1952年、めんつゆという商品が誕生した。しかし、その用途は麺類を食べるときの汁を作るだけに止まらなかった。だし入りの汎用調味料として、鍋ものや煮ものに広く用いられるようになった。さらに、おひたし等のつけ・かけ用へと、しょうゆのテリトリーにまで用途を拡大した。ついに1994年、購入金額で、つゆ・たれ類がしょうゆを逆転した。
醤油造りのプロが書いた大豆の本。大豆は豆として調理されるだけでなく、さまざまな加工品となることで人類に栄養を供給し、豊かな食文化も花開かせてくれている大いなる豆。そんな大豆はどこから来たどんな豆なのか、そしてどんな可能性を持っているのか。大豆と半世紀付き合って来た技術士が大豆愛とともに徹底解説します。
めんつゆの由来
現在、そうめん、うどん、そば、ラーメンなど多様な麺類が存在する。「日本めん食文化の一三〇〇年」(※1)では、日本最古の麺は奈良時代のさくべい(索餅)としている。小麦粉と米粉を用いる手延べ麺である。つけ麺の形式が登場するのは、鎌倉時代という。当時は「たれみそ」というみその加工品をつけて食べていたらしい。みそに水を加えて煮つめ、袋でこして作っていた。
そば(そば切り)の登場が文書で確認できるのは16世紀末の安土桃山時代で、食品としての地位が確立されたのは江戸時代である。当初は、うどん同様にたれみそを使用していたようだ。ただし、たれみそは手間がかかり、搾りかすも出る。そこで、折から広く流通するようになったしょうゆをベースにしてそばつゆを作るようになったのだろう。しょうゆにみりんとだしを合せたものが広がったのは18世紀後半になる。明治時代になると砂糖を加えるようになり、甘味が強くなった。婦女子もそばを多く食べるようになり、その嗜好に合せたためという。
現在の日本そば店における標準的なそばつゆの作り方を紹介しよう。しょうゆ18l(1斗)を加熱し、砂糖3.75kg(1貫)を溶解させ、80℃まで昇温させる。これにみりん1.8l(1升)を加えてさらに加熱を続け、放冷したものを「本がえし」という。「1斗・1升・1貫目」と語呂よく覚えられる。味をマイルドにするため、1週間程度静置して熟成させる。しょうゆを加熱しない「生がえし」という作り方もある。
そばつゆを作るには、だしも必要になる。本節、宗田節、さば節を組み合わせた節1kgを水18lに加え、加熱して一番だしを引く。かえしと一番だし(1:3~1:4)を合せると、冷たい「もり汁」(辛汁)になる。味の調和のため、通常1晩置く。もり汁を等量の二番だしと合せると熱い「かけ汁」(甘汁)になる。二番だしは、一番だしを引いた節をもう一度煮出して作る。
みそ・しょうゆとだしの組合せが、和食の一つの柱になっていると考える。持ち味を引き出しながら、素材にうま味を加えるのである。みそ・しょうゆ中にはアミノ酸の一種グルタミン酸、だし中には核酸成分のイノシン酸が多く含まれる。どちらもうま味を持つが、一緒になると相乗効果により格段に向上する。ヤマサ醤油の、2013年4月に亡くなられた国中明博士の大発見である。
このそばつゆの製法がめんつゆという商品誕生の基本になったのではないだろうか。
めんつゆ商品の誕生
1963年、筆者が勤務していたヒゲタ醤油が商品としてのめんつゆを発売する。パイオニア的商品と考えていたが、それ以前の1952年に中京地方のメーカーがめんつゆ(つゆの素)を開発していたという(※2)。当時は、数倍に希釈して使用するタイプだったに違いない。しょうゆに鰹節エキスまたはだしと糖類を加えて加熱後、びん詰めしたと考える。
現在、めんつゆはかけ汁として直接使用するストレートと希釈するタイプが市販されている。タイプの異なるしょうゆとめんつゆについて、主な成分値とAw(水分活性)を表に示す。Awは食品中の自由水の割合を示す。0~1.0の値になり、水そのものは1.0になる。値が低いほど微生物の生育は困難になり、0.6以下ではほとんどの微生物が生育できない。
●しょうゆとめんつゆの成分値 | ||||
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製品 | 塩分 | アルコール | pH | Aw(水分活性) |
濃口しょうゆ | 16.5 | 3.2 | 4.8 | 0.8 |
うす塩 〃 | 13.5 | 4 | 4.8 | 0.85 |
減塩 〃 | 8.5 | 6 | 4.7 | 0.88 |
5倍希釈つゆ | 18 | 3.5 | 4.9 | 0.78 |
3倍 〃 | 11.6 | 5.5 | 4.9 | 0.84 |
2倍 〃 | 6.2 | 1 | 4.9 | 0.88 |
ストレート 〃 | 3.2 | 0.7 | 5 | 0.95 |
%w/v | %v/v |
5倍希釈タイプのめんつゆのAwは通常の濃口しょうゆより低く、微生物に対する安定性が高い。高希釈タイプは微生物面では有利だが、おいしさ面では不利になる。原料の多くをしょうゆが占め、だし類や糖類を加える余地が少ないためである。
なお、希釈タイプのことを濃縮タイプと記すことが少なくないが、好ましくない。濃縮という作業は全く行っていないからである。
1997年、めん類等用つゆに関して、JAS(日本農林規格)が制定された。定義は「しょうゆに糖類及び風味原料(かつおぶし、こんぶ、乾しいたけ等)から抽出しただしを加えたもの又はこれにみりん、食塩その他の調味料を加えたもの」とある。さらに、「直接又は希釈して主としてそば等のめん類のつゆ、煮込み汁、天ぷらのつけ汁(一部改変)」と用途にも触れている。めん類以外の用途も含んでいるため、めん類等用つゆという呼称になっている。
JASで定めたのは、めんつゆ類の成分規格と品質表示基準である。成分規格は商品の品質を表すものだが、無塩可溶性固形分4%以上(容量)という条件だけが決められた。聞き慣れない言葉と思うが、食塩を除去したエキス分になる。この数値を高くするためには糖類を増やすことが最も効果的だが、それで高品質と言えるわけがない。ここが問題であった。
めんつゆの宣伝コピーを集めてみよう。「本枯節」「花かつお」「厚削り」「削りたて」「追いがつお」「一番だし」等、圧倒的に鰹節とその抽出法をアピールする例が多い。だからこそ、切り口を変えて昆布を強調したヤマサ醤油の「昆布つゆ」がヒットしたのである。もっとも、昆布のうま味成分はしょうゆと同じグルタミン酸なので、うま味の相乗効果は期待できない。
かえしと合わすことや、丸大豆等の特徴あるしょうゆの使用を謳う商品がある。これらのアピール効果は乏しい。かえしを別に作っても1週間熟成することは困難である。容器内で熟成させるならば、最初から混合しても同じことである。コンビニの盛りそばに、かえしとだしを分けて添えていた商品があった。一見すると本格的だが、熟成することなく混合が面倒なだけではないか。ヒットしなかったのは当然である。
結論として、無塩可溶性固形分はめんつゆの品質指標として機能していないことが関係者間の共通認識になった。また、これに代わる指標を設定することも困難だった。その結果、2004年にめん類等用つゆのJAS規格は廃止された。なお、改定を経ているが、品質表示基準は現在でも有効である。
つゆ・たれ類の売上がしょうゆを超える
その後、2~3倍希釈タイプを中心に、めんつゆの用途は拡大する。鍋や煮物用はもちろん、おひたしや冷やっこ、納豆等のつけ・かけ用にも広く使用されるようになった。だしが効いていておいしく、減塩にもなっている。従来、しょうゆがカバーしていた領域である。洋風、中華、韓国料理にも使用されている。
さらに、めんつゆはさまざまな仲間を増やしていく。専用の鍋つゆ、焼肉や焼き鳥のたれ、土佐しょうゆ等のだししょうゆ、すき焼き割りした、ポン酢しょうゆ等々である。世帯当たりの年間支出金額が、多様な商品で調べられている(※3)。1994年、つゆ・たれ類がしょうゆを上回り、2012年は2倍以上に差が拡大した。
めんつゆ類がしょうゆ市場を浸食した、という捉え方ができるだろう。しかし、次のように観ることもできる――大豆が変身してしょうゆになったように、しょうゆがめんつゆに変身したのである。そのめんつゆもまた、それぞれのニッチに合せてさまざまな商品に変身を遂げている。
しょうゆやめんつゆという商品は変わらないように見えるが、そのようなことはない。共に塩分を下げ、しょうゆはうま味成分を増やしている。また、めんつゆはだしの使用量が増えている。生物の進化と対比できそうではないか。走り続ける「赤の女王」(※4)と同じように、変身は常に続くのである。
※1:奥村彪生、2009「日本めん食文化の一三〇〇年」農文協
※2:太木光一、1991「プ・ロ・の・た・め・の食材の基礎知識」オータパブリケイションズ
※3:総務省統計局家計調査
http://www.stat.go.jp/data/kakei/2.htm#syousai
※4 赤の女王:ルイス・キャロルの小説「鏡の国のアリス」に登場する。「同じ場所にとどまるためには、全力で走り続けなさい」とアリスに言う。