今は季節が違うが、脂の乗ったさんまの塩焼きは秋の風物詩として欠かせない、旬を味わう食べ物だが、食べ方によりそのおいしさは違ってくる。
さんまを注文しなくなった理由
日本の会社の同僚と初めてお昼にさんまを食べたとき、私は驚かされた。日本の同僚たちが食べ終わった皿にはさんまの骨だけが残って、身も内臓もほとんど残っていなかったからだ。
実は中国でも、日本人がやるのと同じように箸で骨を取ることもするが、骨がある部分を少し口に入れて歯で身を取る食べ方が多い。拙作『中華料理進化論』では、太刀魚の調理法として“中華揚げ煮”と”塩焼き”を比較して“中華揚げ煮”を勧めたが、食べ方としても中国式を勧める。行儀の視点からは口を使わない日本のやり方がよさそうだが、太刀魚の場合は魚の身も崩れて見た目が悪くなり、おいしさの感覚も下がるからだ。
私もさんまを食べるとき、やはり慣れて身についた中国式でいこうとした。ところが、日本ではその食べ方は見た目がよくないように感じて、私も仕方なく箸を使って身と骨を分けてみた。だが、見よう見まねの慣れないことで、私の皿には身が付いている骨が多く残ってしまい、ごちゃごちゃになってしまった。これは予想外の苦労で、また面倒くさく、結局あまりおいしい食べ方にならないと感じていた。
それからさんまの食べ方が気になって、ネットでもいろいろ調べてみたところ、さんまの食べ方を教える情報が意外に多かった。それらには、箸を上手に運んで身と骨を分けたり、下の半身は骨をずらして離したりなど、難しい手順が書かれている。よく読んで実践すれば、私もさんまを上手に食べることができるはずではある。しかし、そこまで注意深く箸を動かして食べる必要があるのだろうかと、心理的な抵抗があって避けてきた。
結局、さんまの季節になってさんまを食べたくなっても、日本人と一緒に食事をするときには、私の食べ方を見せたくなくて、さんまを注文しないようになってしまった。
日本のさんまの食べ方は“急がば回れ”
ところが、その後ある機会に、日本人の友人がさんまをきれいに食べる方法を手ほどきしてくれた。やってみると、時間はかかったが、それほど難しくなと感じることができた。そして、そうしてみると、それまででいちばんおいしいさんまを味わったと感じることができた。作法が身についたこともいいことだが、何よりそのときのおいしさがうれしかった。
中国には「欲速則不達」という言葉がある。日本で言えば「急いては事をし損じる」に当たる。もっとかみくだけば、「急がば回れ」ということだ。
以前の私のさんまの食べ方、骨付きのまま口に運んで身を離すやり方は、早く食べることができる。しかし、それではさんまのおいしさをうまく味わうことができないと理解した。つまり、いわゆる「拙速」ということだ。早く賢く進んでいるように見えることが、結果的には効果を損ねているということがある。
翻って、日本人のさんまの食べ方は、まどろっこしく遅いが、さんまのおいしさを味わうことができる。遅く見えるが、最終的によい結果を収める。つまり、「拙速」の逆で「巧遅」と言えるだろう。
《つづく》