鍋料理バーベキュー説

 昨年は今ごろが梅雨明けでした(沖縄は6月上旬)。今年はどうでしょうか。

 夏が近づくといろいろな楽しみを思い付きますが、炎天下で汗をかきながらのバーベキューも楽しいものです。春と秋のほうがラクではありますが、ビールはよりうまいでしょう。

「本当か?」と思われるかもしれませんが、パエリアもバーベキューの一種だと気付いたというお話をします。

 ひょんな縁から付き合いが始まったスペイン人のヴィクトールという友人がいます。以前、彼が日本に来ている間にお台場でバーベキューをやろうと誘ったところ、彼が、それならパエリアを作るよと言って、パエリア鍋と材料一式を持って来てくれました。

 ヴィクトールはコンロにパエリア鍋を置くと、まずオリーブオイルを温め、そこにポークを並べました。チョークほどの細長い切り方です。おやと思ったのは、コンフィほどではありませんが、比較的低い温度でじわじわと焼いているのが面白いと思いました。それで、塩をつまんでは肉の上にパラパラと丁寧に振りかけています。これが一度や二度ではなく、肉の様子をみては繰り返し、丁寧に振りかけているのです。

 その狙いを聞くと、こうやって徹底的に肉汁と脂を出すのだということでした。この間、かなり長い間、パエリア鍋の上は肉と塩としみ出した肉汁と脂だけという様子でした。

 そして、もうこれ以上肉汁が出ないという段になって初めて、その他の具を並べ、米を均等に振り入れ、彼お気に入りのパエリアの素(粉末ブイヨンとスパイスの混合)を振りかけて水を張りました。

 出来上がったパエリアは、米はもちろん、いったん縮んだ肉が水を含んで戻って、全体がふっくらとした感じに仕上がりました。日本のレストランでは、雑炊のようなパエリアが出てくることもありますが、ヴィクトールのパエリアは米の表面に脂のつやがあり、日本の炊き込みご飯ともチャーハンとも違う印象です。味も、これは決してパエリアの素のおかげだけとは思わないのですが、肉と脂の味が全体に行き渡っていてうまいものでした。

 食べながら、ほめながら、会心の出来映えに胸を張っているヴィクトールにコツを聞くと、とにかく肉から肉汁と脂を十分に引き出すことだとい言います。それが、彼が父親から伝授されたパエリアでした。

 私の世代の特徴として、私もご多分に漏れず学生時代にレヴィ=ストロース(文化人類学者、神話学者、構造主義の親玉の一人)を抱えて知ったかぶりをしていたわけですが、この人の料理の分析にはとくに引きつけられました。

 まず、生のものと、焼いたものと、煮たものと、別格としてくん製という分類をするのですが、そのうち焼くと煮るの対比が面白かったのです。学生時代に取ったノートを記憶で再現してみます。

●焼いたもの(バーベキュー)と煮たもののノート
焼いたもの 煮たもの
直火に当てる 鍋を使う
肉料理 いろいろな材料
野生の火(裸火) 管理された火(カマド)
屋外で 屋内で
無駄がある 無駄がない
男の料理 女の料理
野生 文化
貴族的 庶民的
ハレの料理 ケの料理

左側はいわばバーベキュー、右側はいわばシチューのような煮物です。バーベキューは屋外で裸火を囲んで行うもので、大ざっぱで野性味があって、調理法の特性上焼け焦げが落ちたりという無駄がありますが、それゆえに贅沢な食事です。一方、シチューはカマドやストーブなどで管理された火に鍋をかけて行うもので、こちらはすべてが鍋の中ですから無駄は出ず、いろいろな味を組み合わせて調味ができます。

 バーベキューは行事食で、これをやるのは古来(今は誰がやってもいいんですよ)男の仕事でした。対して、シチューは日常の“おふくろの味”です。

 それで、大学の先生がこれを板書してくれて以来、私はこれを面白がる一方、引っかかるものがあったのです。パエリアはどっちなんだ、と。

 ヴィクトールも証言するように、パエリアは休日に父親が外へ道具を持ち出して作るものと決まっていたそうです(ただし最近は父親とは限らず、女性も作る)。すると、図の左側の料理のように見えますが、鍋を使うので右側の料理のようにも見えます。

 しかし、あの日ヴィクトールの調理を見ていて、なるほどと思ったのです。ヴィクトールは終始“焼く”作業をしていました。材料に直火を当てないながらも、裸火で肉を鍋ごと“焼く”のです。その他の材料と米と水を入れた後も、シチューのように混ぜたり味を見て調節したりといったことはほとんどせず、出来上がったらそれまでという印象があります。

 もちろん、左と右の折衷的な料理と見ることも出来ますが、粒の米を使った料理でありながら、鉄板焼やお好み焼きのように焼いて作るものと見ました。であればこそ、パエリア鍋の円周が中途半端に立っていながら煮込むための深底にはならず、かろうじて鉄板の形を保っている理由もわかるような気がするのです。

 そこからさらに飛躍して、冬の日本の鍋料理では、なぜ往々にしてお父さんが“鍋奉行”になるのかを考えると、あれも案外“鍋ごと焼いている”バーベキューの変形なのかもしれないな、などとも思ったのでした。

 こんな話を聞いても商売のタネにはならないとお思いですか? でも、料理は文化と言いますから、ときどき一人ひとりが思い思いにこんな類のことを考えてもいいのではないでしょうか。

「うまいものはうまい」で爽やかに片づけるのも味。「どうしてこんな料理ができたんだろう」とちょっと考えるのも味。両方ある方が楽しいように思います。

※このコラムはメールマガジンで公開したものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →