本日、「有機野菜はウソをつく」(SB新書)が発売となりました。なぜこのような本を書いたのか、少し事情をお話ししておきたいと思います。
有機・非有機両サイドからの指弾
私はかねて、有機農業というのものが大衆化することに対する疑問を抱いており、一方で有機農業という考え方自体には生産や社会に役立つ何かはあるはずとも考え、それに関することを「FoodScience」(日経BP社)で行っていた連載「食の損得感情」にも書いてきました。
ただ、こうした考え方は、有機農業に携わる方面からは“修正主義”と見られ、一方自然科学に携わる方面からは“非科学的”と見られ、結局のところ両サイドから指弾されるというのが、当時の状況でした。
いずれこれはまとめ直して私なりの決着をつけておかなければと思いながらなかなかその機会を作れずにいたところ、昨年、恩のある編集者から「『有機信仰は間違っている』といった内容の本を書かないか」と声をかけていただき、「完全否定する話にはなりませんが」というところをわかっていただき、今日この本をみなさんにご紹介できることになったという次第です。
タイトルは別案もありましたが、版元サイドで考えていただいたものが親しい者の間でも評判がよく、これを採用しました。
有機から離れる需用者たち
さて、私個人としては、「食の損得感情」から5年も経っており、ずいぶん時間がかかったとも思っているのですが、半面、タイミングはよかったとも考えています。
というのは、およそこの2年ほどの間と思いますが、農家、そして流通・小売・外食のバイヤー、料理人、実務で活躍しているフードコーディネーターや野菜ソムリエで、「有機であることにはこだわらない」と言う人が増えたと感じています。彼らはそのことを誠実に顧客に伝えています。それもしかたなく伝えるのではなく、むしろ自分たちが選んだものの価値を説明する枕として、積極的に伝えているのです。
このタイプの人たちは、栽培や土壌のことについてよく勉強されていて、農家以上に詳しいだろうという人たちもいます。実のところ、彼らは勉強して栽培や土壌の本当の有様を知った末に、有機認証を取ることは自分たちの商業上無意味であるということに、自然と気付いたのです。時代は変わった、いや進んでいると感じます。
それで、市場にこうした人たちが先駆的にいるとすれば、国際土壌年でもある今年、栽培や土壌について、一般向けにはちょっと詳しすぎるかというぐらいの説明をしても読んでいただけるに違いないと考えました。その話をした上でなら、有機栽培の歴史――その萌芽、展開、変容、さらに隘路にはまった現在の状況を紹介しやすくなります。そして、そこまで知っていただいた上で、その是非を読んだ方自身に考えていただきたいというのが、本書の趣旨です。
蛇足ながら、実はもう一つ“裏テーマ”があります。今日今のところ専門知識とされている農業に関する知識を、私は“国民の知識”“国民の関心事”にしていきたいのです。これにはFoodWatchJapanとしても香雪社としても、今年さらに取り組んでいきますが、それに先立つ形で、今回14万字を超えるものとなったこの本を新書という形で、760円(税別)という廉価でご案内できたことはたいへんありがたく、版元SBクリエイティブの判断に感謝している次第です。