今年の初めに『中華料理進化論』という本の出版が決まり、それからずっとその執筆に集中していた。そのためFoodWatchJapanでのコラム執筆を怠ってしまった。このシリーズの読者のみなさんに申し訳ないと言いたい。
たとえて言えば、コラムの更新が単品料理の提供だとすれば、書籍の執筆はコース料理だと言えるだろう。振り返れば、食文化に関する考察を書くことは、FoodWatchJapanの齋藤編集長との出会いから始まった。その最初のコラムが2012年9月の「日本で区別された『中華料理』と『中国料理』」で、あっという間に6年が経った。FoodWatchJapanも今年の11月に8周年を迎えていた。
中国料理の進化としての中華料理
『中華料理進化論』は、このFoodWatchJapanでの連載と、「日経xTECH」(日経BP社)での連載コラム「食文化とハイテク」の記事をベースに、大幅に加筆して完成した。中国から伝来し、独自の進化を遂げて日本に定着した中華料理に焦点を当てたが、視点は今までになかったものだと自負している。すなわち、日本に長く滞在する中国人として味わった中華料理、料理研究家として見た中華料理、文化人類学/ビジネス/テクノロジーを融合した、複眼的な視点からの俯瞰で、多岐に渡る中華料理の“隠し味”と進化のプロセスを分析した。
“当店のスペシャリテ”は、日本における“中華料理”の代表格と言える焼き餃子とラーメンの考察である。中国にありそうで実はそのものはちょっとない、日本の焼き餃子とラーメン。中国発祥ではありながら日本で親しまれているこれらの料理は、中華料理の単なる改良ではないと、私は見た。本場にはない、新しい食感、新しい料理のジャンルが生まれている。そのことに着眼し、なぜそうした進化が起こったのかの原因を探った。
そのことから、日本と中国の時代ごとの食文化の交流と、日本と中国の料理人のチャレンジ精神とアレンジ力が、中華料理進化の原動力であることを示した。同時に、中国料理の超適応性、大衆の創作料理、食品テクノロジーが、この動きを支えてきたことも明らかにした。
グローバル化の流れの中で、これからの中華料理はどこへ進化するかについても考察、提示している。すなわち、食文化の伝播/逆伝播と、さらに新しい伝播といった循環進化プロセスの視点で、本場中国料理の新たな伝来と変容、多国の料理を融合する日本ならではのアレンジ力による新中華料理の創出が、今後のトレンドになるはずだ。
しかし、中華料理についての考察を実際に本としてまとめることは決して簡単なことではなかった。週末の時間はほとんど家の近所のカフェや図書館で過ごしていた。そうして私の多くの時間を費やした一方、対象はやはり巨大であった。「4000年の歴史」を持つ中国料理の奥深さと、日本と中国の食文化の融合で生まれた今日の「中華料理」に対して、料理人や食文化史専門の研究者でもない私は、まだまだ知識が足りないと実感している。それでも、猛勉強するのと同時に、日本在住の中国人として、また今日の技術とイノベーションに直に接している者として、自分なりの強みを活かすことを忘れないように心がけたつもりだ。そして、食文化に対する愛情、中華料理への敬意、自分の発見をより多くの方々に知ってほしいという熱意を込めたつもりだ。
『中華料理進化論』には、FoodWatchJapanでの当シリーズおよび「日経xTECH」の「食文化とハイテク」の記事に加えて、多くの書き下ろし部分が含まれる。そのなかから、2点を紹介しておきたい。
視覚の料理と触覚の料理
海外から見て、日本料理は“目で味わう料理”だと言われている。それは美しい盛り付けだけでなく、熟慮は食器の色・形まで及び、さながら盆栽のように、四季や自然を演出する。
日本に来てそういった美しい盛り付けの料理を初めて目にしたとき、箸をつけられないと感じたのを記憶している。この視覚の美しさがを欠いては、日本料理の魅力は大きく損なわれてしまうのではないだろうか。
日本語には四季や自然に関する言葉も多い。緑系の色をいうのにしても、さまざまな緑色を若草/花/木/茶/ネギ/鶯など、いくつもの比喩を用いて表現する。季節を表す言葉も多様だ。たとえば5月中旬だけでも、青葉/薫風/万葉/緑樹というように細かく分けられている。
これらについての細やかさは、日本人の視覚についての関心の深さの現れだと言えるだろう。それが料理に反映されている。
中国語には、視覚や季節に関してこれほど多くの表現は存在しない。だが、日中の比較で興味深いのは、食事の触覚すなわち食感に関する日本語の語彙が意外と少ないことだ。少ないだけでなく、ほとんどが「ぱりぱり」「さくさく」といった擬声語(オノマトペ)で表現され、音・表記とそれが指し示す意味が明確になった語彙となっているものは少ない。というのは、反対に、中国料理の食感に関する表現はかなり多く存在するのだ。
中国料理において、味を表現する場合、その基本は以下の「五味」である。
- 甜(ティエン):甘い味
- 酸(スアン):酸っぱい味
- 咸(シエン):塩からい味
- 苦(クー):苦い味
- 辣(ラー):ヒリヒリする味
これらに加えて、さらに以下の3つも加えて表現されることが多い。
- 麻(マー):刺激
- 香(シアン):香り
- 鮮(シエン):うま味
本来、辛さは味覚ではなく刺激であり、また、「麻」と「香」は味蕾で感じる味覚ではないが、料理・食事ではこれらの語を用いて味が表現される。
そして日本人に中国の味覚を説明するときに問題となるのが、食感に関する語彙である。中国語では食感を表す漢字が数十個あるのだが、いくつかの例を挙げてみよう。
- 脆(ツイ):歯でかんだときに軽くかみ切れること。
- 滑(フア):口に入れるととろっとして滑らかなこと。
- 酥(スー):軽い歯ざわりがあり、噛むとさくっと砕けること。
- 嫩(ネン):若々しいしなやかなやわらかさ。
たとえば、「酥」と「嫩」に最も近い日本語はどちらも「軟らかい」だが、そう言ってしまうと、どうもこの2つの文字の意味合いをうまく区別できない。日本語にはぴったりと合う言葉がないようだ。
そして、中国料理は、一品に複数の食感を持たせていることが多い。たとえば、「糖醋鯉魚」(タンツーリーユイ/鯉の丸揚げ甘酢あんかけ)のように、揚げた素材にあんをかけたり、あるいはくずひきをしたりして仕上げる料理がたくさんある。そういう料理には、この一覧に掲げた「脆」「酥」「香」「滑」という4つの食感がすべて含まれているわけである。このようにバラエティ豊かな食感によって、より多くの人々の口に合うようになっているのだ。
「スタミナ」という考え方
日本には中華料理のみならず、イタリア料理、アメリカのファストフード、インド料理、フランス料理など各国の料理店がたくさんある。しかしその中で、人々が「中華料理」を話題にするときには、どうも他の料理とは違う、ある種の特別な、アツアツの気分が込められているように感じている。
中華料理については、「おいしいしい」「脂っこい」「安っぽい」「高級そう」などなど、人によっていろんなイメージを持っているだろう。しかし、共通するイメージとして「スタミナがある」「食べやすい」「熱々である」というものが挙げられるように感じる。中国料理や中華料理に関する食文化論をいろいろ手にとってひも解いてみると、その特性が「多様性」「庶民性」「包容性」「開放性」「雑種性」「親和性」「伝播性」といった言葉で語られている。
私はそれらの要素には共通する部分、つまり、なんらかの精神性、スピリットが凝縮されているではないかと考え続けているのだ。
近年、たびたび中国と日本を往復し、料理に関わっている多くの方々と交流する中で、少しずつそれが何であるかが分かってきた。中国料理が世界中に広がり、日本では中華料理として進化してきたが、その日本の「中華料理」の奥深いところに存在しているスピリットとは、あえて一つの言葉で表現するならば、それは「スタミナ」だ。
『栄養・生化学辞典』の解説によれば、スタミナとは活力と持久力を意味しているのだが、中華料理においては、スタミナは2つのレベルの意味合いがあるだろう。
- 狭義:栄養とエネルギーを与えるスタミナ、いきいき、元気をもたらすスタミナ。
- 広義:ダイナミズムに進化しつつてあり、活力が溢れる業界。
詳しくは『中華料理進化論』をご覧ください。
思えば、あのコラムを書かなければ、『中華料理進化論』がこの世に現れることもなかっただろう。目標に向かい、日々努力し、積み上げれていけば、きっと達成できることを実感する。それは、このコラムシリーズの執筆と、今回の『中華料理進化論』の脱稿から強く感じる。各分野で活躍されているみなさんも、きっとそのようにされているのだろうと今はわかる。
中華がアツイ! スタミナの中華で、生活とビジネスをアツクしましょう!