以前日経BP社の仕事で、ある企業のトップに取材をしたときのことです。この会社は外食を含むいくつかの事業分野を持っていて、取材はとくに制度や規制が複雑な新規分野にからめてコンプライアンスと危機管理についてうかがうものでした。インタビューは円満かつ活発な空気で進み、たいへん示唆に富むよいお話をうかがいました。
ところが、その帰りの電車で私の携帯電話が鳴りました。出ると、取材に立ち会った広報担当の方の上司で広報責任者の方でした。その方自身は取材に立ち会わなかったのですが、「今日、A(取材したトップ)はしゃべりすぎたと言っている。ついては、掲載前に記事を見せてほしい」とのことでした。
私は「いつもお伝えしていることですが、掲載前の記事をお見せすることはできません」とお断りしたのですが、そこを曲げてどうしても見せてほしいと言います。電車の中でもあったので、長く話せませんがとにかくできませんとお話して、まず電話を終わりました。
ところが、それから約1週間にわたって、その広報責任者氏から「記事を見せろ」と連日矢の催促です。取材時、そのトップA氏はよく言葉を選んで話しているようで、私にも何が困ることなのか想像できなかったのですが、その広報責任者氏あるいはA氏自身が、よほど「まずい話をしてしまった」と思ってしまったようです。
何度目かの電話をもらったとき、「では仮に、いつもお世話になっている御社のことですからと、掲載前の原稿をそちらにFax.したとしましょう。そこで私はクビです」とお話しました。するとその方は言下に「あんたが見せてくれなければ、こっちがクビだ!」と言います。これではさながら斬り合いで、私はいらぬことを言ったと反省したのですが、ここで相手も“命がけ”だったとわかったわけです。これはいよいよヘンなことがあるに違いない。
それで、その次の電話で、これはルールからはずれるギリギリかアウトに近いことなのですが、「そんなにご心配なことがあるならば、それを言ってみてください」と話しました。本当はこれも原稿チェックに当たるのですが、その人のクビがかかるような話題が、記事に絶対に出てこない自信があったのでそう言ってみました。
「では」とその人が言います。ところが、そこからたいへんなことになりました。「Aはいついつ、これこれをしました。このことは書きますか?」ということが、4~5ぐらい出て来たのです。私はそのすべてに対して「書きません」と答えました。なぜなら、取材ではトップA氏はそのどれもお話になっていなかったからです。
ただ、その広報責任者氏が挙げた4~5ぐらいの“書いてほしくない事柄”は、いずれも法的にあるいは倫理的にまずい事柄でした。それで、それまで抱いていたその企業やA氏に対するリスペクトが、電話口でガラガラ、ボロボロと音をたてて崩れ去りました。
記事は、前述のとおりコンプライアンスと危機管理について、しかもそのお手本としてのストーリーだったので、私はこの時点で悩みました。お手本として紹介するには実は当たらない企業なりトップなりだったのではないかと思われたからです。しかし、取材で実際にうかがった内容自体に誤りや粉飾はなさそうで、読者の参考にもなると考え、記事内容を再度検証した上でほぼそのまま掲載しました。もちろん、掲載前の原稿をFax.することはありませんでした。
一方、広報責任者氏が暴露してしまった“法的にあるいは倫理的にまずい事柄”はどうしたか。これはどこにも出していません。その人が話したほかは、確認がとれないからです。“裏を取る”には相当の手間と時間つまりコストがかかりそうで、“真実性”を万全に担保できる自信がありません。
半面で、“まずい事柄”と言っても明々白々な犯罪ではなく、仮に裁判沙汰になったとしても判事によって判断が割れそうな話でもありました。もう一つ甘いことを言えば、同社にはそれが“まずい”という自覚と改善の意思があるように感ぜられました。結局、私がそれを公にしないことが、ただちに公共の利益を害するとも考えにくかったのです。
さて、みなさんにお考えいただきたいことは、原稿チェックをしないで済む体制をお作りいただきたいということについてです。「原稿チェック」と言うとちょっと軽い感じがしますが、役所などの取材で相手がこれを言い出せば「検閲」と言って日本国憲法第21条2で禁止している行為です。とは言え、今回お伝えしたいのは、そうした言論の自由云々のお話とは別のことです。
「出る前に見ずにはいられない」というのは、
(1)そもそも会社に後ろめたいことがあるか、それがないと言える自信がない。
(2)秘匿したい事柄が表に出ないようにできる体制が取れていないかその自信がない。
(3)外部に何を伝えたか伝えていないかを検証する仕組みがないかその自信がない。
この3つのいずれかないし全部だからです。
これらはマネジメントそのものと密接にかかわる事柄です。
なにしろ、この企業の例でいけば、この広報責任者氏と、取材に立ち会ってくれた部下の方と、トップA氏との間で、コミュニケーションがうまくいっていなかったようです。おそらく、A氏が「今日はしゃべり過ぎた」とつぶやいた段階で、広報責任者氏は「まずい、あれとかあれをしゃべってしまったのか」と早合点して、取材に立ち会った部下氏ともきちんと確認作業をしなかったのでしょう。私の記憶では、先方も取材の録音を取っていたのですが、それを聴くこともなかったようです。
広報、パブリック・リレーションの部署は、トップ・マネジメントに非常に近い位置で仕事をしています。その人たちがこのようだということは、マネジメント全体にもスキや故障があることが容易に想像できます。そのため、私はその“まずい話”を記事にすることはしませんでしたが、この企業の今後の瓦解の確率を高めに予想し、そこに興味を持って情報収集をしています。
広報体制は、マネジメント全体の強さ・健全性のバロメーターの一つです。ですから、原稿チェックをしないで済む体制を、と言うのは、なにも記者の仕事をやりやすくしてほしいという話ではないのです。
いいえ。新聞・雑誌などの企画によっては原稿チェックを前提とした記事というものもありますが、そのほうが書き手にとっては気がラクなのです。この場合、編集者にとっては頭の痛い問題ですが、よく注意していないと書き手はこう考えがちです――「どうせ直されるんだから適当に書いておけ」「間違ったことを書いても直してもらえるからいいや」――。文字媒体以外でも当然事情は同じでしょう。
逆に、原稿チェックをしないということは、「間違ったこと、適当なことを書いたら承知しないゾ!」というメッセージ、圧力、鼓舞にもなるのです。成功した企業の広報の方々は、そこのところをよくご存知のようです。
※このコラムはメールマガジンで公開したものです。