思い出の太刀魚の中華揚げ煮

日本は海に恵まれているので、いつも海の幸を楽しむことができます。しかし、私の故郷である西安は中国の内陸にあるので、新鮮な海の幸は身近なものではありません。

祝日の楽しみだった太刀魚

 とくに私が子供の頃は、海の魚を食べるというのはとても贅沢なことでした。当時はまだ物流が発達していませんでしたし、今のように経済が発展する前の物が足りない時代でもありました。魚を食べるどころか、米、小麦粉、油は決まった量が配給される時代でした。

 そんな中でも、毎年の旧正月や年に何度かの祝日には太刀魚を食べる機会がありました。祝日の前になると冷凍の太刀魚が販売されたのです。家族の人数によって購入量の制限はありましたし、希少価値で高価なものでもありました。

 私の記憶では、当時の西安で買うことができた海産物は、その冷凍の太刀魚だけでした。なぜそうだったのか、はっきりとはわかりませんが、おそらく太刀魚は近海で獲れて漁獲量も多かったからだったのかもしれません。

 西安では、実は川魚は豊富です。いつでもさまざまな種類の川魚が手に入り、バラエティ豊かな川魚料理を楽しむことができます。それでも、ときどき食べる太刀魚は、川魚とは違うおいしさを感じるものでした。

 日本に来てからも、太刀魚を見つけるたびに、物がない時代の太刀魚に対する想いと、あの頃のいろいろな思い出が呼び覚まされます。食べ物は、ただ食べて体の栄養になるだけでなく、歴史や記憶でもあると改めて感じます。

紅焼帯魚のおいしさは日本人も絶賛

紅焼帯魚(太刀魚の中華揚げ煮)
紅焼帯魚(太刀魚の中華揚げ煮)

 太刀魚は、その長細い形が帯と似ているので、中国では「帯魚」と呼ばれます。刀に見立てた日本での呼び方とは違いますが、どちらも形の特徴をとらえて名付けたものという意味では同じです。しかし、日本と中国で、この魚の一般的な調理方法は全く異なります。

 日本では塩焼きにするのが一般的なようですが、中国では「紅焼帯魚」という料理にします。いわゆる中華揚げ煮という料理法で、まず油でちょっと焼いてから、醤油と砂糖などを入れた汁で煮込むという作り方で、仕上がりは赤く見えるので紅焼と呼ばれるわけです。

 塩焼きの太刀魚の味はやや淡白ですが、「紅焼帯魚」はコクと香りがあり、ご飯にとても合う料理です。個人的には「紅焼帯魚」のほうが太刀魚のうまみを引き出しておいしくなると思うので、日本のみなさんにも是非お薦めしたい食べ方です。実際、私の家に来てこれを食べた日本人も、みんな絶賛します。おいしそうにしている表情から、お世辞ではないことがわかります。むしろ、これから日本でもはやるのではないかなとさえ思っています。

 さて、太刀魚の食べ方の日中の違いは料理法だけではありません。食卓でも違いがあります。ポイントは、骨の取り方です。日本人は魚を食べるとき、箸で魚の身を骨から器用に外して口に入れます。しかし、中国では、骨付きで口に入れて、歯で骨を外します。

 それで、日本人は焼き魚や煮魚を食べると骨をきれいに残します。ところが、私たちが魚を食べた後は、骨はぐちゃぐちゃの形に残ります。これはマナーの違いというものですが、私は日本人と一緒に食事をするときは、なるべく魚料理を注文しないようにしています。

紅焼帯魚の作り方

材料

  • 太刀魚 2本
  • サラダ油 小さじ1
  • 小ネギ 1本
  • 生姜 1カケ
  • 紹興酒(なければ料理酒) 大さじ1
  • 砂糖 大さじ1
  • 醤油(濃い口) 大さじ2
  • 糸唐辛子 少々(なくともよい)

作り方

  1. 太刀魚を食べやすい大きさにぶつ切りにする。
  2. フライパンを熱し、サラダ油を入れて、ぶつ切りにした太刀魚を身が黄色くなるまで焼き付ける。
  3. 途中、生姜と小ネギも入れて、太刀魚と一緒に焼く。
  4. 紹興酒、砂糖、醤油を加え、水も少し入れて煮込む。途中、太刀魚を崩さないように裏返し、両面に火と調味料が当たるようにする。
  5. 煮込む時間は火加減によって変わるが、煮汁がほぼなくなったら火を止める。

【編集部・齋藤訓之より】

 徐さん、紅焼帯魚はおいしそうですね。私も太刀魚を見つけたら試してみます。

 調べてみますと、太刀魚は日本近海のほか、渤海・黄海も産地のようですので、これもお国の名産の一つですね。

 日本で言うタチウオの由来は、太刀に似ているからというほかに、立って泳いでいる様子からという説明もあるようです。どちらも捨てがたい説です。

 物のない時代、物流の未発達の時代のお話がありました。私の故郷の北海道函館市一帯は水産業の盛んな地域ですが、私の恩師が、この地域の人々がかつてどのような食生活を送っていたのかを実地に聞いて歩いて調査したことがあります。それによると、漁師は魚介を食べていましたが、海岸から数百mも内陸に入っただけで、もう魚を一切食べたことがないという人がほとんどだったのです。

 このような食生活の分布は、おそらく日本の他の地域でも似たようなものだったでしょう。日本が高度成長に入る前までは、大方がそのようだったようです。かつて、今50代前半の私が生まれるちょっと前ぐらいまで、日本はひどく貧しかった。そして、私が生まれた直後の頃に政府がコールドチェーンを構築せよと勧告するまで、塩蔵や干物ではない新鮮な魚は一般庶民が当たり前に口にできるものではなかったようです。

 徐さんがおっしゃるように、食は歴史でもあり記憶でもあります。今を楽しみながら、昔にも思いをはせ、家族の昔を懐かしみ、さらに、今の世の中を作ってくれた人々の努力に感謝したいと想います。

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About 徐航明 24 Articles
立命館大学デザイン科学センター客員研究員 じょ・こうめい Xu Hangming 中国の古都西安市出身。90年代後半来日。東京工業大学大学院卒業。中国や日本などの異文化の比較研究、新興国のイノベーションなどに興味を持ち、関連する執筆活動を行っている。著書に『中華料理進化論』「リバース・イノベーション2.0 世界を牽引する中国企業の『創造力』」(CCCメディアハウス)があり、「中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる『山寨革命』の衝撃」(阿甘著、日経BP社)の翻訳なども行った。E-mail:xandtjp◎yahoo.co.jp(◎を半角アットマークに変換してください)