使節団
洋酒文化の歴史的考察

VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(6)

アメリカに上陸した万延元年遣米使節一行は、外国にあなどられまいと尊大にふるまう。迎えるアメリカ政府当局とメディアは、ある思惑から日本を丁重に扱い持ち上げる。集まった群衆の中を、使節団七十余名がこわばった表情のまま厳かに進む。が、その緊張を一気に解いてなごませてしまったのが、16歳の立石斧次郎教之だった。
村垣淡路守範正、新見豊前守正興、小栗豊後守忠順
洋酒文化の歴史的考察

VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(5)

日米修好通商条約批准のため、幕府は遣米使節団を派遣する。このとき、幕府はアメリカが裏切りを働かないかを疑い、アメリカは幕府の本気度を疑っていた。そんな当局の心配事を知ってか知らずか、ある侍がこの機会に渡米したいと言い出す。まだ16歳の立石斧次郎教之という少年だった。
バレーホから来たバーテンダー
洋酒文化の歴史的考察

VII 横浜・カクテルことはじめ(4)明治7年横浜のフレア・バーテンディング

日本で初めてカクテルが提供された様子は、当時の英字紙が伝えている。このバーテンダー、ヴァレーホ・ジョーを描いた漫画を見ると、驚くべきことに、日本初のカクテルは、フレア・バーテンディングで提供されたことがわかる。ただ、このバーテンダーを巡っては、一つ解けない謎が残る。
パーヴィス
洋酒文化の歴史的考察

VII 横浜・カクテルことはじめ(3)明治7年横浜のブルー・ブレイザー

パーヴィスはまず、自らカクテルの調製に乗り出した。彼を描いた英字紙の漫画とレシピを見ると、パーヴィスが取り組んだカクテルがブルー・ブレイザーであったことがわかる。しかし、結局それはうまく行かない。しかし、彼が断念した直後、アメリカからプロのバーテンダーが来日する。