェニラクをもたらしたものを、フルーツが多く産出するブルガリアやセルビアでラキアになって広がっていったという説もあるようだ。
体系だったフルーツブランデーの解説は英語でもなかなか見つからない。代わりに日本人の海外旅行体験記的なブログ等では、ブルガリアやセルビアにとどまらず、ルーマニアやマケドニア辺りの旅行記でもラキアやラキヤがしばしば登場する。それによれば、高級な酒というよりも地元で親しまれている酒として紹介され、普段着感覚で飲まれている酒、という位置づけらしい。自家蒸溜されているケースも多い。
名称についてはラキアが「果物で作った蒸留酒の総称」で、これが何の果物で作ったのかによって名称が細分化していくようだ。チェコの場合もスリヴォヴィッツと呼ぶのは紫色のすもも(プラム)を中心とした果物から造る蒸留酒の一般名称だが、ブドウから造るとグロズドヴァになるようだし、洋梨で作ったものもブルガリアではクルシュヴァ、セルビアではビリャモブカと呼び方が変わる。
このように総称と個別の名称が全く異なる言葉になるというのは、日本では類似の例は見当たらないのだが、しいて言えば居酒屋でサワーと言うと一般的には焼酎の炭酸割りにレモンを浮かべたものを思い浮かべるが、カルピス割り、グレープフルーツ割り、梅シロップ割りなどもサワーとしてくくられていることがあるというのに近いだろうか。
東欧圏で異色なのはハンガリーで、この国ではラキアとは呼ばず、フルーツブランデー全般をパーリンカと呼んでいる。一般的なフルーツブランデーをツイカと呼ぶルーマニアでも、トランシルバニア地方ではパーリンカと呼ぶ。とは言え、フルーツブランデーの呼び方としてはスリヴォヴィツェやツイカ、パーリンカは少数派で、東欧圏ではラキアの方が一般的らしい。日本人の海外旅行関係のブログをラキアやラキヤで検索するとかなり高い確率でブルガリアとセルビアがヒットしてくる。したがって、ラキアのブルガリアおよびセルビアと、スリヴォヴィッツのチェコ、パーリンカのハンガリーの4カ国が、“フルーツブランデー四天王”的な位置づけになると言えそうだ。
高級品として扱われ得る酒
いささか脱線することになるのだが、たとえばテキーラが現在アメリカでもてはやされるようになってきたプロセスを見ると、「その国の地酒が世界でメジャーになるには」という条件が見えてくる。つまり、他国ではなじみのない材料を使った酒を海外に広める場合、”好奇心”と表裏一体の“安心感”を担保する“お墨付き”を発行する必要があるということだ。
テキーラの場合、アガヴェ(リュウゼツラン)から作った酒という珍しさが他国で人気を得る上では魅力になると同時に障壁ともなるわけだが、テキーラ業界はここにいくつかの規格を設けた。すなわち、厳格な製造基準、原料の限定(ブルーアガヴェ以外のアガヴェの使用禁止や原料に占めるアガヴェの割合等)、原産地呼称(メキシコ以外での「テキーラ」呼称使用禁止、ハリスコ州と周辺地域以外産での「アネホ」「レポサド」呼称の使用禁止等)を演出すること等だ。厳格な製造工程の管理という“縛り”による“プレミア感”の演出が、“未知の酒”が世界市場で飛躍するには不可欠となる。
翻ってみるに、フルーツブランデーがこれだけ東欧の深い文化に根差しながら他の地域では知名度が低く、光が当たっていない理由はこのあたりにあるのかもしれない――というのが筆者の推測だ。
もともと自宅で採れる果実を市場に持って行って蒸溜してもらうサマゴン(自家蒸溜)文化が一般的だったバルカン諸国では、テキーラを地酒のメスカルと分離して世界に広めた“厳格な生産ルール”がなじまないし、フランス食文化を世界に広めた厳格なAOC規定など論外だ。「今まで自宅で作っていたものを、何であれこれ制限を付けて売り出す必要があるんだ?」ということになる。
また、フルーツブランデーを知らない国に輸出するに際しても、ラキア製造地域が何カ国にもまたがって広がっているので、統一した基準造りなど到底不可能だ。チェコのスリヴォヴィッツでさえチェコ人に聞くと「スリヴォ? あぁみんな自宅で作っているよ」とこともなげに言われると、異質な文化であると感じざるを得ない。酒は買ってくるものと長らく思い込まされてきた日本人としては、「○○さんの家で出来た酒、飲んでみるかい?」と言われてもギョッとするばかりだろう。
海外でも東欧を除く地域では光が当たらない事情は同じと見えて、洋書の資料集めに重宝しているアマゾンでフルーツブランデーを横文字(fruit brandy)で検索しても軽く触れた程度の本がやっと6冊。カクテル(cocktail)ならば3万件、テキーラ(tequila)でも1万件近くヒットするのに比較して、その情報量の少なさは絶望を通り越して失笑してしまうレベルだ。
だが、フルーツブランデーを東欧圏の地酒にとどめておくのは何としても惜しい。と言うのも、ウイスキーやブランデーが世界中で珍重される理由の一つに、“安価で飲用アルコールが効率よく生成されるモラセス(廃糖蜜)を使わず、あえて酒に香りと味わいを与えるために大麦やブドウを主原料としてアルコールを生成している”ことが挙げられるからだ。このデンでいくならば、梅酒のように甲類焼酎に漬け込むのではなく、アプリコットやプラムを潰して糖化させ、そこからアルコールを作って香りを残すフルーツブランデーは長く地元の伝統に根差してきた経緯とあいまって高級品になる資格を具備している、という見方もできるわけだ。
フルーツブランデーについてネットで見つかる情報も貴重な話であることに間違いはないのだが、断片的な情報が多く体系だってもいない。日本でほとんど知られていない東欧のフルーツブランデーの文化や味、製造事情を知るためには、やはり自分で見に行くしかないのではないだろうか――ここ数年頭の中にぼんやりと浮かんでいたプランが、FOODEX 2014の会場で出会ったセルビアのラキアによって一挙に具体化のレールに乗り始めた。製造現場視察については、秋以降の続報を待たれたい。
《この稿おわり》