ニラと玉子の中華風おやき(韮菜盒子)は中国の家庭料理の定番の一つだ。シンプルだが熱々のニラの独特の香りが楽しめておいしい。あるとき、日本の友人の家を訪ねる際に、手作りのおやきを持って行った。
ばらばらになった中華風おやき
友人は電子レンジでそれをちょっと温めて、彼が作った他の料理といっしょに食卓に並べた。二人で食事を始めて、私はちょっと驚いた。その友人は、フォークとナイフを取って、当たり前のようにおやきをいくつかに切り分け始めたのだ。
韮菜盒子の具は細かく刻んだニラと玉子を炒めたもので、あんのようにまとまったものではない。だから、それを包む皮を切ってしまうと具が散ってしまって食べづらくなる。それで、友人と私は、フォークとナイフで、丁寧に、気をつけながら、具と皮を合わせて口に運ぶことになった。
友人はこのおやきの独特の味わいに魅力されて、絶賛してくれた。しかし、私にとっては、こんな食べ方は想定外で、昔からおやきはよく食べているが、こんな食べ方は初めてだった。本来は肉まんを食べるときと同様に、丸のまま直接ほおばる。あるいは、真ん中で二つに分けて、切り口を上にしてそこにぱくつく。そのように食べれば、とくに食器はいらないし、具がこぼれて落ちることもない。食べやすい、庶民的な食べ方だ。
それを言えばよかったのだけれど、あのとき、その場ではつい言いにくくなって言わないでしまった。それでも、その後時間が経ってから、友人とその日のことを思い出して話したときに、切らずに直接食べてよいではないかと話したところ、意外にも、彼もそのほうがよいように思っていたという。そしてそのようにしたかったが、行儀が悪いように感じて、あえてあの食べ方になったのだと言う。
相手によって作り方を変えればよい
確かに、和食にせよ洋食にせよ、ちょっと大きな食べ物は小さくて分けて丁寧に食べるのは普通のことだ。彼は行儀を考えて私に遠慮して切り分けた。私は彼に遠慮して本来の食べ方を伝えなかった。そのように、お互いに遠慮し合うと間違うようだと考えさせられた。
大きなまま食べるのと、小さくして食べるのとは、食べるシーンによっても違うのかもしれない。というのは、中国では韮菜盒子のような食べ物は主食として食べられることが多い。だから、比較的大きく作って、そのまま食べるのではないか。一方、日本ではこの種の食べ物はおやつの扱いとなるようだ。その場合、小さくて一口で食べるのがしっくりくるのではないか。
それで、友人の場合、大きいサイズのおやきを見たときに、ピザのようにカットして食べようとしたわけだ。ところが、具がソースやチーズで生地にくっついているピザと違って、おやきは皮が具を包むことで固定しているので、切ってしまえば食べにくくなってしまう。
そこで私は日本向けのカイゼンを思いついた。あの後、おやきを日本人といっしょに食べるならば、小さいサイズを作ることにしたのだ。そうすると、カットによる不都合が再び起きることはなくなり、いつも楽しくおやきを味わうことができている。
このおやきの出来事から、料理の適応性を広げるために、ときにサイズや形を変える必要があると学んだ。
《つづく》