“自縄自縛”する“ドM”の大迷惑

 ゴールデン・ウイーク中の5月1日、中日新聞朝刊に「欧州からのジャム 1キロ当たり140~220ベクレル」という記事が載りました。

 それによれば、明治屋が4月にオーストリアの業者から輸入しようとしたポーランド産ブルーベリージャム3個で、1kg当たり140~220Bq(ベクレル)の放射性セシウムが検出されたということです。これは日本の「新基準値」100Bq/kgを超えるもので、厚生労働省は荷の積み戻しなどを指示していたそうです。明治屋は輸入予定だったジャム約1000個すべてを返品するとあります。

 たいへん興味深いニュースですが、私がわかる範囲では、これを報じたのは中日新聞だけだったようです。

 さて、このジャムは、今年3月までに着荷していれば、問題なく店頭に並んだはずのものです。というのは、チェルノブイリ原子力発電所事故の後、日本が採用した輸入食品中のセシウム134及びセシウム137の濃度の暫定限度は370Bq/kgだったからです。

 言い換えれば、1986年以来四半世紀にわたって、われわれはその程度のものは頓着することなく口に入れていたということです。

 ちなみに、「新基準」の前の「食品衛生法の規定に基づく食品中の放射性物質に関する暫定規制値」では、野菜類、穀類、肉・卵・魚・その他についての放射性セシウムは500Bq/kgでした。これはEUの「その他食品(飲料水以外)」の規制値と同じです。

 さて、日本が打ち出した「新基準値」に対して、EU加盟国の代表によるSCFCAH(フードチェーン及び動物衛生常任委員会)は、2月に行った会議の議事録にこのように記しています。

「これは日本国民の国産食品への信頼を回復するためのものである。現状(新基準になる前)のレベルが安全であることを日本当局は確認しているように、これら厳しい基準は安全性のためではない。EUの科学委員会もEC規制3954/87で設定したレベルは安全であることを確認している。最大基準値の一貫性確保のため日本産の食品や飼料については4月1日から一致させる」(※)

※関連ページ
食品安全情報(化学物質)No.08(2012.04.18)
国立医薬品食品衛生研究所安全情報部
http://www.nihs.go.jp/dsi/food-info/foodinfonews/2012/foodinfo201208c.pdf
※オリジナル
http://ec.europa.eu/food/committees/regulatory/scfcah/toxic/sum_27022012_en.pdf

 つまり、日本の「新基準値」は日本政府によるマーケティングであり、科学ではないと確認した上で、日本の“自縄自縛”に乗じて、欧州も日本産食品についてだけ基準を厳格化すると言っているわけです。

 この会議では、「日本の厳しい基準が将来EUで核事故が発生した時の前例になる可能性があるため合意できない」といったきわめて冷静で現実的な意見も出たものの、最終的には日本食品に対する日本の「新基準」に準拠した輸入規制が採択されたということです。

 食品中の放射性物質について、世界各国の基準を比べると、食品の分類のしかたも、それに対する基準値も、実にまちまちだということがわかります。これは3つのことを表していると言えます。まず(1)ものの食べ方が、国や地域で違うということがあります。ただ、それよりも注目すべきは、(2)放射性物質のヒトや環境への影響が、明確で万国共通の線引きができるほどには科学的にわかっていないことがまだ多いということと、(3)従って基準値なるものは科学的正しさよりも政治や社会の情勢に合わせて定められているということです。

 その前提に立って、欧州の思惑を考えてみると、こういうことが言えるでしょう。

・日本の「新基準」に乗れば、日本が欧州へ輸出してくる食品を減らすことができる。
・チェルノブイリ原子力発電所事故による汚染が未だに残る現状から言って、日本の「新基準」導入後は、欧州から日本へ輸出できる食品も減るかもしれない。
・しかし、BRICSはじめ欧州産食品に対して旺盛な消費意欲があって、高値も付けられる国はほかにある。そちらへの仕向量が増加する一方、そのために日本向けが逼迫しても、言い訳が立つ。

 欧州人の笑い声が聞こえてくるようだと言えば、考えすぎと笑われるでしょうか。

 一方、マーケティングでは当然行政よりも民間が先鋭化するわけで、「店頭での放射性物質“ゼロ”を目標に」を言っているイオンを含め、行政による「新基準」よりもさらに厳しい基準を定めている小売業があります。さすがに行政も別な基準を出さないよう注文を付けたものの、大臣が「強制しない」と言い出すなど混乱があります。いずれにせよ、この状況から考えれば、今後明治屋の一件と同様かそれ以上の事態が少なからず発生してもおかしくないでしょう。

 すると、やはり今後、ハーブ、ナッツ、スパイス、ポルチーニのようなキノコ、あるいは食肉加工品や一部の穀物・穀物製品などが手に入りにくくなることがあるかもしれないと警戒しておくべきではないでしょうか。

 そうなっていった場合、これからの小売店の店頭には、どこ産のどのような商品が並ぶのでしょうか。頼みの綱としては、南北アメリカ大陸やオーストラリアなど、非ヨーロッパ圏がどう付き合ってくれるかが問題になってくるでしょう。もしそれでも思うに任せなければ、そのときは私たちに国際感覚が欠けていたことを嘆きつつ、“食の鎖国ライフ”を楽しむ方法を考えるしかないでしょう。

 それにしても、敢えて自分にだけ公式ルールより厳格なルールを課そうとする日本の癖(今風に言えば“ドM”ぶり)は、もはや文化と言えるかもしれません。京都議定書について日本に不利とする論調があったことや、現政権が「2020年までに温室効果ガス排出量を1990年比で25%削減」を言い出したこと(撤回作業中)を彷彿とさせもします。

 また、この過剰な“我慢比べ”は、20年来続いているBtoCビジネスの低価格競争に通じるものがあります。「消費者が求めているから」と、限界を超えてひたすら価格を下げることに邁進している様子と、際限なく放射性物質の含有を減らそうとする姿とは重なり、さらになお、「お国のために」と言ってあらゆる無理無謀な作戦を強行し、ついには若者を爆弾にしてしまった旧日本軍を見るようです。

 単純なスローガンのもと、作戦の科学的分析・評価(オペレーションズ・リサーチ)を抜きに不可能に挑戦する場合、そこには必ず犠牲となる人たちがいること、失うものがあることを忘れたくないものです。

※このコラムはメールマガジンで公開したものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →