日本人の食卓に大豆製品は欠かせない。たんぱく質と脂質に富み、味もよいからだ。アミノ酸バランスも理想に近く、イソフラボン等の効果も期待できる。こうした“大豆の力”をたくみに活用している事例があるので、それを紹介したい。
醤油造りのプロが書いた大豆の本。大豆は豆として調理されるだけでなく、さまざまな加工品となることで人類に栄養を供給し、豊かな食文化も花開かせてくれている大いなる豆。そんな大豆はどこから来たどんな豆なのか、そしてどんな可能性を持っているのか。大豆と半世紀付き合って来た技術士が大豆愛とともに徹底解説します。
しょうゆ出前授業
しょうゆ情報センター(https://www.soysauce.or.jp/)は、“食育”の一環として、また、しょうゆ生産量の減少対策として、理解者を増やす試みを行っている。将来消費者となる小学生を対象に、出前授業でしょうゆの造り方を教えるのである。知識を伝えるだけではない。原料をはじめ、麹や経過段階の異なる諸味(もろみ)を持参して、実際に観て・触って・味わってもらう。
2005年に開始したが、好評で依頼を寄せる学校が毎年少なくない。講師は一定のトレーニングを受けた「しょうゆもの知り博士」で、しょうゆ関連の技術者が多い。全国に配置されていて、小学校から依頼があると派遣される。興味のある方は、しょうゆ情報センターのサイト(https://www.soysauce.or.jp/project/index.html)をご覧いただきたい。
筆者は2006年から講師を務めている。毎回、子供たちのキラキラした目線を感じて、説明に力が入る。たくさんの小学校を訪問したが、2012年9月でちょうど50回になる。それぞれの学校に思い出があるが、その中でも“大豆の力”を見事に活用していた小学校のことを紹介したい。
大豆パワーの舞台
鎌倉から江ノ島電鉄で数駅の所にある某小学校が舞台である。ここでは、食育の一環として、学年別に田んぼや野菜畑を手がけていて、その一角で、ダイズを作っている。初年度の栽培は大失敗だったという。カメムシの発生があり、収穫できなかったのだ。施肥方法が悪かったようで、再チャレンジした翌年は充分な実りを得ることができた。
しかし、ダイズを栽培するまでなら、他の多くの学校でもやっていることである。この小学校でも、そのまま枝豆として食べようという意見も多かったという。しかし、子供たちが相談して、収穫したダイズを“変身”させることに決めたのだ。変身したのは、キナコであり、豆腐であり、みそであり、納豆であった。さすがにしょうゆは難しかったため、しょうゆ情報センターに依頼して、出前授業を受けることにしたというわけである。
この小学校での「大豆変身物語」の実現には、学校関係者のご努力があったのはもちろんである。まず、教職員の連携がしっかりしている。PTAの協力も欠かせなかっただろう。また、地域住民の協力も大きかった。田んぼや畑は地元農家から貸していただいている。そして、関係者が信頼で結ばれている中心に素敵な女性校長の存在がある。校長は教職員の自主性を重んじているが、畑を借りに行く交渉は先頭に立つ。子供たちからも慕われている。校長室には、子供が描いた似顔絵や子供たちとの写真が飾られていた。
秋には収穫祭を行った。自分たちが育てた野菜と自前のみそで、みそ汁を作ったのだ。キナコ餅も作った。大豆を煎って粉にするのだが、当日はこの香りが学校中を包んだという。「幸福の黄色い香り」であり、忘れられない給食になったに違いない。
また、大豆や野菜のオリジナルソングを作った。さらに、この経験を県のイベント「子どもいきいき体験フォーラム21」などで発表した。さまざまな活動は、子供たちにしっかり記憶されたことだろう。
地域コミュニティーの復活
昨今、小中学校に関して、世間から楽しくない話が聞こえてくる。イジメ問題、モンスターペアレント、給食費未納、学級崩壊、孤独な教師のノイローゼ・退職・自殺等々。思い浮かべると本当に心が暗くなる。だが、本稿で紹介した小学校はこれらとは無縁である。トラブルがあった場合は、関係者が即座に話し合い、大きくなる前に解決している。普段から信頼関係が築けているから、できていると言える。
理想的と思える某小学校の状況は、地域コミュニティーの寄与が大きいように思う。この小学校も、時勢なので門扉は閉じられ門衛がいる。しかし、地域に扉は広く開かれている。筆者が出前授業で訪ねた日も、地元の女性が編んだあやとりの紐を届けに来ていた。地元と学校が密接に結びついているのだ。
小学校は、地域コミュニティーの核になる存在だと考える。子供たちは、地域の皆で守るべき存在である。学校の各種行事に地域の協力は不可欠だ。
団塊の世代が退職し、動き出している。活動の効果として、地域コミュニティーが活発化しているという。そのような活動に、大豆が一役買ったことをうれしく感じたものである。