某党の勉強会での発言内容(それ自体についての論評はしません)を巡って、小説家の百田尚樹氏がさまざまに弁明をする中にこのようなものがありました。
「小説家が私的な場で何を言おうが関係ない。これが言論弾圧なら、飲み屋でオッサンが『○○新聞をつぶせ』と怒鳴っても、言論弾圧になる」
その言わんとするところが汲めないわけではありません。「『オッサン』が放言する場所」としての飲食店はありますし、あって悪いとは言いません。親しい者どうし、誰はばかることなく言いたいことが言える場があるのは、全くありがたいことです。世界にはそうではない国がたくさんありますから。
ただ、こういうのはいかがでしょう。
「飲み屋では何でも言う。『あいつ殺したろうか』って、これ殺人未遂(になるのか)」
- 毎日新聞の記事
- http://mainichi.jp/select/news/20150628k0000m040064000c.html
話の勢いがある中での言葉でしょうけれども、これはちょっと穏やかではない。私が思い浮かべるよいお店であれば、店の場にそぐわない話し方、話の内容、あるいは態度などがあった場合、主なり従業員がそっと近づいて行って「お客様、そこはお控えください」とか「人聞きが悪いので」などと注意するでしょう。
お店にはお店として、「ここはこうあってほしい」というものがあります。そこから逸脱するお客様には、そうしないでほしいとお願いをする。いかになじみ客だけで成り立っているお店でもお店はやはり公共の場ですし、何より、経営者・運営者の世界観を表現してそれを商品とするものです。そこをきちんと守ることが、いわゆるブランド管理というものです。
百田氏の発言を引いたのはあくまで話のきっかけとしてですが、お酒を提供するお店が「何をしても許される場所」として簡単に例に挙げられるようではいけないという気構えは持ちたいものだと感じました。
※このコラムはメールマガジンで公開したものです。