独断ながら、鍋料理は常夜鍋(じょうやなべ)にとどめを刺す。しかも、小林カツ代式に限る。どの本であったか忘れたけれど、新婚時代に小林カツ代さんの本で知って以来、ときどきこれを食べないと落ち着かない。
さすが小林カツ代さんが推すだけあって、実に簡単で、確実にうまい(以下、うちで実践している方法なので、小林カツ代さんのやり方や考え方と100%同じとは限らないのであしからず。本に書いてあった通りにやっているつもりではありますが)。
買ってくるものは、ホウレン草、豚肉(バラでも肩でも。頑張って高い肉を使う必要はない。豚小間として売っているものでよい。ただし、あまり細かすぎないこと。しゃぶしゃぶのように食べられる薄切りがよい)、ダイコン、だけ。家に日本酒がなければ日本酒。ポン酢もなければポン酢(「味ぽん」のようにしょう油の混ざったものが便利。本当の果汁としょう油を混ぜてもよいけれど、あまり凝ったことはこの料理に似つかわしくない)。
まず、土鍋に日本酒を注ぐ。カップ1杯ぐらいか。それに水を注ぐ。鍋の6~7分目程度。で、火にかける。昆布だとか、出汁のもとだとか、そういう気の利いたものは一切入れない。酒と水だけ。絶対に。出汁だけでなく、他の野菜だとか肉だとか魚だとか練り物だとかは、一切入れない(どうしても入れたい場合は、その日は常夜鍋は中止して寄せ鍋に切り替えること)。
湯が沸く間に、大根おろしをすっておく。どんぶり一杯、「本気か?」と思うほど、たくさんすっておく。
ホウレン草を洗う。洗ったら、4~5cm程度の長さにざくざく切っておく。多少大振りに切ってもよい。
買ってきた豚肉が一口で入る大きさになっていれば、そのまま。一口には大きいようなら、切っておく。
湯が沸いたら、まず銘々に食べる準備をすること。碗なり椀に大根おろしをたっぷり取る。それにポン酢をたらりと、好みの量かけておく。
湯が沸き立つような火力を保ったまま、鍋にホウレン草をどばどばと放り込む。下ゆでとかはしないこと。絶対に。いきなり入れる。
ホウレン草がくたっとしかけてきたら、豚肉を入れる。一度にたくさん入れない。長く茹でない。その都度、茹でては食べきるようにする。火が通ったとみるや、すかさず取り上げて、おろしポン酢につけて食べる。ホウレン草も食べる。もりもり食べる。
さっぱりしていて、うま味を強く感じて、実にうまい。ビールも、酒も、ご飯も進む。何より、大量の大根おろしとホウレン草を食べられる。野菜が摂れて、体によいことをしていると感じる。
仕上げは、冷凍うどん。残ったおろしポン酢に鍋の湯もいっしょに取ってするするすする。
この、豚肉の出汁の出たお湯がまた実にうまい。ご飯にかけて湯漬けにするのもいい。ただし、ホウレン草のアクが出ているので、惜しいけれど飲み過ぎないように。
普通のしゃぶしゃぶより、ホウレン草を入れたほうが、なぜかおいしいと感じる。ホウレン草から溶け出すアクが、うまく作用するためか。硬い肉を煮込むには硬水がよいと言うけれど、そういうようなことと似た作用があるのか(これはいい加減な思い付き)。
しかし、何でこれを「常夜鍋」と呼ぶのか? 確か小林カツ代さんの本にも書いてあったと記憶するけれど、「常夜鍋」と言うと、必ずと言っていいほど「毎晩食べても飽きないことから、常夜鍋と言う」なんて説明が付いている。しかし、これは眉唾。
まず、「常夜」(じょうや)なんて言葉は、普通の会話で使わないもの。こういう音読み言葉は、書生くさい香りがある。まあ、ここは譲って、「じょうや」が「常夜」だとする。しかし、「常夜」は「毎晩」の意味ではない。「夜通し」「夜中」の意味で使う。あるいは、「いつまでも夜」の意味。
では、「夜通し食べても飽きない鍋」という意味か? 確かにおいしいし、さっぱりしているけれど、それを言うのにわざわざこんな聞き慣れない言葉を使うものか?
何か、きっかけがあったのに違いない。あるいは、「常夜」は「じょうや」ではなく「とこよ」か。これまたあまり使わない言葉。はたまた「とこや」に付けた当て字か。すると、俄然「床屋」なのかと気になり出す。
なんていうこともつい考えながら、でも食べているうちに忘れてしまうのが、常夜鍋のうまさ。ホウレン草のおいしい冬に、おすすめです。
ただし、「毎晩食べても飽きない」なんて言って食べ続けて、腎結石や尿管結石など作らないように。
※このコラムは個人ブログで公開していたものです。